記事タイトル:来年から毎年、本祭り復活!!!!!!!!!! 


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お名前: マキ・宮本昌樹    URL
那珂湊の天満宮御祭礼(那珂湊八朔祭り。)は、来年以降は、本来の姿に戻って、
現代的に割り切ったシステムに変更して、毎年、本祭り執行と決定した、との、嬉しい知らせ。

年番実行不可能な小町内や、年番を出来る規模なのに・居祭り(社頭祭。)希望の町内は、待たずに・あっさり飛ばしてしまい、
年番を引き受けるだけの情熱家の多い町内だけで、毎年、本祭りを執行する事になった、とか。
もっと早く、そうするべきだったのになァ、と感じました。

ただ、ぬか喜びばかりはして居られない問題点も、幾つかは生じてしまいます。

(1) 本祭り当日の、天気の事(昭和の末と、2004=H16年の最終日は、台風によって、台無しにされてしまった。)が、まずは心配。

(2) 大町内が年番に当たった年は、年番と風流物(屋台。)出場と、両方果たせるけれど、年番町(当番町。)は、屋台欠場になる事が殆どである事。

(3) 日程が、近隣市町村とダブッてしまうと、芸者衆や・プロの民謡会は那珂湊しか乗らないので大丈夫としても、笛師が不足してしまう、と言う事。

(4) 結局、那珂湊の全風流物の、総曳き・勢揃いは、実現出来る年はあるのだろうか?と言う事。

(5) 来年(2008=H20。)、年番の・龍之口町は、新造して間もない・屋台も出場可能なのか?それとも、早くも欠場となってしまうのか?と言う、心配と・淋しさ。

(6) 小町内である・二町目・三町目・水門町・御殿町の屋台は、とっくに出さないのが当然になってしまって久しいから、諦めて居るが、
この頃、五町目と、六町目(昔は、獅子と、芸者屋台と、両方出して、なおかつ、年番まで引き受けたのに。)の屋台が、参加してくれない事。
4年振りの大祭だから、五町目も屋台を参加させて欲しいし、六町目も獅子が最優先の義務なのは解るが、屋台も久々に出して欲しいと願う事。

(7) 郊外の田園地帯が・急速に新興住宅地の大町内に成長した・相金町などが、新規に加わる事は、時代の変化だから、大賛成・大歓迎・良い傾向だと思うが、
最初の年は、町印と役人達の行列参加のみなのか?
それとも、気合いを入れて・屋台を新造するか?
屋台欠場の町内・もしくは屋台造り直しをした町内で不要となった旧屋台を購入するか借用して、屋台も参加出来るのか?
或いは、各町内が屋台を所有して居て・こだわりがあるので、地元・那珂湊では一度も曳かれた事の無い、K大工さん個人所有の数台のリース用の屋台にするのか?

(8) 大町内のひとつである、泉町が、来年の本祭りに向けて、屋台を新造中である、との噂の件。 
四町目の屋台(1923=T12。関東大震災以前。)に次いで古くて立派で、昭和初期(戦前。)の作品であり、
郊外の大仏坂の・四町目の屋台庫と並んだ屋台庫に保管してあったので、1945=S20の戦災にも・1947=S22の湊の大火にも無傷で残った、貴重な文化財なのに、
何故、部分部分を修復しながらでも、旧屋台を維持・保存・使用せず、新造屋台に乗り換えてしまうのか?
その執着心の無さと・飽きっぽさと、他町内に対する見栄とハッタリとで、そうしてしまう事が、非常に残念無念。
でも、もし、新・旧の両方を2台一度に参加させるだけの構え(例えば、芸者屋台と、民謡会とか、子供会とかに分けて。)なのだとすれば、御立派・凄い!!!!!!!!!!
或いは、既に、旧屋台の売却先か・貸出先が決定して居るのならば、文句は無し。

(9) 結局、来年の本祭りは、日時はいつなのか?
   年番町の、龍之口町は、ちゃんと屋台も参加させられるのか?
   泉町の旧屋台の、行く先はどうなるのか?
   総計、獅子と・弥勒との2台も含めて、風流物(屋台。)は何台出場となるのか?
   戦後最大規模位になるのか?

   誰か、教えて下さい。
   普段、故郷に居ない身の上なので、詳しく、正しい、情報が得たいのです。
   そうでないと、来年の夏、本祭りに合わせて里帰りをする予定が立てられません。

   那珂湊八朔祭り(湊天神祭。)、命!!!!!!!!!!のマキでした。

   草々。 

[2007年8月29日 1時16分36秒]
[2007年8月29日 1時26分33秒]

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