水戸地方お囃子研究所の、多分、リーダーでいらっしゃる、bunten様へ。
この度は、無事に相互リンク成立、有難う御座居ました。光栄の至りです。
御指摘のありました、那珂湊の本四丁目の彫刻屋台の写真の件ですが、もし本七丁目が年番の年なら・芸者ではなく・地元の保存会だった筈・との御意見。
昔から四丁目は、芸者囃子しか載せませんし(那珂湊。笠間。水戸の谷中。牛久保町は、水戸の大工町。日立の旭町を呼ぶ町内もあり。)、よく支度を見て下さい。
磯節保存会・地元のお囃子保存会の女性達だったなら、芸者スタイルの日本髪のかつらは冠らず・普通のアップヘアーの筈ですよね。
それと、お化粧法も、芸者さんではなかったら、顔・首・胸元・背中まで白塗りにはせず、普通のファンデーションの筈ですよね。
また、芸者囃子の特徴として、大太鼓は必ず、年配の太目の芸者さん(ベテラン・置屋のおかみさんクラス。)が叩いて居ますので、よく見て下さい。
と言う訳で、御指摘の四丁目の屋台の写真は、やはり芸者衆が載り込んだ年の物であります。納得して下さいませ。
今年八月末、和田町の新造屋台の初お披露目は、一体どれ程の贅を凝らした物なのか、今からワクワクしちゃいます。
各町内競い合って、おまつり全体がグレードアップして行き、各町内の屋台にあまり格差がなくなって行くのは、良い傾向・風潮だと思います。
[2003年5月7日 15時15分26秒]