*すべてをお見せすることはできませんが、著者の許可を得たので特別にさわりだけ。(管理人)
序章 高齢者医療の現場を歩く(その1) 佐藤幹夫
09/02/1更新
私にとっての高齢者問題
筆者が高齢者の医療と介護の現場を訪ねるようになって、間もなく丸四年になる。ある月刊誌より連載の依頼を受けたことがきっかけだったのだが、取材を始めてすぐに思い当ったことがあった。
筆者のこれまでのフィールドは「発達障害」と福祉である。「発達障害」をどう考え、社会の人びとにどう理解してもらうか。発達障害当事者である彼らにとっては、どんな社会的支援が必要なのか。そのことを最大のテーマとしてきた。そして高齢者の医療と介護の取材に入り、真っ先に感じたのが、高齢者と「障害」を持つ人びと、というこの二つの問題領域に対する基本的スタンスは同じ≠セし、同じ≠ナよいのだという実感だった。ケア学などの本を読めば「ケアの対象としての高齢者と障害者」と同列に語られているから、同じ≠ニいう筆者の実感も、取り立てて言うほどのことではないのかもしれない。
しかし筆者にとって、他者に依存し、ケアを必要とする、というそのことが、高齢者の問題と「障害」をもつ人びとの問題が同じ≠ナあることの解にはならない。ケアの必要性や他者への依存などは、いわゆる健常者も同じである。だれもがだれかをケアし、ケアされ、だれかに依存し、依存されて生きている。これは当たり前のことだ。だから、ケアという視点からみただけでは相対差にすぎない(職業としてのケアとか、専門性とのケア、と言われるかもしれないが、それさえ相対的な相違である)。「障害」をもつ人びとや高齢者だけがケアの対象である、と考えるのは、自分は「健常」である、という故なき思い込みである。
ではなぜ同じ≠セという印象をもったのか。
さしあたってつぎのように述べておきたい。発達障害の問題と高齢者の問題は、筆者にとって同じテーマの両輪である。両輪であることについての十分な説明をする余裕はここではないが、二〇年間の教育現場での実践や、「障害とはなにか」について考えてきたことと重ね合わせるようにして、高齢者の医療と介護の現場を回っていた。
「障害」とは、誰もがもちうる多様性の一つである。少なくとも筆者にとってはそうだ。「高齢」もまた誰もがなりうる多様性の一つである。ではなぜそれが「障害者問題」となり、「高齢者問題」となるのか。だれが問題とするのか。社会である。「障害」も「高齢」も、家族支援や社会的支援を要するということになったとき、「問題」として浮上する(*1)。
医療崩壊現象
ところで、筆者が高齢者医療の現場を取材し始めた四年前と現在とでは、医療をめぐる状況が一変している。二〇〇八年一〇月にも東京都内で一人の女性が複数の病院から搬送を断られた末に、出産後に脳内出血でなくなるという事件が起こったが、医師不足がここまで進んでいるのかと改めて事態の深刻さを目の当たりにした思いだった。二〇〇五年以前にも医師不足を訴える報道が現われることがあったが、政府は「医師の数は増えており、問題は都市部と地方について偏在が生まれていることだ。必要なのは医師を増やすことではなく、適正化することだ」という主張を固持してきた。そして診療報酬を低く抑えるという政策を取りつづけてきたのだが、医師たちは、この抑制政策が病院の基礎体力を奪ってきた、と訴え続けてきた。
いまやメディア上には「医療崩壊」「医療難民」といった言葉が当たり前のように飛び交っている。勤務医の疲弊、病院からの引き上げ、研修医の不足。それが重なった結果、医師不足がはっきりと表れ、救命救急は搬送先を失って機能不全となった。産婦人科、小児科といった特定診療科で閉鎖が生じ、大量の「出産難民」の出現がおおいに危惧されている。地域医療を担ってきた中核病院でさえベッド数の大幅削減、診療所への衣替えなど、新たな対応を迫られるところが続出している。自治体病院は閉鎖に追い込まれるか、民間業者に売却されることさえ珍しくなくなった。病院も倒産する時代になったのである。
このようななか、政府はやっと医師の不足を認めた。厚生労働省のまとめた「安心と希望の医療確保ビジョン」では、医師養成数の増加、医師不足の診療科や地域に貢献する研修病院などの積極的評価、看護師の雇用増などの重点目標が盛り込まれている(〇八年六月一九日『朝日新聞』朝刊)。しかし医師の養成には一〇年を費やす。今回の修正は即効薬とはならず、現場の混乱はもうしばらく続くと指摘される。
筆者がこの間取り組んできた高齢者医療の領域においても、大きな危機を目の前にしている。その何であるかの詳細は本文で少しずつ述べていくが、取材中、医師たちの何人かが同じことを口にしていたのが印象深い。
「時間をかけてここまで作り上げてきたもの(高齢者医療)を、壊すことはすぐにできる。放っておいても間もなく壊れるだろう。しかし同じものをまたすぐに作れと言われても、それは無理な注文だ。そのためには膨大な時間とコストがかかる」
現在のこのような危機的事態を決定的にしたのは、いわゆる「小泉改革」(医療制度改革)である。なぜこのような事態に立ち至ったのか、本書では何度となく問うこととなる。
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