このページは時事評論的な随想を収録
 
(関東ローム層崖崩れ実験事故の教訓 )
 川崎市北部、生田緑地(上の写真)の一角に、なんとも痛ましい事故の犠牲者の慰霊碑が、いまや訪れる人も少なくひっそりと立っている。
 昭和46年秋、全国的に豪雨災害が相次いだ。死者・行方不明者数は8月31日の台風23号、九州東海地方で41名、9月7日台風25号、千葉県で55名、同10日三重県集中豪雨で42名、同26日台風29号、東海地方で20名と多数に上った。特に土砂崩れによる犠牲が多発、社会問題になった。
 こうした背景から、科学技術庁が緊急研究プロジェクトとして、関東ローム層台地が降雨でどの様に崩落していくかを研究する人工崖崩れ実験を企画、11月11日、生田緑地内の崖で実施した。周りにビデオカメラ、計測装置などを多数配置し、崖に水をかけてこれが崩壊する模様をつぶさに観察・記録しようとするものであった。ところが机上で計算して予め計画しただけの量の水をかけても崖はびくともしない。さらに水を追加しても、やはり崖は崩れない。これでもか、これでもかとさらに大量の水が注がれた。すると突然、計画を遥かに超える範囲の崖が、大きく膨らんで一瞬のうちに崩れ、泥流が、遥か遠くの安全なはずの場所で観察していた研究者や報道陣までも呑み込み、15名の方々が亡くなった。実験チームの責任者も殉職され、当時の科学技術庁長官は責任をとって辞任された。
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 バブル崩壊後の景気低迷に対し、この10年来、財政金融両面から空前のマグニチュードでの対策がとられ続けてきている。
 財政面からは、11次にわたり、事業規模合計140兆円を超す経済対策がとられた。その結果、国・地方の政府債務残高のGDP比は平成13年度末132%と、G7諸国中最悪に転落し、かつて最優良を誇った日本国債の格付けはいまやスペイン、ポルトガル以下になり下がり、なお低下が予測される有様。
 金融面でも、通算13次にわたる金融緩和措置の結果、人類未踏の実質ゼロ金利が1年半続いた。平成12年8月に一時脱却が図られたのも束の間、昨年2月に再びゼロ金利に復帰して以降、さらにその上を行けとばかり、いわゆる量的緩和等の様様な新機軸の金融緩和措置が次々ととられ続けている。しかしその効果は見えない、そもそも見えるはずが無い。にもかかわらず、さらなる金融緩和を求める声が益々高まっている。
 こうした昨今の政策論議を聞いていると、何故か30年も前のあの事故が思い出され、頭から離れない。本来今は、経済対策としてはもっと別な構造的対策が求められているのに、旧来の発想で不況の崖を崩そうとして、これでもかこれでもかと財政金融政策の水を注いできた。それでも崖はビクともしない。これに業を煮やして、インフレになるまでもっと思いきり水を注げといわんばかりである。しかし、インフレは一旦勢いがつくと制御不能だというのが,古今東西人類の教訓である。さらに、既に超金融緩和は、年金・保険・各種財団事業等一定の金利収入に依存する社会システムを崩壊させた。アルゼンチン国債購入の損失もその崩壊の帰結の一例。こんな乱暴な注水を続けていて、どこかで、未知の取り返しのつかない何かが起こりはしないか。生田緑地を訪れるたび不安が募る。(尤も、筆者がこう言い出してからもう3年経つが、インフレどころか不況が深まるばかりで、“デフレ対策第一”の大合唱。しかし先見の明はいつの世も後になって判るもの。)
(米澤潤一 建設業の経理 2003年春季号)


便利さの裏のリスク

 個人的体験だが、かつて政策研究大学院大学等で客員教授として講義していた頃、ホームページが欲しいが独力ではつくれず、メール・プロバイダーの「らくらくホームページサービス」というのに飛びついた。自分でHP作成ソフトを持たなくても、プロバイダーの編集画面にインターネット経由で入力するとHPとなって公開できるという便利なサービスである。

上手に使えば結構多くのコンテンツを載せられたので、6年余りかけて90メガと、結構盛り沢山のHPを作成し、講義で使った経済や財政金融等の図表・グラフと論文の要約、随想、それに趣味のウォーキングで撮った海や山の景色、季節の花などの写真を載せ公開し、重宝していた。

 ところが、昨年11月、突然、1ヶ月後にらくらくサービスを終了するという通告が来た。HPを継続したいのなら、一旦自分のPCに取り込んで編集し直し、あらためてサーバーに送れという。ところが、肝心の編集し直す点については、「HP作成の入門書を読め」という以外何の説明も無い。一方入門書は、新しく作ることは親切に解説しているが、既に「らくらく」で作ったものをどうするかなどという特殊事例は、当然ながら全く書いてない。筆者の場合は幸運にも、その道のプロの同僚が一生懸命研究して、結構込み入った解決策を探してくれたので救われたが、そうでなければ、ゼロから作り直す破目になっていただろう。

