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介護レポート:2003年11月度
「再び札幌の姉に来てもらい、私は米ラスベガスへ!」

今月は私のわがままを許してもらった月でした。11/16から11/21までの間、アメリカのラスベガスで開催されていた COMDEXおよびCDXPOという二つのコンピュータの展示会を見に行ってきたのです。その間の母の介護は、 札幌の姉や妹たちに頼みました。姉は先月来てもらったばかりでしたが、無理を言って再び1週間来てもらいました。 この間、母は精神的に不安定で徘徊が多い日もあり、姉は疲れたようでしたが、無事1週間が過ぎました。1週間でしたが、 介護を中心とした日常の世界から非日常の世界に飛び出し、再び日常の生活に戻ると同じ風景が違って見えました。 介護も新鮮な気持ちでそして優しい気持ちで再び取り組むことができそうです。きょうだいに感謝です。

今月の母の調子は、身体的な面では今まで通り調子が良く、よく食べ、よく歩き、よく寝ることができました。 しかし、頭脳の方は痴呆が着実に進んでいるようで、物事の理解度が非常に悪くなっています。 その影響か精神的な面では独りよがりの頑固さが時々出ます。また、頭の中では現実の世界とは 異なるイメージの仮想社会に住んでいるようで、今居る自分の家が理解できず、自分の家は他にあると思い、 帰ろうとします。また目の前にいる自分の子供のことも覚えていないことに自分でもおかしいと気が ついて落ち込むときがあります。

徘徊は上記の痴呆の進行と関係があるとあると思います。今月の徘徊の実績は、徘徊実績に示すとおりです。1ヶ月の徘徊合計時間は763分で先月の848分より多少減っています。 徘徊の回数は余り正確ではありませんが、今月28回、先月32回でこれも先月より多少減っています。 徘徊1回当たりの平均時間は、今月27.3分、先月26.5分ですから、殆ど同じです。夕食後の徘徊回数は、 今月13回、先月6回ですから倍増しています。以上のことから、母の徘徊の状況は全般的には先月より悪くはなっていませんが、 夕食後が増えているという問題があります。これは実感としてもそのように感じています。その理由は、 多分痴呆が進み、いろいろなことの理解度が落ち、今居る場所が自分の家ではないと思っているために夜になる と帰ろうとするのだと思います。ここが自分の家であることを如何にして理解させるかが課題です。 それが納得できれば、きっと夜の徘徊はなくなると思います。

徘徊は精神的に良いときにも混乱しているときにも起きます。従って、基本的には24時間、誰かが見守って いるのですが、それでもちょっとした隙間に思わぬ出来事が起きます。ちょっと気を許した隙に出て行って しまうことは今までも何回かありました。しかし、直ぐに気が付いて追いかけて行って大事には至っていませんでした。 しかし、今月は夜中に2時間以上迷子になるというちょっと危ない出来事がありました。 今後このようなことを起こさないように事の顛末をまとめておきます。

○母の迷子事件
本件は、11/27に妹(次女)が当番のときに起きました。その日は夕食後、精神的に不安定であり、食後、午後7時半 から9時半までの間に5回も外に出て行きました。その都度、妹は付いて行きました。その後、 母はやっと落ち着き、しかし、服を着たままベッドにもぐり込んで寝たようです。妹は母が寝たのを確認してから コタツでうたた寝をしました。妹は現在働いており、週2日の休みの内、1日を介護のために泊り込んで くれています。日ごろの疲れのせいか、2時間程寝込んでしまい、気が付くと母がいなかったそうです。 慌てて隣の弟夫婦にも頼んで自転車3台で心当たりを探しました。しかし、どうしても見つからず、 弟が警察へ電話しました。そうしたら母は警察本署に親切な人に連れて来られていることが分かりました。 早速、弟の嫁さんの運転で引き取りに行き、無事1件落着しました。

母は家から徒歩20分くらいの関前三丁目あたりで迷っていたようです。いつもは行かないところなので妹 たちの探しの範囲には入っていませんでした。母が迷って歩いているときに50歳前後の親切な男性が 見かけ、様子がおかしいので「どうしたの?」と声をかけてくれました。「家への道が分からなくなった」 「住所は西久保2丁目」と言うことだったのでその近辺を一緒に1時間くらい探してくれたようですが、 見つかりませんでした。名前は言えず、住所も西久保2丁目までしか出てこなかったのでどうしょうもなく、警察へ連絡してくれたようです。 後で御礼に行ったら、「割烹着姿、サンダルで寒そうだったので俺のコート着せて一緒に西久保2丁目近辺 を探したが、見つからなかったので警察に連絡したよ。」と言っていました。親切な人に出会って本当に良かったと思います。

今回の反省から余り気軽には使わない条件で玄関のドアを内側から閉める鍵をつけることにしました。今までも妹からは鍵をつけた方が いいと言う提案はあったのですが、母が開けたいときに開かなかった場合にどのような行動をするか不安 だったのと、それが心の傷になって残るのではないかという不安で付けていなかったのです。 今回の事件で、人の親切の有難さを心から感じました。しかし、それに甘えていてはだめであり、 再度繰り返さないことを全員で誓いました。
 

○母の心の悲痛な叫び
母は精神的に落ち込んだときに、さらに落ち込んで行き、何を言っても受け付けなくなることがあります。 まるで、母の意識がブラックホールに吸い込まれて、脳の中の記憶回路と全くつながらなくなった ような感じがします。そのようなときに母は次のような独り言をつぶやいています。

何が何だか分からなくなった。自分がどうしてここにいるのか、何のために生きているのか、ここがどこか。 ただ生きているだけなら死んだのと同じだ。誰に聞いてもただ笑っているだけで教えてくれない。

このような状態に落ち込んだときには、どんなに説明して上げても、慰めて上げても、全く無駄です。 非常に可哀想で辛いのですが、じっと見守っているしかありません。しかし、そのような状態から引っ張り出す 準備として、母が関心を持ちそうな、母の自叙伝、母の画集、家族の年表、作業中の編物などを何となく 母のそばに置いておきます。

そうすると30分位経った頃から少しずつ精神的に上向きになり、目に入ったものに 目をやります。そのタイミングを捉えて、関心を持ったものをネタに話し掛けます。例えば、「私の人生」 という母の自叙伝に関心を持った場合、最初の1ページ目から写真を中心に説明してあげます。最初はいくら 説明しても「分からない」の連発ですが、そのうちに何かひとつ思い出します。例えば、父親の写真 のときに「お父さんはビール好きだった?」と聞いてみます。そうすると「好きだった」と答えたとします。 ひとつ思い出すとそれがきっかけで意識と記憶回路のつながりが広がっていきます。もちろん、アルツハイマー病 ですから、いつもの状態以上にはなりませんが、少なくともブラックホールに吸い込まれたような状態 からは抜け出してきます。今のところは以上のやり方が成功しています。

○肉野菜炒めを楽しそうに作っている母
  
(2003年12月22日撮影)

私が隣にいて材料を手渡ししたり、指示を一つ一つ出しています。

(2003年12月22日 第2版2004年1月13日)

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