記事タイトル:来年から毎年、本祭り復活!!!!!!!!!! 


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お名前: BUNTEN   
マキ様 どうもです。
>「投稿禁止語句が含まれています。」と表示されて、あっけなく消えてしまいました。
  
これは ショックで、 特に オンラインで書き込んでいると、
  てめーどうしてくれんだよぉー とおもっても 消えます。 書き込みに費やした10分間?どうしてくれんだっぺやぁー
  平磯では おいたよぉ〜 という表現があてはまります
ですので、 txtで 書いてから コピー&ペーストしてください。
>泉町の新造屋台の件ですが
来年の 夏までには 完成のようです。

彫刻は 現行のものを使うようなので 鬼板 懸魚 は そのままか? とおもいます。が 未定です。
三層屋根については、私は 個人的には さんせいです。(他の屋台と同じになってしまうとおもうかもしれませんが)
大大工(おおだいく?)の 造った 小川町の屋台が基準のようで、それに関与した大工さん(弟子?)が 和田 龍の口と
造ったわけで、歴史的なながれとしては まっとうなものとおもいます。
三層構造の破風の屋台は、私は 那珂湊以外では見た事もはなく、独自なものと思います。
(このへんは いわねぇさんとか 石土さんに聞きたいところです)

>本体や欄干は・古式の黒漆塗り、提灯は赤色の、伝統的な屋台なら良いなァ、

この辺は 多分泉町の 若連さんとかの 好みでしょうね?
黒塗りにしないのは、材料の良いところを 見せるためのようです。(よくはわかりませんが? がせねたか?)
和田が良い例で 材料は 目のつんだ すばらしく良いヒノキ?のようです。(よくはわかりませんが? がせねたか?)
当 水戸の本町の屋台も ベイつが?だったか うしろの部分は黒くしませんでした。

材料的には どうも 米ひばが 今は主流のようです。目摘んでいて 日本の物よりもいようです。(よくはわかりませんが? がせねたか?)
 
田中町は 初め白木で あとは 黒くしたと思いますが 記憶が よくわかりません。
提灯は 古くからの町印なのでしょうか?あまり かえないともいますがね-
泉町も大きな町内なので 良い屋台になるとおもいます。たぶん
また情報があれば アップします。 (でも 大工さんを少ししっているだけなので ?です。) 

No.813 - 2007/09/06(Thu) 23:45:41
[2007年9月7日 13時28分33秒]

お名前: シン   
すいません。
泉町が屋台を造ってるとは聞いてますが、後はわかりません。
知り合いもいないし・・
立派な屋台になってほしいです。


[No.366] 2007/09/06(Thu) 15:03:27
[2007年9月6日 16時54分42秒]

お名前: マキ・宮本昌樹    URL
すみません、もっと詳しく教えて下さい。

泉町の新造屋台が、正面に提灯を飾らない事と、軒先の丸い提灯を白地に変える事は、判りました。

もっと知りたい肝心な点は、屋根は三層式なのかどうか、
本体は黒漆塗りなのか・白木造りなのかどうか、
欄干(手すり。)は黒漆塗りなのか・朱色漆塗りなのかどうか、
前柱にまで彫刻を施すのかどうか、
全体的に彫刻のテーマは・また龍が中心なのかどうか、などなどの点です。

あと、旧屋台は、どうするのか?も、知りたいです。


[No.365] 2007/09/06(Thu) 01:17:02
[2007年9月6日 1時22分52秒]

お名前: みなとっ子   
 割り込みでスミマセン・・・

 新しくした山車の正面には、町名の提灯は飾りませんね。横にある提灯も白ですし、個人的には赤より白の方が近代的でいいと思います。確か、釈迦町か牛久保が山車を新しくした時に赤から白にして、段々と白が主流なんですかね??

 それより商店街のピンクの提灯が気になって仕方ないです!!

