記事タイトル:BUNTEN様、有難う御座居まーーーーーす!!!!!!!!! 


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お名前: マキ・宮本昌樹    URL
  未だにお目にかかれぬ、大尊敬する、マルチな、ワイルド系・セクシー系・ナイスミドル系(きっと学生時代は、徹底したアイビーだったのでしょうね!!!!!?髪型やお髭などに名残りが見えますもの。)の、ぱんちょ清水様へ。
  いつも親切丁寧に・いろいろ教えて頂き、有難う御座居ます。
  ぱんちょさんの、正しい知識・マルチな感性・表現力・ユーモアのセンス・情熱・気合い・実行力などには、本当にグレードの高さと自信と余裕とを感じさせられ、羨ましい限りです。私より2〜3級先輩のBUNTENさんより更に2級先輩と言うことは、大大先輩ですものねえ、一生かかっても追いつきませんよ。これからも、いろいろ教えて下さいね!!!!!!!!!
  今年の夏祭りでこそ、是非、お目に掛かって、御挨拶と立ち話をしたいですし、お写真(ブロマイド。)も撮らせて頂きたいものです。
  お祭り以外でも、HPを拝見して、ぱんちょさんが勝田で幾つも経営なさっていらっしゃる素敵なこだわりのお店の場所や店名が判ったので、今度の里帰り時には、お邪魔したいなァ・・・とも考えて居ます。でも、大社長だから、いつでもお店に出ていらっしゃる訳ではないのでしょうから、予約が必要なのでしょうねえ、社長に会いたいと言うお客さん達の場合は。
  
  ところで、あれほど熱心だった、博多出身・水戸在住の、ニワカさんは、この頃ちっとも当掲示板に書き込みをして下さらず、淋しいですよねえ?もしこれを読んだなら、またお話をさせて下さいませね。待ってまーーーーーす!!!!!!!!!!  
[2004年1月14日 5時3分37秒]

お名前: マキ・宮本昌樹    URL
  BUNTEN様、吉田明神祭のVTR、全貌を、二日連続で、好きな箇所は何度も繰り返しながら、しっかり拝見致しました。
  もう二十数年前・高校生の時に見たのが最後の・下市御祭礼と、今回のVTRで拝見した・最新版の吉田明神祭とでは、幾分、変わったなァ・・・と感じました。
  BUNTENさんのアイデアによる・今風のアレンジと余興とは、別枠で・イベントとして拝見しましたので、とても楽しかったですし、遊び心が入る余裕がウキウキしました。
  さて、肝心の、伝統的な方のお囃子ですが、下市のお囃子って・あんなに全部はアップテンポではなかった筈(半分位は・江戸囃子風の速いテンポや・水戸のお神楽の速さだったけれど、あとは芸者囃子もあって・湊と全く同じ感じのスローテンポのお囃子だったのが、小学生の頃の記憶でした。)なのになァ、と驚きました。同じ水戸藩内の、相互協力や地縁血縁や商取引きによって・強く結びついた・山も越えずに平野伝いに・僅か8〜10kmしか離れて居ない・かつての商業都市同士で、こんなに祭り囃子が違って居るものなのでしょうか!!!?それとも、湊の人達は頑固に古い物を守り続けたが、水戸の下市の人達はここ二〜三十年の間に大幅な改良を試みたのでしょうか!!!?
  今回のVTRを拝見して、江戸近郊の・八王子祭りや・川越祭りや・高崎祭りを見物に行った時の記憶と交錯した感じで酔いしれました。
  それにしても、お祭りなので昼間っからお酒を飲んで居る筈なのに、きつね踊りの青年達は、とてもしっかりとした身振り手振りで踊り、動きづらい衣裳を着けて、ウルトラマンや仮面ライダーと同じ位に視界が狭くなる冠り物をかぶって、よくあれだけの(ハシゴ登りやら、危険が一杯、見て居てハラハラドキドキ。)スタントマンみたいなアクションを長い時間演じ切れるものだなァ・・・と感動しました。仮面をはずして・衣裳を脱いだら・どんなカッコイイおにいちゃん達が・汗だくになって・真剣な表情で入って居るのかしら!!!?と、エッチな私は性的な視点でも見てしまいました。きっと、皆さん、スポーツ万能の、敏捷な青年達なのでしょうね!!!?
  そして、「とっぴき」は水戸と湊とはほぼ同じ速度のお囃子だったけれど、「おっしゃい」の速度が・湊のがアダージオかアンダンテ位だとすると・水戸のは完全にアレグレットかアレグロで・しかもアクセルレイトですね!!!!!!その違いに驚きつつ、とても楽しくお勉強させて頂きました。
  もっともっとVTRを見て、細かく研究したいですし、マジに、近年中には、ライブであの熱狂の渦の中に身を置いて見たいです。
  まずは御礼まで。またお便り致します。草々。
[2004年1月10日 0時18分58秒]

