平成22年9月の中国漁船衝突事件以来脚光を浴びている尖閣諸島に関する珍しい事件と若干個人的な関係のお話を例年の財政金融ジャーナル新春随想に載せました
 (ところでその財政金融ジャーナルが今月限りで休刊になるとの知らせが届きました 平成17年以来7年連続書かせて頂いた新春随想もこれが最後となりそうです ご愛読有難うございました)

 下2枚が上空からの尖閣諸島魚釣島の写真(平成4年10月)です

   







 次は高貴の鳥翡翠(上2枚の写真)のお話、 続いて身につまされる「親心の今昔」、学問の神様天神様のお話、ちょっと珍しい話と最後はお役所仕事の実話です
 
 


      天神様
 明けましておめでとうございます。
お正月と共に多くのご家庭で受験シーズンを迎えておられることでしょう。受験といえば神頼みは天神様です。日本の3大天神様とは、本家太宰府の天満宮、朝廷が後に菅公の霊を鎮めるためにお祀した北野天満宮と、配流の旅立ちに伯母上様に別れを告げるため立ち寄られた大阪天満宮です。残念ながら、いずれも京都以西にあるので、東国からは簡単にはお参りに行かれません。
 関東の3大天神様は、湯島天神、亀戸天神と国立市の谷保(やほ)天満宮です。一般には湯島天神が、大学の集っている文京区にあるのと、泉鏡花の「女系図」で有名になったのとで代表格に扱われています。けれども由緒からいえば、谷保天満宮は道真公に連座して武蔵国国府(今の調布市)に流されていた御3男の道武公が、父君薨去の悲報を伝え聞いて建立されたものですから、関東では断トツ、全国版です。南武線で立川から3駅目谷保駅のすぐ南側甲州街道沿いに、武蔵野の雑木林の面影が残る閑静な境内があります。武蔵野名物のハケ(段丘)が、境内を縦に通り、雑木林がその上に、簡素な社殿がその下にあります。社殿裏手にはハケから涌き出した清水が冷たく澄んだ池となって参詣客を清々しく厳かな気分にしてくれます。
 藤棚と太鼓橋で知られている亀戸天神は、江東区亀戸3丁目にあります。ここは寛文2年(1662年)につくられた神社で、不吉なこと、悪いことを嘘に替えてしまうという、「ウソ替え神事」でも有名です。
 さて、肝心のお参りのしかたです。正式に昇殿してお祓いをして頂くのから、絵馬を奉納したり、お札を頂いたりと色々あります。私の知人のその道の権威によれば、お参りの御利益(ごりやく)は結局お願いする人の熱意、つまり受験生本人なら本人の勉学努力次第、親御さんの場合は親御さんの熱意次第で決まるそうです。といっても、相手は学問の神様ですから、お賽銭の多寡やお札の大きさなどお金の面で奮発しても効果があるとは限らないそうです。
それではどうしたらよいかというと、熱意を態度で示す昔ながらの方法は巡礼です。関東3大天神様を巡り歩いてお参りするのが一番だそうです。3大天神様を巡るだけなら直線距離で30キロ強ですからたいしたことはありません。さらに完璧を期するなら、自宅―子供の在学校―3大天神様―志望校―自宅と徒歩で巡るのが最も霊験あらたかだということです。勿論全行程を一日で歩く必要はなく、年明け後受験日までに、何日かに分けて、途中歩き洩れ無いように歩けばよいそうです。
父母揃って歩けば、合格祈願だけでなく、中年の健康増進にも、夫婦の対話復活にもなる、とその知人は言っていました。
めでたく合格のほどお祈り申し上げます。
(2008年1月財政金融ジャーナル)
 
 電卓のゴキブリ
 今から30年余り前、私は大蔵省主計局の主査という予算編成の末端の現場で、徹夜に次ぐ徹夜の日々を送っていた。漸く電卓が普及し始めた頃で、当時としては高性能の機種を支給され、これを駆使して毎日無数の計算を繰り返していた。
 11月も押し詰まり、予算編成も大詰めを迎える頃、時々変な答えが出るようになった。徹夜疲れで入力の注意が散漫になったのかと、気をつけて再度入力しても、とんでもない異常な答えが出ることがある。故障かと思っていると、今度は幅25cm程のウィンドウのガラスの裏になんと一匹のゴキブリが姿を現した。
 その頃役所の大部屋に住み着いていたゴキブリは、皆さん家庭でおなじみの黒光りのする4〜5cmの大きな奴ではなく、せいぜい1.5cm位の飴色の小型種だった。これが日頃から、机の上に山と積まれた書類の上を、我が物顔でちょろちょろと走り回っていた。何しろ前近代的な職場だったから、毎朝廊下には出前の食べ残しの皿丼が積み重ねられているし、机の周りには徹夜しのぎの菓子やつまみ類の食べこぼしが散乱しているという、まさにゴキブリの楽園。また、当時の電卓のウィンドウは勿論まだ液晶ではなくて、ゼロから9までの数字を重ねたネオン管の上をガラスで覆ったものである。
 そのウィンドウのガラスの内側にゴキブリが現れたので、流石に驚いて電卓の裏蓋を開けて見ると二度吃驚、ウィンドウの裏のネオン管の配線の後ろに、無数のゴキブリがびっしり張り付いていた。一匹毎に体の割には大きな2つの黒いつぶらな目があり、その無数の目が一斉に、恨めしそうに、敵意むき出しでこちらを睨んでいる。驚きを通り越して感嘆の境地、忘れがたい光景だった。察するところ、夜通しついている電卓のネオン管は相当の熱を持っており、その裏はゴキブリが寒さを凌ぐねぐらとして理想的だったのであろう。
 このことがあってから、椅子の後ろの壁際にゴキブリホイホイを2箱置いて、毎朝、今日は何匹入ったと喜んでいた。部屋の主みたいなおばさんから、「主査、ゴキブリ飼ってるみたいね」と冷やかされていた。「こんなにゴキブリがはびこっているのは誰の職務怠慢のせいでしょうかね」といってやりたいところだが、なにしろ相手は女子挺身隊で徴用されてきた女学生が戦後そのまま居ついたという大物だから、とても口には出せない。

