Sinクン、御無沙汰して居ります。マキです。
割り込みで、失礼致します。
那珂湊天満宮御祭礼の年番は、元禄時代に定められた旧・二十二町内のうち、郊外で農村部に掛かる十三奉行と、元来は武家屋敷街だった北水主町・南水主町とを除く、残り十九町内が交替で務めて居ました。
そのうち、昭和四十年代になって、小町内の三丁目と・水門町とが年番辞退をしたので、残り十七町内で交代制(17年に一度ずつ。)となりました。
更に、現在では、多分、やはり小町内の二丁目と・御殿町も年番辞退をして居ると想像しますと、年番制は・残る十五町内が廻す事になるのだと思われます(15年に一度ずつ。)。
1999=H11,年番・七丁目(本祭り。)。
2000=H12,年番・六丁目(居祭り。)。
2001=H13,年番・泉町 (本祭り。)。
2002=H14,年番・五丁目(居祭り。)。
2003=H15,年番・四丁目(本祭り。)。
2004=H16,年番・明神町(本祭り。)。
2005=H17,年番・三丁目(居祭り。)。
2006=H18,年番・水門町(居祭り。)。
2007=H19,年番・二丁目(居祭り。)。
2008=H20,年番・御殿町(居祭り。)。
2009=H21,年番・一丁目(本祭り?)。
2010=H22,年番・龍之口町(本祭り。)。
この順番の筈ですので、必ず小町内が続く4年間は本祭りは無いので(私が子供の頃から。)、一丁目が年番を引き受けてくれれば・4年間の空白を打ち破って・5年振りの本祭りとなりますが、
もし一町目までもが年番を断れば・5年間もの空白が出来てしまい・龍之口町が年番を受けて・やっと6年振りの本祭り実行と言う事になってしまいます。
小町内が続く時期は、合同年番にしてまで・本祭りを実施するか、氏子総代会と・各町内の代表役員が一致団結して、年番の役目を代行してまで、本祭り実施を・・・・・・・・との声が、昭和五十年代から・市民レベルでは叫ばれて来ましたが、未だに改善されません。まことに残念な事実と現象であります。
[2006年3月9日 23時50分11秒]