マキ(宮本昌樹)の女装卒業式・謝恩会

      まだ昭和の時代に、化粧&女装して通学し、授業も、コンパも、ゼミ合宿も、卒業アルバムも、卒業式も、謝恩会も、そのスタイルで押し通してしまったのは、私自身の・恥知らずさも勿論ありますが、やはり、自由奔放な・東京の・私立大学だからこそ・許された事なのでありましょう。
      
     当日は、何浪もして入った人や、大学院まで進んだ同級生や、後輩達と、同時の学部卒業式となり、国語国文学科の卒業生では・7年生と言うのは・私ひとりのみでした。卒業証書授与式では、最後に名前を呼ばれて・立ち進み・礼拝して受け取ると、教授が「おめでとう! ! ! ! 」としっかり言ってくれ、意外にも・全満室の卒業生達が大拍手&喝采&指笛ピューピューで囃し立ててくれ、驚きと感激と照れ臭さとを味わいました。
     1984=S59.3.25,早稲田大学卒業式&謝恩会のスナップ集から。

     本人は、錯覚して、吉永小百合の気分! ! ! ?
     実際には、広末涼子の在籍する学部・学科・専攻の先輩に当たるのですが。
     マキは、今現在より遥かに若くて細いけれど、お化粧の何てドギツくて・下手クソだったこと! ! ! !


 
    卒論ゼミ合宿。軽井沢にて。
    東郷克美ゼミナール。

    私の卒業論文テーマは、

     三島由紀夫文学に見る同性愛的願望と貴族趣味
           「仮面の告白」を中心として・・・・・・・・・・


    
                                                           
   現役入学者同士・留年前の同級生・千葉のコーラス少年は、優秀で・大学院まで進み、学部を七年もかかって卒業の私と・同じ年に大学院を卒業。


    茨城・那珂湊の後輩にして、妹の同級生、川野太郎と野球部で同期生の、この青年とも、七年がかりの私は同年度の卒業生となる。

    茨城・水戸の後輩とも、卒業年度が一緒になる。


    卒業式が無事に終了後、いったん(近所の早稲田鶴巻町に住んで居たので。)帰宅してから、神田川を渡って・丘の上の目白〜関口台にある「椿山荘」での謝恩会に出席致しました。本人は、すっかり女子大生の気分で(笑い。)。

    このあとは、三十歳位迄ゲイボーイ業(ニューハーフ。)をやったら、かたぎに戻って・公務員か教員になろうと思いつつ、学生アルバイトではなく・専業ゲイボーイとなって・何の保証も安定性も無い水商売を続行してしまったのでした。
    

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