 


[No.364] 2007/09/06(Thu) 00:20:56
[2007年9月6日 1時19分38秒]

お名前: マキ・宮本昌樹    URL
シン君、私からの・我儘な質問に対して、ひとつひとつ・とても親切丁寧な情報提供と・お答えを頂き、有難う御座居ました。
 
もう一点だけ、どうしても、気になって仕方が無い件、質問してよろしいですか? 

それは、例の、泉町の新造屋台の件です。
和田町や龍之口町と同じ宮大工さんの製作となると、
屋台前面の唐破風屋根を、最近流行の三層式の・黒漆塗り・金具にしたり、前柱にまで彫刻を施したりするのは、レベルアップと言う感じがして・賛成なのですが。
またもや本体や欄間を白木にしてしまい、欄干(手すり。)を朱色漆塗りにしてしまい、提灯は白地にしてしまうのでしようか?
まァ、それはそれで、素敵で、斬新で、小粋な感じはするのですが。

四町目・泉町・明神町の・伝統的な三台は、全体的に黒漆塗りで、提灯は赤色でした(新造でも、釈迦町・七町目・牛久保町などは、提灯は白地でも、屋台全体は黒漆塗りでした。)。
  
三層屋根で、本体は白木、欄干は朱色、提灯は白地、と言うパターンは、小川町・田中町・和田町・龍之口町と・四台も続いたので、もうそろそろ、よろしいのではないのでしょうか?

泉町の新造屋台も、また最近流行のパターンに仕上がるのでしょうか?
三層屋根は賛成だけれど、本体や欄干は・古式の黒漆塗り、提灯は赤色の、伝統的な屋台なら良いなァ、と期待してしまいます。

シン君個人の、好き嫌いや・価値観から言うと、どう思われますか?


[No.363] 2007/09/04(Tue) 01:16:03
[2007年9月4日 1時25分59秒]

お名前: マキ・宮本昌樹    URL
BUNTEN様、御親切な、情報提供を、有難う御座居ます。

ところで、何度も再打ち込みをしたのですが、以前にもあったように、「投稿禁止語句が含まれています。」と表示されて、あっけなく消えてしまいました。
何ひとつ、差別用語も、使用して居ないつもりなのですが。
不可思議、原因不明、不如意、珍文漢文。
さァ、今度はすんなりと受け入れて貰えるでしょうか?

例の、泉町の新造屋台の件です。
和田町や龍之口町と同じ宮大工さんの製作となると、
屋台前面の唐破風屋根を、最近流行の三層式の・黒漆塗り・金具にしたり、前柱にまで彫刻を施したりするのは、レベルアップと言う感じがして・賛成なのですが。
またもや本体や欄間を白木にしてしまい、欄干(手すり。)を朱色漆塗りにしてしまい、提灯は白地にしてしまうのでしようか?
まァ、それはそれで、斬新で、小粋な感じはするのですが。

四町目・泉町・明神町の・伝統的な三台は、全体的に黒漆塗りで、提灯は赤色でした(新造でも、釈迦町・七町目・牛久保町などは、提灯は白地でも、屋台全体は黒漆塗りでした。)。
  
三層屋根で、本体は白木、欄干は朱色、提灯は白地、と言うパターンは、小川町・田中町・和田町・龍之口町と・四台も続いたので、もうそろそろ、よろしいのではないのでしょうか?

泉町の新造屋台も、また最近流行のパターンに仕上がるのでしょうか?
三層屋根は賛成だけれど、本体や欄干は・古式の黒漆塗り、提灯は赤色の、伝統的な屋台なら良いなァ、と期待してしまいます。

BUNTENさん個人の価値観から言うと、どう思われますか? 

