便利さの裏のリスク
個人的体験だが、かつて政策研究大学院大学等で客員教授として講義していた頃、ホームページが欲しいが独力ではつくれず、メール・プロバイダーの「らくらくホームページサービス」というのに飛びついた。自分でHP作成ソフトを持たなくても、プロバイダーの編集画面にインターネット経由で入力するとHPとなって公開できるという便利なサービスである。
上手に使えば結構多くのコンテンツを載せられたので、6年余りかけて90メガと、結構盛り沢山のHPを作成し、講義で使った経済や財政金融等の図表・グラフと論文の要約、随想、それに趣味のウォーキングで撮った海や山の景色、季節の花などの写真を載せ公開し、重宝していた。
ところが、昨年11月、突然、1ヶ月後にらくらくサービスを終了するという通告が来た。HPを継続したいのなら、一旦自分のPCに取り込んで編集し直し、あらためてサーバーに送れという。ところが、肝心の編集し直す点については、「HP作成の入門書を読め」という以外何の説明も無い。一方入門書は、新しく作ることは親切に解説しているが、既に「らくらく」で作ったものをどうするかなどという特殊事例は、当然ながら全く書いてない。筆者の場合は幸運にも、その道のプロの同僚が一生懸命研究して、結構込み入った解決策を探してくれたので救われたが、そうでなければ、ゼロから作り直す破目になっていただろう。
この個人的体験は、実は今日のIT利用上の重大な教訓を含んでいる。昨今のITビジネスで、ASP、SaaS等、クラウド・コンピューティングといわれるサービスが広がっている。利用者自身がアプリケーションを持たなくても、アプリケーション提供を事業とする会社と契約してデータさえ打ち込めば、会計、人事、顧客管理、金融機関の勘定系システムなど様々な処理をして、雲の中から結果を返してくれるというビジネス・モデルである。利用者の側からすれば、自前のシステム関係人員が節約でき、システム更新の苦労も無く、提供者の側からは有望なビジネス・チャンスであり、社会全体としては、個社毎の二重投資を避けて集中的な良質サービス提供が促進されるという一石三鳥である。はるかにマイナーながら「らくらくホームぺージ」も、SaaSの一種だといえよう。
しかしこれは便利には違いないが、企業にとって重要なITサービスを外部に依存することになるので、提供者側の都合や倒産などでそのサービス提供に支障が出たり、打ち切られたりするリスクがある。利用者側にサービスの内容について必要な技術的知識があれば対応できようが、ブラックボックスで利用だけしているのだと、その日から事業継続そのものに支障を来たすことになりかねない。便利なサービスに依存するのはよいが、依存する以上は、万一その提供が途絶えても最低限自ら対応出来るだけの備えが不可欠だ、との教訓である。
(週刊「金融財政事情」2009年3月30日号「時論」)
台風19号多摩川水害の教訓(NEW)
(週刊『金融財政事情』2020年1月13日号の巻末匿名コラム「豆電球」に「台風19号の教訓を2020年に生かせ」と題して載せたものの編集前原稿です)
昨年10月12日の台風19号で、本川堤防の容量と強度はあの豪雨にも耐えられた多摩川の下流域両岸の住宅密集地で広汎な浸水被害が起こった。筆者は台風数日後から、左岸の大田・世田谷区境周辺、右岸丸子橋下流の有名になった武蔵小杉タワーマンション辺りを歩いて、深刻な課題を感じとった。
まだ十分な原因究明はされてはいないが、断片的な各種報道と現地被害状況、被災現場での話を総合して、浸水の原因が箇所ごとに多様なことを感じた。左岸二子玉川上流部分は一部無堤区間で、ここから本川の水が越流したのだから、これは判り易く、対策も明瞭である。厄介なのはその他の地域の内水氾濫で、態様・原因が箇所ごとに区々であり、それに応じて必要な対策も異なることから、将来に深刻、多様な課題を投げかけている。
水門・ポンプ等ハード面の整備もさることながら、それ以上に適切な水門操作、要員配置などソフト面での対策と、国・都県・市区をまたがる総合的な体制整備が喫緊の課題だとの手痛い教訓あり、これを
2020年に生かす必要がある。
9月入学論議について
9月入学論議見送りの良識
(金融ファクシミリ新聞2020年5月29日朝刊特別寄稿)
かつて教育行財政に関わった一人として、このコロナ騒動に乗じて急浮上した学校の9月入学論議に深い憂慮を禁じ得なかった。
9月入学そのものに絶対反対というのではない。白地に絵を描くのなら、9月入学には国際スタンダードに揃うなどメリットも大きいとの主張は理解できる。しかし問題は、現に4月入学で学校生活をスタートした在学生が幼稚園から大学まで19年次1千9百万人、来年4月入学を待っている年長組が百万人いる、これらの児童生徒のライフサイクルを突如5か月狂わすことに伴う混乱・不安を冒し、多大なコストをかけてまで今導入する価値があるのかという点にある。加えて、4月〜3月という学校年度は、国の会計年度、およびこれに倣っている多くの企業の事業年度をはじめ、社会経済活動全般の座標軸と一体になっており、学校年度だけ9月開始8月卒業とする場合、そのずれにどう対処するのかという難問もある。
入学時期の変更というような学制上の重大問題は、もし本気で取り組もうとするなら、何年にもわたる専門家の熟議と国民的議論を尽くした上で判断すべき問題であって、「政府の関係事務次官会議で多角的に検討」などで済む話ではない。コロナ対策としての学校休校のドサクサ紛れに一部推進論者がかねてからの持論をゴリ押ししようとしているのは許し難い暴挙だと感じていた。18年9月26日付の本欄「デノミ、カジノ、サマータイム」で批判した姿勢と同様の構図ながら、事柄ははるかに重大かつ深刻なので、教育現場、保護者等から慎重論のうねりが湧き起こることを期待していたのだが、幸いその通り良識が優勢になってきた。
ネット上には学校現場から、「コロナ対策で忙殺されているこの忙しい時期に、このような大問題を腰を据えて議論できない、今は検討そのものを凍結すべし」旨の声すらある。傾聴すべき卓見であろう。