この個人的体験は、実は今日のIT利用上の重大な教訓を含んでいる。昨今のITビジネスで、ASP、SaaS等、クラウド・コンピューティングといわれるサービスが広がっている。利用者自身がアプリケーションを持たなくても、アプリケーション提供を事業とする会社と契約してデータさえ打ち込めば、会計、人事、顧客管理、金融機関の勘定系システムなど様々な処理をして、雲の中から結果を返してくれるというビジネス・モデルである。利用者の側からすれば、自前のシステム関係人員が節約でき、システム更新の苦労も無く、提供者の側からは有望なビジネス・チャンスであり、社会全体としては、個社毎の二重投資を避けて集中的な良質サービス提供が促進されるという一石三鳥である。はるかにマイナーながら「らくらくホームぺージ」も、SaaSの一種だといえよう。

 しかしこれは便利には違いないが、企業にとって重要なITサービスを外部に依存することになるので、提供者側の都合や倒産などでそのサービス提供に支障が出たり、打ち切られたりするリスクがある。利用者側にサービスの内容について必要な技術的知識があれば対応できようが、ブラックボックスで利用だけしているのだと、その日から事業継続そのものに支障を来たすことになりかねない。便利なサービスに依存するのはよいが、依存する以上は、万一その提供が途絶えても最低限自ら対応出来るだけの備えが不可欠だ、との教訓である。

(週刊「金融財政事情」2009年3月30日号「時論」)


台風19号多摩川水害の教訓(NEW)

   

 (週刊『金融財政事情』2020年1月13日号の巻末匿名コラム「豆電球」に「台風19号の教訓を2020年に生かせ」と題して載せたものの編集前原稿です) 

 昨年10月12日の台風19号で、本川堤防の容量と強度はあの豪雨にも耐えられた多摩川の下流域両岸の住宅密集地で広汎な浸水被害が起こった。筆者は台風数日後から、左岸の大田・世田谷区境周辺、右岸丸子橋下流の有名になった武蔵小杉タワーマンション辺りを歩いて、深刻な課題を感じとった。 
 まだ十分な原因究明はされてはいないが、断片的な各種報道と現地被害状況、被災現場での話を総合して、浸水の原因が箇所ごとに多様なことを感じた。左岸二子玉川上流部分は一部無堤区間で、ここから本川の水が越流したのだから、これは判り易く、対策も明瞭である。厄介なのはその他の地域の内水氾濫で、態様・原因が箇所ごとに区々であり、それに応じて必要な対策も異なることから、将来に深刻、多様な課題を投げかけている。
 内水氾濫のひとつの形態は、本川の水位が、流入する支川や下水路より高くなり、締め切る水門が不備だったり、要員がいなくて締め切られなかったりした結果本川の水が逆流したというもので、武蔵小杉周辺は大体このパターンらしく、本川への流入口ごとに被害の爪痕があった。もう一つは水門を閉めた結果、行き場のない水が溢れるというもので、理想的にはポンプで支川の水を排水すべきなのだが、ポンプがないところ、あっても使えなかったところもあった。さらに本川の水位が低下したら速やかに水門を開けて排水すべきなのに、操作要員が不在で長時間水門が閉まった結果、内水氾濫被害が甚大化したという大田・世田谷区境の例も話題となった。本川堤防、河川敷、支川や下水路、水門、ポンプといった河川管理施設ごとに管理者が国、都県、市区と異なり相互の連絡が不十分であったことも指摘されている。
 水門・ポンプ等ハード面の整備もさることながら、それ以上に適切な水門操作、要員配置などソフト面での対策と、国・都県・市区をまたがる総合的な体制整備が喫緊の課題だとの手痛い教訓あり、これを

2020年に生かす必要がある。

9月入学論議について

 

9月入学論議見送りの良識
(金融ファクシミリ新聞2020年5月29日朝刊特別寄稿)

 かつて教育行財政に関わった一人として、このコロナ騒動に乗じて急浮上した学校の9月入学論議に深い憂慮を禁じ得なかった。 

 9月入学そのものに絶対反対というのではない。白地に絵を描くのなら、9月入学には国際スタンダードに揃うなどメリットも大きいとの主張は理解できる。しかし問題は、現に4月入学で学校生活をスタートした在学生が幼稚園から大学まで19年次1千9百万人、来年4月入学を待っている年長組が百万人いる、これらの児童生徒のライフサイクルを突如5か月狂わすことに伴う混乱・不安を冒し、多大なコストをかけてまで今導入する価値があるのかという点にある。加えて、4月〜3月という学校年度は、国の会計年度、およびこれに倣っている多くの企業の事業年度をはじめ、社会経済活動全般の座標軸と一体になっており、学校年度だけ9月開始8月卒業とする場合、そのずれにどう対処するのかという難問もある。

 入学時期の変更というような学制上の重大問題は、もし本気で取り組もうとするなら、何年にもわたる専門家の熟議と国民的議論を尽くした上で判断すべき問題であって、「政府の関係事務次官会議で多角的に検討」などで済む話ではない。コロナ対策としての学校休校のドサクサ紛れに一部推進論者がかねてからの持論をゴリ押ししようとしているのは許し難い暴挙だと感じていた。18年9月26日付の本欄「デノミ、カジノ、サマータイム」で批判した姿勢と同様の構図ながら、事柄ははるかに重大かつ深刻なので、教育現場、保護者等から慎重論のうねりが湧き起こることを期待していたのだが、幸いその通り良識が優勢になってきた。

 ネット上には学校現場から、「コロナ対策で忙殺されているこの忙しい時期に、このような大問題を腰を据えて議論できない、今は検討そのものを凍結すべし」旨の声すらある。傾聴すべき卓見であろう。