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母の病状の経緯

  1. 1990年−1997年
    父は1990年10月に脳梗塞で倒れ、2ヶ月間入院後退院し、近くの診療所でリハビリに励みました。母は病院から食事指導や介護指導を受けて 自宅で父の介護を一生懸命行いました。その頃の母は全く異常はなく、一生懸命に父を介護していました。しかし、その甲斐もなく1年後の 1991年10月に再び脳梗塞が発症し、そのときは回復することなく亡くなりました。1993年10月に3回忌を行いましたが、その頃の母には特に異常は感じませんでした。その頃、私は四国の松山の会社に単身赴任していましたので 母のことは弟に任せていました。

    母の行動におかしいことがあると皆で認識したのは1997年に7回忌を行ったときでした。 7回忌の準備は弟が行うこととし、そのことは母も承知していた筈なのに、自分でもダブって準備をしてしまいました。いつものお寺とは違うお寺に頼んでしまったのです。 私の女房にも何回も出席者の数などを電話で聞いてきたようです。それがきっかけで病院で診察してもらうことにしました。結果は初期のアルツハイマー病でした。 そう言われて振り返ってみるとその前から時々変な行動は思い当たりました。例えば、パジャマの上に服を着たり、冷蔵庫の中に本来入れるべきでないもの を入れたり、出かけて家に帰るのが異常に遅いときがあったり(迷った?)などです。

  2. 1998−2000年
    1997年に初期のアルツハイマー病と診断されてからは、隣の弟夫婦が注意することの他に、2人の妹、私と女房で分担して週3回位母の家に行って掃除 や洗濯を手伝い、様子を見ることにしました。 その頃、お金の管理は母が自分で行っていたのですが、お金に関して何回か事件が起こりました。 例えば、貯金通帳から50万円おろして30万円を再び貯金していたり、他人にお金を貸したり、などです。その頃から、お金の管理は 弟に任せることにしました。

    1998年4月に妹(三女)が中野サンプラザのマンドリンコンサートに出演することになり、私と母で見に行きました。その頃、母の耳はそれほど 遠くなかったのです。そのコンサートは「日本の歌」特集で母はその殆どの歌を知っていました。母は演奏に感動して 演奏に合わせて歌いだしたので周りに迷惑をかけるのではないかとハラハラしました。母はこの演奏会に非常に感動したらしく、次の日、 昨日の中野サンプラザにもう一度行ってみようと思ったらしいのです。薄暗いうちに家を出て家から徒歩5分くらいのところにある横河電機 本社を中野サンプラザと思って、その前に佇んで昨日の余韻を楽しんでいました。そして夜が明けて通勤の人々が沢山来たので恥ずかしく なって帰って来たようです。このように正常でない行動が時々見られるようになりました。

  3. 2001年−現在
    2001年4月からデイサービスを利用してみようと言うことになり、市役所に相談して2箇所を紹介してもらい、4月から試行を始めました。 母は他人の世話になるのを極端に嫌う性格なのでまずは様子を見てみることにしたのです。

    しかし、それが軌道にのる前の2001年5月に左大腿部の骨折をしてしまいました。妹(三女)が母の家に行くと母は足が痛いとうずくまって いたのです。すぐに救急車で近くの病院に運び込み、手術が必要ということになりました。私と妹で手術の予定を聞きに行くと、医者から 本人は自分が骨折して病院に入院したことを理解できず、医者の言うことを聞かず、家に帰りたがるので手術は無理と言われました。 このため手術は断念し、4日で退院せざるを得ませんでした。その時から24時間介護が始まりました。

    その頃は私も2人の妹も働いていましたので、北海道の姉に出てきてもらい、何とか1ヶ月間しっかり介護しました。母は1ヶ月半くらいで動けるようになりましたので、 7月から週3回のデイサービスを開始しました。きょうだい4人及びその配偶者の一部の当番制による24時間介護を基本とし、 その中にデイサービスを週3回および自宅へのヘルパさんの派遣を週2回〜4回、1回当たり2時間を組み合わせることにしました。 デイサービスの送り迎えもヘルパさんに頼みました。2001年の介護認定は要介護3級でしたので26万円分まで利用できました。

    その後、母の体調は回復し、足の骨折も奇跡的にくっつき、歩けるようになりました。しかし、身体の方は調子が良いのですが、 痴呆の方は止めようがなく着実に進んでいます。 2003年7月から2004年2月の間は徘徊が非常に多くなりました。長いときには3時間も歩き続けたこともあります。その後は、徘徊は減少方向にあり、 その代わり幻聴が増えています。雑音、音楽、話などが四六時中聞こえているようです。2003年、2004年の介護認定は要介護4級で、30万円分まで利用できます。

    痴呆はどうしようもなく徐々に進んでいますが、体調は良く、生きる力、生命力は衰えておらず、毎日明るく暮らせていることが救いです。 現在のやり方、即ち、きょうだいが分担し合って母の家に通って面倒を見るやり方をできるだけ長く続けることが私たちの願いです。
(2004年5月14日)

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