No.812 - 2007/09/04(Tue) 00:46:26
[2007年9月4日 1時0分33秒]

お名前: マキ・宮本昌樹    URL
BUNTEN様、御親切な、情報提供を、有難う御座居ます。

ところで、何度も再打ち込みをしたのですが、以前にもあったように、「投稿禁止語句が含まれています。」と表示されて、あっけなく消えてしまいました。
何ひとつ、Hな事も、差別用語も、使用して居ないつもりなのですが。
不可思議、原因不明、不如意、珍文漢文。
さァ、今度はすんなりと飛ぶでしょうか?

泉町の新造屋台の件です。
和田町や龍之口町と同じ宮大工さんの製作となると、
屋台前面の唐破風屋根を、最近流行の三層式の・黒漆塗り・金具にしたり、前柱にまで彫刻を施したりするのは、レベルアップと言う感じがして・賛成なのですが。
またもや本体や欄間を白木にしてしまい、欄干(手すり。)を朱色漆塗りにしてしまい、提灯は白地にしてしまうのでしようか?
まァ、それはそれで、素敵で、斬新で、小粋な感じはするのですが。

四町目・泉町・明神町の・伝統的な三台は、全体的に黒漆塗りで、提灯は赤色でした(新造でも、釈迦町・七町目・牛久保町などは、提灯は白地でも、屋台全体は黒漆塗りでした。)。
  
三層屋根で、本体は白木、欄干は朱色、提灯は白地、と言うパターンは、小川町・田中町・和田町・龍之口町と・四台も続いたので、もうそろそろ、よろしいのではないのでしょうか?

泉町の新造屋台も、また最近流行のパターンに仕上がるのでしょうか?
三層屋根は賛成だけれど、本体や欄干は・古式の黒漆塗り、提灯は赤色の、伝統的な屋台なら良いなァ、と期待してしまいます。

BUNTENさん個人の趣味・嗜好・センスから言うと、どう思われますか?
[2007年9月4日 0時19分20秒]

お名前: シン   
お久しぶりです。
来年から毎年行われるのはうれしいですが、やっぱり問題も多いみたいです。
あんまり詳しく知りませんが
(1)はしょうがないですね。雨でもみんながんばるしかない。
(2)は年番でも大きい町内は出せると思うんですが、たぶん出さないと思います。
(3)は笛師はいっぱいいるから大丈夫だと思います。心配なのはお神輿のほうですが湊は朝なので大丈夫だと思います。
(4)かなり不可能だと思います。なんかのイベントでできればいいけど・・
(5)来年は屋台は出ないみたいです。
(6)五町目は去年のみなとフェスタに出たような??たぶんこれからも出るんじゃないですかね??
六町目の屋台はどっかに売っちゃったみたいです。
(7)話が出たみたいですがどうなったんだろう??
(8)今、新造中って聞きました。
(9)とりあえず8月はじめで来年は様子見になりそうです。まだいろいろ変わりそうな感じです。

これから毎年できるのはいいけど規模はかなり小さくなる気がします。


[No.362] 2007/08/31(Fri) 11:05:21
[2007年8月31日 17時4分54秒]

お名前: BUNTEN   
マキ様 お元気そうで なりよりです。
泉町の屋台は 和田町 龍の口の屋台製作した 大工さんが 造るようです。
日程は まだ未定のようで 
8月初旬だと お神輿の担ぎ手が 黄門祭りとぶつかるので 不足の問題もあるようです。

詳しくは また レスします。 

No.811 - 2007/08/30(Thu) 13:24:35
[2007年8月31日 17時2分8秒]

お名前: マキ・宮本昌樹    URL
那珂湊の天満宮御祭礼(那珂湊八朔祭り。)は、来年以降は、本来の姿に戻って、
現代的に割り切ったシステムに変更して、毎年、本祭り執行と決定した、との、嬉しい知らせ。

年番実行不可能な小町内や、年番を出来る規模なのに・居祭り(社頭祭。)希望の町内は、待たずに・あっさり飛ばしてしまい、
年番を引き受けるだけの情熱家の多い町内だけで、毎年、本祭りを執行する事になった、とか。
もっと早く、そうするべきだったのになァ、と感じました。

