介護レポート:2002年12月度

介護レポート:2002年12月度
 「札幌の姉がまた来てくれた!」


札幌の姉が、私の娘の結婚式出席と母の介護を兼ねて11月26日から12月7日まで来てくれました。姉にとっては12日間、毎日24時間介護しなければならず非常に大変で疲れたと思います。しかし、東京近郊組みにとっては大助かりです。特に私にとっては、娘の結婚式の前後を母の介護の心配なしに過ごすことができ、大助かりでした。
因みに、結婚式の日に母はどうしたかと言いますと、夜8時半までヘルパーさんに見てもらいました。できれば、母にも結婚式に出席してもらいたかったのですが、きょうだいで相談した結果、最終的には無理との結論になりました。結婚式が終わった現在考えてみますと、これは正解だったと思います。とても結婚式も披露宴も無理だったと思います。ヘルパーさんに見てもらうとしても7時間という長時間なのでうまくいくかどうか心配でした。そこで10月に一度予行演習を行い、その結果非常にうまく行きましたので、本番も同じヘルパーさんにお願いしたのです。
当日は水曜日でしたので、朝9時頃から午後1時半頃までは通常のデイサービスでした。姉は朝、母を送り出した後、結婚式場に向かいました。母は1時半頃デイサービスからヘルパーさんと帰ってきた後、同じヘルパーさんと一緒に夜8時半まで過ごしました。そのときの様子を後でヘルパーさんに聞きましたが、特に大きな問題はなかったとのことでしたが、気になったことは二つあったようです。一つは、夕食を食べることを何回言っても「お腹が一杯」と言って食べなかったそうです。二つ目は、門まで行って戻って来る行動を何回か行ったそうです。一度は近くのスーパーまで行ってしまったようですが、スーパーは工事中だったので入らず家に戻ったそうです。ヘルパーさんは若い方でしたが、落ち着いて冷静に良くやってくれました。感謝します。

今月の出来事はもうひとつありました。それは12月16日から母のデイサービスの時間が1時間短縮されたことです。今まで、デイサービスは、月、水、金の9時20分から13時40分まででしたが、12月16日からそれが1時間短縮されて9時20分から12時40分になりました。理由は、母は昼食を食べた後、落ち着きがなくなり、家へ帰りたがり、診療所で面倒を見切れなくなったためです。なぜそうなるか母の気持ちを想像すると、多分自分がなぜそこにいるのか理解できない上に、昼食を食べた後、代金を払わねばと思うが、財布を持っていないためどうしてよいか分からず、早くそこから抜け出したいと思ったのかも知れません。母は非常に頑固なところがありますから(最近それが特に強くなっています)扱いに困ることはよく分かります。それでもお昼まで行ってくれるのは大助かりですので、時間は短縮されてもデイサービスへ行ける状態が続くことを願っています。

大晦日には、女房が準備してくれたおせち料理の材料を使って母と二人でおせち料理の仕上げをしました。そのお蔭で母は、今日が大晦日であり、明日は元旦で自分の85歳の誕生日であることを理解しました。

母は、今年1年、いろいろな方々のサポート、即ち、ケアマネージャーさん、デイサービスの関係者の皆さん、ヘルパーさん、日頃声をかけて下さった近所の皆さん、 そしてきょうだい全員の配偶者の皆さんなどの沢山の方々のサポートにより元気で年を越すことができました。ありがとうございました。来年もよろしお願い申し上げます。

○母との会話

1.NHKの朝7時にニュースを見ていて、
「最近は、世の中が変わったね。昔は、男の人しか出ていなかったのに、今は女の人と二人で出ている。最近は女の人も男の人と同じように働くようになったんだね。だから最近は子供を余り生まなくなった。」

2.編み物をしていて、
「人間は年を取ると頭の働きが悪くなるのかい?」
「なぜ?」
「今、編み物をしていて気がついたけれど、前出来ていた簡単なことが出来なくなったから。」
「きっと、老化現象だよ。」
「人を傷つけないいい言葉を思いついたね。」

3.NHKののど自慢を見ていて、
「私も若かったら出たいな。」
「出てみたら?」
「年をとったからもうダメだよ。でも小さいときに学校の先生に言われて学芸会で一人で歌わされたことがあったよ。本当にうれしかった。一生忘れないよ。」

4.東京電力の社長がトラブル隠しの件で謝罪しているテレビニュースを見て、
「"弁解の余地はありません"なんて言っているのに威張っているね。騙されないようにしないとダメだよ。」
(2003年1月1日)

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