記事タイトル:出島の男囃子? 


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お名前: 石土   
こんにちは。男囃子の詳細、有難うございました。現霞ヶ浦町、元の出島村の囃子となれば、石岡流のひょっとこ囃子だと思います。この1年限りということは、やはり当時でも那珂湊にひょっとこ囃子は珍しかったのでしょうね。勝田のひたちなか祭りや水戸下市吉田神社祭礼では、そのようなキツネやひょっとこの囃子を見ることができますが、湊では旧来の芸者囃子が残っているのも、「保守的で・排他的」な部分が良い方向に向いているのではないでしょうか。伝統を守れることも、大変な労力だと思っています。だからこそ、見に行っても見ごたえがあるのだと思います。

また判らないことがあったら、教えてください。有難うございました。
[2004年9月22日 19時21分44秒]

お名前: マキ・宮本昌樹    URL
石土さん、流石に御熱心で、チェック細かいですね。
昭和52年の大祭から、急に屋台に芸者衆を載せる町内が減り(もしくは、芸者衆が不足気味となり。)、半分程度となって行きました。
私も、当時の新聞(茨城新聞だったと思います。)の予告を見て、湊に男囃子はウケないのになァ・・・と感じた記憶があります。
尤も、明治末期に電線が張られる以前は、手踊り屋台は二〜三台程度で、あとは全部・背の高い山車・風流物で、しかも男囃子が主流だったと、郷土資料にも書いてありますが。
このS52の・殿山町の屋台に招かれた「出島の男囃子」とは、おそらく、水郷・出島村の人達か、それらに詳しい石岡の囃子連かと思われます。
あくまで、見出しは、「出島の男囃子」でした。
非常にアップテンポで・軽快で・ややせっかちで・湊では耳にしない感じのお囃子で、江戸囃子(川越・八王子・高崎なども。)系の、それもお神楽風のお囃子でした。
しかも、屋台前面に立って笛を吹き、狐・おかめ・ひょっとこ等のお面をつけた人が踊って居り、これも湊では異質の雰囲気だったのを覚えて居ます。
関東地方の何処のお祭りへ行っても、江戸囃子・男囃子が主流で当然なのに、那珂湊(と、その模倣と言われる・平磯祭り。)だけは独特の好みのようです。
好き嫌いは、個人差があり、私個人は・出島の男囃子も混じって面白いと感じましたが、女の色っぽい囃子じゃなきゃ厭だと言う声が多かったようで、この年一度限りの出演となってしまいました。
湊の気風は・開放的な筈なのに、郷土民謡や・祭り囃子に関しては、頑固で・保守的で・排他的な面があるようです。
[2004年9月21日 22時42分36秒]

お名前: 石土   
マキさん、こんにちは。先日はリンク有難うございました。
過去の画像を見ていて気になったのですが、昭和52年の殿山町屋台の説明に「(先代。借り物。出島の男囃子。)。」とありました。
この出島とは、場所は何処でしょうか?
またお囃子はどのような雰囲気でしたか?
昔は那珂湊は芸者さんのお囃子だったろうと思っていたので、男囃子という表現が気になりました。
[2004年9月21日 21時3分8秒]

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