ただ、ぬか喜びばかりはして居られない問題点も、幾つかは生じてしまいます。

(1) 本祭り当日の、天気の事(昭和の末と、2004=H16年の最終日は、台風によって、台無しにされてしまった。)が、まずは心配。

(2) 大町内が年番に当たった年は、年番と風流物(屋台。)出場と、両方果たせるけれど、年番町(当番町。)は、屋台欠場になる事が殆どである事。

(3) 日程が、近隣市町村とダブッてしまうと、芸者衆や・プロの民謡会は那珂湊しか乗らないので大丈夫としても、笛師が不足してしまう、と言う事。

(4) 結局、那珂湊の全風流物の、総曳き・勢揃いは、実現出来る年はあるのだろうか?と言う事。

(5) 来年(2008=H20。)、年番の・龍之口町は、新造して間もない・屋台も出場可能なのか?それとも、早くも欠場となってしまうのか?と言う、心配と・淋しさ。

(6) 小町内である・二町目・三町目・水門町・御殿町の屋台は、とっくに出さないのが当然になってしまって久しいから、諦めて居るが、
この頃、五町目と、六町目(昔は、獅子と、芸者屋台と、両方出して、なおかつ、年番まで引き受けたのに。)の屋台が、参加してくれない事。
4年振りの大祭だから、五町目も屋台を参加させて欲しいし、六町目も獅子が最優先の義務なのは解るが、屋台も久々に出して欲しいと願う事。

(7) 郊外の田園地帯が・急速に新興住宅地の大町内に成長した・相金町などが、新規に加わる事は、時代の変化だから、大賛成・大歓迎・良い傾向だと思うが、
最初の年は、町印と役人達の行列参加のみなのか?
それとも、気合いを入れて・屋台を新造するか?
屋台欠場の町内・もしくは屋台造り直しをした町内で不要となった旧屋台を購入するか借用して、屋台も参加出来るのか?
或いは、各町内が屋台を所有して居て・こだわりがあるので、地元・那珂湊では一度も曳かれた事の無い、K大工さん個人所有の数台のリース用の屋台にするのか?

(8) 大町内のひとつである、泉町が、来年の本祭りに向けて、屋台を新造中である、との噂の件。 
四町目の屋台(1923=T12。関東大震災以前。)に次いで古くて立派で、昭和初期(戦前。)の作品であり、
郊外の大仏坂の・四町目の屋台庫と並んだ屋台庫に保管してあったので、1945=S20の戦災にも・1947=S22の湊の大火にも無傷で残った、貴重な文化財なのに、
何故、部分部分を修復しながらでも、旧屋台を維持・保存・使用せず、新造屋台に乗り換えてしまうのか?
その執着心の無さと・飽きっぽさと、他町内に対する見栄とハッタリとで、そうしてしまう事が、非常に残念無念。
でも、もし、新・旧の両方を2台一度に参加させるだけの構え(例えば、芸者屋台と、民謡会とか、子供会とかに分けて。)なのだとすれば、御立派・凄い!!!!!!!!!!
或いは、既に、旧屋台の売却先か・貸出先が決定して居るのならば、文句は無し。

(9) 結局、来年の本祭りは、日時はいつなのか?
   年番町の、龍之口町は、ちゃんと屋台も参加させられるのか?
   泉町の旧屋台の、行く先はどうなるのか?
   総計、獅子と・弥勒との2台も含めて、風流物(屋台。)は何台出場となるのか?
   戦後最大規模位になるのか?

   誰か、教えて下さい。
   普段、故郷に居ない身の上なので、詳しく、正しい、情報が得たいのです。
   そうでないと、来年の夏、本祭りに合わせて里帰りをする予定が立てられません。

   那珂湊八朔祭り(湊天神祭。)、命!!!!!!!!!!のマキでした。

   草々。 
[2007年8月29日 1時16分36秒]

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