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コラム:母の認知症 観察ノート(その1)

私は週4日間、泊まり込みで母の介護を行っている関係上、母の行動を四六時中見ています。 母の異常な行動には認知症共通の症状と母の性格や生まれてから現在までの人生を反映した母固有の症状が混ざっていると思われます。 私は母一人しか見ていませんからそれらを区別することは難しいので余り区別は考えず、病気になる前の母と比べて劣っている能力や残っている能力について 感じるままに記録することとします。記録の目的は、そこからより良い介護の方法や母への対応の仕方が見えてくることへの期待です。

(1)歴史的時間および地理的空間の概念が無くなっている
出来事や物事を時間軸上で考えることが出来なくなっています。そのときに母の頭の中に入っている記憶のイメージが現在の時間になってしまうようです。 例えば、家でお母さんが待っている子供時代のイメージが頭に入っていると「お母さんが心配するから家に帰る」と言って家から出て行こうとします。その時代が現在になっているのです。 「お母さんは昔亡くなったよ」と言っても、「昨日会ったよ。元気だったよ」と言って現状を理解できません。しかし、お母さんが亡くなっていることを理解している時もあります。 この時はきっと頭の中は死んだ後の時代のイメージが入っていると思われます。
地理的空間の概念も無くなっています。このことを示す例ですが、生まれ故郷の室蘭の家が現在の武蔵野市の家から直ぐ近くにあると思っているのです。 徘徊で歩いていて、通りすがりの人に「室蘭の駅はどこですか?」と聞いていることがありました。頭の中には昔住んだ場所や買い物に行った場所が距離に関係なく配置されていると思われます。
(2)数を数える能力は残っている
紙幣の枚数や硬貨の個数(金額ではない)、鬢止めの本数、ボタンの数、人の数など身の回りのいろいろなものの数をカウントする能力は残っています。そして数えることに関心があり、よく数えます。 人間にとって数の概念はかなり根元的な能力かも知れません。
(3)人の表情を読む能力が高い
怒っているとか笑っているとか人の表情を敏感に読みとります。例えば、写真でもテレビでも直ぐに敏感に反応します。 テレビのアナウンサーがニュースなどで真面目な顔をしていると怒っていると反応します。ですからテレビは余り見ていません。 これは認知症共通の症状か母特有の症状かは分かりません。母は元々人に非常に気を遣うタイプだからです。
(4)子供時代の躾や習慣は残っている
今でも残っている子供時代の躾や習慣の例を下記に示します。
・無駄の排除:昼間電気を消す。新しいティッシュでは鼻をかまず、畳んでポケットなどに仕舞ってしまう。
・埃を避ける:食卓の置いてある食べ物に新聞紙や布巾などを掛ける。洗った後の食器に布巾を掛ける。
・セータなどの着方:下着の先端を指で押さえてセータの腕を通す。これは子供時代に教わった通りと思います。
・髪の毛の整え方:鬢止めを使って見事に整える。しかし、整えることを意識するとやり方が分からなくなることがある。
・衣服の畳み方:母は和裁をやっていたので洗濯物などを見事に畳む。
・戸締まり:居間の窓、トイレの窓、台所の窓など開いていると閉める。これは安全面より、生まれが北海道なので寒さを防ぐ癖から来ているかも知れません。
・アイロン:今でもアイロンがけはできる。
(5)パルス的な音には敏感
母は耳が遠くなり、会話も殆ど聞こえないようですが、パルス的な音、衝撃音などには敏感です。具体的には、くしゃみの音、茶碗が擦れる音、テーブル等を叩く音などです。これらの音には非常に敏感で、台所からベッドまで5m位離れていても聞こえるようです。また、これらの音を非常に独創的な擬音表現をします。 例えば、茶碗同士がぶつかる音は「チェッ、チェッ」、物を落とした音は「カッ」などと表現します。これは一般的な擬音表現は忘れているので聞こえたそのままを表現しているように見えます。
これらの音は本人には嫌な音に聞こえるようですから、できるだけこのような音は出さないようにすべきです。場合によっては、これらの音は「私を殺すと言っている」と聞こえたりします。
(6)すきま風には敏感に反応する
窓の隙間から入ってくる風、クーラーからの風、極端には新聞紙を畳むときの風などに敏感に反応し、窓や戸などを閉めようとします。これは戸締まりと同じで生まれが北海道のせいかも知れません。
(2006年11月17日)
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