石土さん、流石に御熱心で、チェック細かいですね。
昭和52年の大祭から、急に屋台に芸者衆を載せる町内が減り(もしくは、芸者衆が不足気味となり。)、半分程度となって行きました。
私も、当時の新聞(茨城新聞だったと思います。)の予告を見て、湊に男囃子はウケないのになァ・・・と感じた記憶があります。
尤も、明治末期に電線が張られる以前は、手踊り屋台は二〜三台程度で、あとは全部・背の高い山車・風流物で、しかも男囃子が主流だったと、郷土資料にも書いてありますが。
このS52の・殿山町の屋台に招かれた「出島の男囃子」とは、おそらく、水郷・出島村の人達か、それらに詳しい石岡の囃子連かと思われます。
あくまで、見出しは、「出島の男囃子」でした。
非常にアップテンポで・軽快で・ややせっかちで・湊では耳にしない感じのお囃子で、江戸囃子(川越・八王子・高崎なども。)系の、それもお神楽風のお囃子でした。
しかも、屋台前面に立って笛を吹き、狐・おかめ・ひょっとこ等のお面をつけた人が踊って居り、これも湊では異質の雰囲気だったのを覚えて居ます。
関東地方の何処のお祭りへ行っても、江戸囃子・男囃子が主流で当然なのに、那珂湊(と、その模倣と言われる・平磯祭り。)だけは独特の好みのようです。
好き嫌いは、個人差があり、私個人は・出島の男囃子も混じって面白いと感じましたが、女の色っぽい囃子じゃなきゃ厭だと言う声が多かったようで、この年一度限りの出演となってしまいました。
湊の気風は・開放的な筈なのに、郷土民謡や・祭り囃子に関しては、頑固で・保守的で・排他的な面があるようです。
[2004年9月21日 22時42分36秒]