図書紹介:『痴呆を生きるということ』

  • 著者:小澤 勲  
  • 発行所:株式会社 岩波書店、ページ数:223ページ、発行日:2003年7月18日第一刷、定価:740円+税


本書は、これまでの痴呆研究の多くが痴呆老人を研究あるいは処遇の対象とみたものであるのに対して、 痴呆を生きる一人ひとりのこころに寄り添うようなまた一人ひとりの人生が透けて見えるようなかかわり をもつことにより彼らの心的世界に分け入り、彼らの心に添った痴呆ケアのあり方を探ったものである。 著者は、長年、精神科医として精神病院あるいは老人保健施設でこのような痴呆ケアにあたってきた医師 である。
本書の要旨は下記のとおりである。
痴呆の症状は中核症状と周辺症状に分けられる。
前者は、脳障害から直接的に生み出される、痴呆という病を得た人は誰にでも現れる症状であり、記憶障害、見当識障害、判断の障害、 思考障害、言葉・数の障害など。
後者は、中核症状に心理的、状況因的あるいは身体的要因が加わって二次的に生成される、人によって 現れ方がまったく異なる周辺症状であり、幻覚妄想状態、抑うつ、意欲障害、せん妄、徘徊など。
痴呆の経過は、初期(健忘期)、中期(混乱期)、末期(寝たきり期) に分けられる。
必ずしも末期に至るまでとるというわけではなく、初期あるいは中期で痴呆の進行が停止 し、長い年月を過ごす人もある。
中核症状は医学的に説明するしかないが、周辺症状を理解するには、痴呆を生きる一人ひとりの人生が 透けて見えるような見方が必要になる。
周辺症状の成り立ちの典型的例として「もの盗られ妄想」と「徘徊」について詳細に取り上げている。 これらの妄想の成り立ちに関する著者の考えは、以下のとおりである。
”痴呆を生きる者が全く新しい状況に遭遇し、これまでの行動原理では対応できないときに、あがき にも似た苦闘の結果、獲得されるのが妄想に他ならない。彼らは妄想を発見する以外に「わたし」を 保つことができなかったのである。妄想は単なる痴呆の症状ではない、追い詰められた彼らの必死の 表現であり、生き方の選択である。”
著者が心がけてきた痴呆ケアの基本的視点は下記二点である。
@病を病として正確に見定めること。
A痴呆を生きる一人ひとりのこころに寄り添うような、また一人ひとりの人生が透けて見えるような かかわりをつくる。
痴呆のケアでは倦まずたゆまずのかかわりが要求される。
例え記憶障害のある者への働きかけであってもこのようなかかわりの継続は彼らの心に間違いなく蓄積される。
痴呆のケアは、「そのままでいいんですよ。困られたときには私たちがお手伝いしますから」の 一語に尽きる。
「自分のやりたいこと」と「現実にやれること」との間のズレとギャップが周辺症状を生むのだと考えるのなら、周辺症状を治めるため には、これらをなくせばよい。だが、彼らの「やりたい」ことを潰し、エネルギーを殺ぐようなかかわりは周辺症状はなくすだろうが、 彼らの生きる力を奪う。
「ぼけても心は生きている」、「ぼけても安心して暮らせる社会を」
著者が本書で言いたかったことである。
私はアルツハイマー病の母の介護を行っているが、妄想の成り立ち、痴呆のケアの考え方、痴呆の方とのかかわり方など参考になる点、 同感とうなずける点が多々ある。また、「倦まずたゆまずのかかわりの継続は、例え記憶障害であっても彼らの心に間違いなく蓄積される」 などは救いになる。本書は、現在、介護を行っている人々に希望と勇気、そして多くのヒントを与えてくれる。
(2003年10月15日)
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