 後日談がふたつある。ひとつはこの懐かしい飴色ゴキブリとの、思いもよらないところでの再会である。20年程経って、日本銀行の幹部食堂で毎日昼食をとるようになった。その名前からもイメージされる通り、白いテーブルクロスがまばゆい、タキシード蝶ネクタイが恭しくサーブしてくれる高級感漂う食堂である。ある日総裁と同じテーブルに就いていたら、その白いテーブルクロスの上を飴色ゴキブリが走った。隣席の同僚が、見たこともないものが現れたという感じで慌てている中、昔馴染みの私は、慣れた手つきですばやく素手でテーブルからはたき落とし、床に落ちたところを足で踏み潰して一件落着。懐かしい飴色がここにもいたのかと、それ以来急に日銀に親近感を覚えるようになった。
 もうひとつは無数の目に恨めしそうに睨まれる話。やはり電卓事件から20年近く経ったある日、大きな宴会の主任幹事を務めた。お客さん達がお帰りになった後、ご苦労様と、幹事団だけ少しの間残り、残った酒で飲み直していた。手洗いに立つため障子を開けて廊下を見ると、揃いの小豆色の絣の着物に身を包んだ大勢の仲居さん達が、二列に廊下に座って、早く帰れとばかり恨めしそうな目で、一斉にこちらを睨んでいた。その大広間で終業のミーティングをやるため集まっているのに我々が粘っているため廊下で待っているのだった。おや、この目の感じどこかで遭遇したことがあるな、と思い出したのが、忘れていた20年前の電卓の裏側の光景だった。これはいかんと慌てて、早々に退散したというお話。



横山大観の生々流転

 昨年1月23日から3月3日にかけて、六本木の国立新美術館で横山大観展が開催され、多くの入場客で賑った。とりわけ人気を呼んだのは全長40メートルを超える水墨絵巻「生々流転」で、二重三重にびっしりと観覧者が貼り付いていた。山中の霧から出来た水滴が集ってせせらぎとなり、渓流、川から大河へと水嵩を増し、山から田舎、町から都会を流れ流れ、遂には海に注ぎ、最後は龍となって天に昇るという壮大な、大観55歳時の代表傑作である。東京国立近代美術館が昭和48年度に1億円で購入したのだが、久し振りにこの名作に出会い、関係者のひとりとして当時のいきさつを懐かしく思い出した。

 この頃の文化庁傘下の国立美術館には、毎年度各館3〜5千万円の収蔵品購入予算が計上されていた。国の会計の窮屈さで、毎年度予算を使い切らざるを得ず、何年分かを貯めて高いものを買うということは出来なかった。それではいいものが買えまいと、美術に大変理解のあった、当時の大蔵省幹部の大英断で、47年度国立西洋美術館予算に、セザンヌの作品一点を購入するための特別措置として一億円が計上された。ところが予算成立後、持主の事情で購入出来なくなってしまった。美術館側は代わりにレンブラントを買いたいとして、承認を求めてきた。大蔵省側のメンバーは皆入れ替わっていたが、議論の結果事情やむを得なかろうということで承認された。しかしこれも、購入直前になって贋作の疑い濃厚となり取止め(レンブラントに贋作が多いのは常識で、泥縄的に買おうとしたのがそもそも無理)、結局西洋美術館は、セザンヌを買うとの名目で獲得した予算を流用し、並みのものを2年分購入するという締まらない結果で終った(本来なら翌年度予算はゼロでもよいはずだが、大甘の25%減額で決着)。

 こうした経緯を脇から見ていた東京国立近代美術館が、翌48年度「今年は当館が一発豪華の番」と、大観の「生々流転」購入のためとして同じ1億円の予算要求をしてきた。「福祉元年」の謳い文句で大盤振舞いの48年度予算だったから、要求はスンナリ通り、予算の目玉の一つとして大きく報道された。こちらはめでたく予算通り1億円で購入され、同館の目玉収蔵品として今日に至っている。ただ有識者からは、予算を事前に公表してから美術品を買いに行くなんて、何たる間抜けと批判された。全くご尤もである。

どちらのエピソードも、国の予算・会計の仕組みが美術品購入というような話に向いていないことを物語っている。独立行政法人化により国立美術館の予算・会計が弾力化され、こんな昔話も笑い話になっているなら誠に結構なことである。

(財政金融ジャーナル2009年1月号掲載)