介護レポート:2002年10月度
 「母は再び足が痛くなり、歩けなくなった。
しかし、1週間で回復した!」


今月、母の調子は中旬までは良かったのですが、10月23日(水)に突然左足の調子が悪くなりました。その日の当番の下の妹によれば、母は朝、左足をひきずってはいたが、それほど痛そうでなかったのでデイサービスに送り出したとのことでした。ただし、前の日は、落ち着きがなく、何回か玄関と門の間を行ったり来たりしたそうです。デイサービスの連絡帳のメモによれば、「左足をつかないようにする様子が見られ、左の股関節が痛い、とおっしゃることもありました」とありました。

午後からは私の当番でした。母はデイサービスから車いすで帰ってきて家に入るまでは、何とか自分で足を引きずりながら歩けました。しかし、一旦家に入り、畳に座り込むとその後は立ち上がれなくなりました。トイレも何回か這って行くのですが、トイレの入り口の段差が乗り越えられずあきらめていました。ベッドからの方が立ち上がりやすいのではないかと考え、ベッドに寝かせました。その後、状態は更に悪くなり、ベッドの上で寝返りもできなくなりました。時間が経つにつれてトイレに行きたくなったのですが、起き上がれないのです。そのときにハタと、このベッドが電動式で起き上がることができることを思い出しました。そこで電源をつなぎ、リモコンで操作してみました。ベッドはうまく起き上がり、母も座ることができ、やっと歩いてトイレに行くことができました。晩御飯もやっとの思いで食べさせ、ベッドに寝かせました。連絡帳のメモに、「明日、整形外科を受診することをお勧めします」と書いてありましたので、次の日、診療所の整形外科に連れていくことにしました。

次の日、木曜日のヘルパさんと口裏を合わせて、いつも通り「お楽しみ会」に行くと言って車いすで連れて行きました。母は病院へ行く、と言ったら絶対に行かないからです。診療所ではレントゲンをとり、診察をしてくれました。診断結果は、昨年の骨折の合併症が起きた、ということでした。骨折するとその部分の血管が損傷し、軟骨部分に血液が行かなくなり、脆くなり摩耗してきて関節部分がスムーズに動かないので痛い、ということでした。レントゲン写真を見せてくれましたが、確かに前回撮った写真では、関節部分のすりこぎ状の丸い骨が写っていますが、今回の写真はきざきざになっています。医者によると、「手術後、リハビリする力があるなら、手術により人工関節にするのが治療方法です」ということでした。母の場合、手術は無理なので手術しないとどうなるかを聞いてみると、「車椅子の生活になるでしょう。今後は周りの人が歩け、歩けと言わないことです。本人が自分の意思で部屋の中を歩くのは構わないでしょう。痛ければ自分で歩くことを止めますから」とのことでした。そして痛み止めの処方箋をもらって帰ってきました。帰ってからはできるだけベッドに寝かせました。ベッドからなら、何とか立ち上がることができ、歩いてトイレに行けるからです。

次の日の金曜日、デイサービスに行かせるべきかどうか迷いました。朝の様子をみていると足は少し痛いようでしたが、何とか歩けそうなので送り出しました。午後からは下の妹が当番でしたが、聞いてみるとデイサービスから帰った後、それほど痛いとは言わなくなり、快方に向かっているようだとのことでした。その後、徐々に良くなり、1週間くらいで元に戻りました。しかし、お医者さんの診断もありますから、もう無理に歩かせることは止めるよう皆で意思統一しました。しかし、これからも今回のようなことを繰り返すかも知れないと覚悟しました。

今月、母は絵を描かなかったのでその代わりに母との面白会話を記します。

○母との会話

1.母がお風呂に入っているときに手ぬぐいを渡しながら、
「この手ぬぐいで顔をよく洗ってね。そうすれば美人になるよ。」
「ワッハッハー、時、既に遅しだよ。」
 
2.テレビの党首討論会で社民党の土井党首の質問に対して小泉首相が一言で引き下がったのを見て、
「女性が余りに堂々としゃべったので、男性は気後れして一言しかしゃべれなかったね。」(母は耳が遠くてテレビの音がほとんど聞こえないのです。)
 
3.相撲のテレビを見て、
「この人たちはなぜ裸なの?」
「お相撲をしているからだよ。」
「あれ(ふんどし)が少しでもずれたら大変なことになるね。」
 
4.相撲のテレビを見て、
「男の人はここ(胸)が平らだから裸になれるね。女の人はここに余計なものがあるから裸になれないよ。しかし、私はこれ(オッパイ)で5人の子供を育てたよ。時間になると子供たちが私のオッパイを飲みに寄ってきたよ。オッパイが出てうれしかった。」

私の母です (2002年11月14日撮影)

(2002年11月14日)

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