お名前: マキ・宮本昌樹    URL
BUNTEN様、有難う御座居まーーーーーす!!!!!!!!! 
  若造り・トッちゃん坊やの・BUNTEN様、新年明けましておめでとう御座居ます。今年も宜しく御指導願います。
  年賀状をお出しする際、新町名が判らないので、勘で旧町名と屋号と本名とで出し、無事に届いて・私の派手派手の女装写真で初笑いをして下さると良いなァ・・・と思い、お忙しい方なので・お返事までは期待して居りませんでした(ゆっくりにでも、お返事くれたら嬉しいけれど、とは内心思いつつ。)。
  昼夜転倒型の不規則生活の私は、昨晩遅くに、水戸の市外局番の着信が昼間入って居る事に気が付きました(バイブにして寝て居るので。)。夜中なので・折り返し電話するのは失礼だと思い、一体誰からかしら!!?夏祭りで再会した・水戸の親戚?水戸在住の友達?と想像して居ました。
  本日午後、起き抜けに外出しようとした処へ・ピンポンが鳴り、宅急便です・・・との声。送り主を見て、BUNTENさんだったので、びっくり仰天!!!
  中身を見て、またもや、シェーーー!!!!!と狂喜・乱舞。年賀状のお返事と、御丁寧にお年賀(素敵な漆塗りの丸盆。)、吉田明神祭のプログラムと・実録ビデオ、那珂湊の獅子についての菊池恒雄さん(五町目の老舗・那波屋のおじちゃん。水戸の上市・藤沢小路の上級士族・小川家を介しての、古い親戚です。)の論文、と、まるで福袋を開けたようなキャーキャー状態になりました。
  本当に有難う御座居ました。予期せぬお年玉に、大喜びして居ります。
  吉田明神祭のVTRは、これから夜中にかけて・じっくりと拝見させて頂きます。時流に合わせて・伝統的お囃子とは別に組んで見たと言うレパートリー(ブラスバンド部出身者らしい発想。)の数々、楽しみです。
  私も、バタバタして居るので、すぐにはお送り出来ませんが、今月中には、昨年の湊八朔祭り時のVTR(連れのジョンが素人なりに必死で撮影。BUNTENさん達やSINクンが録ったのとは、時間帯や場所や着眼点がどのように違って居るのかは、見比べて見ないと判りませんが。)を、ダビングしてお送りしたいと思います。
  内容は、五町目の祭典事務所前での・小川町屋台前での・BUNTENさんとマキとの初対面&会話風景、元町みろくの実演、お下がりの為に明神町詰所へ集合して来る屋台(牛久保町の、水戸・大工町の芸者衆の、おっしゃいのラストと締めと・拍子木。とっぴきで、「どっこい、どっこい!!!」の掛け声でバックして入って来る、釈迦町の、磯節保存会。)、抽選で一番前だった小川町屋台の前ではしゃぐ若い衆達とBUNTENさん、全町内一斉に「四丁目」での出発(小川町をトップにしての。)、掲示場通過時に・釈迦町の若い衆達が突然クラッカーを抜いて景気付けし・びっくりしてお囃子が一瞬停止後・「四丁目」から「おっしゃい」に変わって前進、打ち上げ花火を聞き間違えたので・全屋台の出発が大幅に遅れ・まだ小川町と釈迦町と二台しか曳き抜けて居ないところへ・早くも先頭のささら獅子(六町目。)と年番&手古舞(四町目。)と御神輿(天満宮。)と火消し(和田町。)と各町内町印&役員達とでぼみろく(元町。)の大行列がさしかかって交差し、全屋台もお囃子「四丁目」をやめず、本来はひとつながりの筈の大行列が・間が大きく開いてしまったので・ふたつになってしまって明神町で交差する・そのクロスオーバー状態となって展開する様子と・両者錯綜する異なるお囃子の不思議なハーモニー、御神輿の行列が優先的に無事に通過後・三台目の殿山町屋台から再開始される引き抜け(〜ラストの泉町まで。)。お下がりのお供を終えて・再び自由連行になってからの(この時の、小川町屋台の楽屋からVサインを出してくれたBUNTENさんの写真を、私のHPに載せました。)、「おっしゃい」での・泉町と田中町との激突シーン(泉町が譲って・いったん後退し、田中町を行かせ、再び泉町が進行開始。)、夜祭りでの「かどづけ」。これは、録り方は素人で・画像が揺れたりするけれど・偶然にも面白くまとまったと思います(一時間弱。)。最終日の方は、和田町から出発時の「鎌倉」は見逃し、七町目の親戚宅の前に三脚を固定し、幅広の本通りを順番通りにお行儀良く一列でパレードする・おかえり行列の全貌(後半の屋台は全部「おっしゃい」。一時間半。)。バッテリー切れの為、引き返し組と進行組とのすれ違い光景や・ラストの「本町二丁目」は録れずじまい。
  楽しみにして居て下さいね!!!!!!!!!
  まずは、福袋?の御礼まで。
  これから、送って頂いたVTRを、ビール片手に拝見させて貰います。
  かしこ。
[2004年1月8日 19時1分37秒]

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