アラン・ブラインダーの警告
(証券アナリストジャーナルMAY 2008掲載) 
 
 些か旧聞に属するが、1996年1月、米国連邦準備制度理事会副議長だったアラン・ブラインダー(現プリンストン大学教授)が不本意な形で退任した折、当時のクリントン大統領に宛てた辞意表明の書簡中に、万感の思いのこもった一節がある。 同年2月のFRB月報から引用すると、
“A nation that routinely denigrates its public servants, and makes public service as unpleasant as possible, may soon find itself with the kind of government it has tacitly asked for. It pains me to think that my own country may be becoming such a nation.”
(筆者仮訳;「公務員を日常的に誹謗し、公務をこの上なく不愉快なものにしている国は、いずれそうした評価にふさわしい類(たぐい)の政府しか持てなくなるのではないでしょうか。 私は自分の国がそんな国になりつつあるのではないかと思うと、心が痛みます。」)
英語の表現として“ tacitly(暗々裏に) asked for”というのが面白い。子供に「お前は駄目だ、駄目だ」と言い続けているとその通りの子になってしまう、という話だろう。
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 この10数年来我国では、「悪いのは官、官僚は悪者」といわんばかりのワンパターンな官僚バッシングの風潮が蔓延している。確かに年金問題、防衛省事件など弁解の余地の無い事例も多々あった。でも本当に常に官は民に劣っていたのだろうか。金融分野について振り返って見たい。
 総選挙で圧倒的な国民の支持を受け既に実施されている郵政民営化について、今更是非を論ずる積りはない。ただ、なぜ郵政民営化にあれだけの歳月と破壊的とまでいうべきエネルギーを要したのか。それは「郵貯は親切、銀行はサービス悪い」という利用者の声が普遍的だったからである。その上、本来効率的なはずの民間金融機関は、自らの自由な経営の結果バブルを引き起こし、その後始末たる不良債権処理のため、あの(官業の弊害をすべて具現したような)国鉄の清算に匹敵する10兆円単位の国民負担を強いた。一方郵貯は将来数兆円の株式売却収入で国庫を潤すだろう。その限りでは民間金融機関は、サービス面でも経済効率においても官業たる郵貯に劣っていたといわれても仕方あるまい。
 金融自由化についても、「日本の金利自由化は公的金利が牽引した」。「まさか」といわれそうだが、紛れも無い歴史的真実である。
 日本国債は、昭和41年1月の発行開始以来長きにわたり、売却制限と人為的低金利から、「御用金」とまで酷評されてきた。しかし50年度の大量発行以来、悪名高いロクイチ国債騒動など幾多の局面を経て、その都度引受シンジケート団側の力が強まり、先ず売却制限が段階的に緩和されていった。筆者が旧大蔵省の国債課長になった59年当時は3ヶ月間にまで短縮されていたが、2年間の在任中には国債ディーリングも始まり、61年4月にはとうとう事実上撤廃された。大量発行と売却制限の緩和は必然的に流通市場を急拡大し、市場原理に基づく流通価格が形成されるようになっていった。そうなるとこれと乖離した条件での新発債発行は強行できなくなり、発行条件の合意整わず月次の発行が出来ない、いわゆる「休債」が頻発した。56年6月に始まり、7、8月、57年7月、58年2,7月、59年6,7月と8回あった。
 これは俗に、金利負担抑制という財政の論理と市場重視の金融の論理との衝突という構図で捉えられているが、正しくない。既にこの頃の財政当局にとっては大量の国債を円滑に消化することが最大関心事であり、無理に金利を抑え込もうという発想は薄くなっていた。国債発行条件を硬直化させていたのは、当時の規制金利の体系の下での景気対策上の配慮であった。先ず「長期金利の中核たる」10年国債発行条件が決まると、そのクーポン金利と同一に5年利付金融債金利が設定され、これに0.9%という硬直的スプレッドを乗せたものが長期貸出プライムレートとなる。他の債券金利も需給とは無関係にこれとのバランスで整然と決まる、という旧興銀を中心とする起債調整システムであった。この硬直的金利体系の下では、国債自体の需給から国債金利を引き上げたくても、景気対策上の配慮からの「この時期に長プラ引上げを齎すなんてとんでもない」との声に抗せず、やむを得ず休債に追い込まれたのである。
 筆者は就任直後の昭和59年8月債の条件決定時、国債金利が長期金利の中核であるべしという空虚な名誉を返上、先に利付金融債金利を(自動的に長プラも)据置きで決定させ、その後で国債金利を自由に引き上げた。コロンブスの卵的発想で実現した、世にいう「金国分離」である。こうして長プラの足枷から解放された国債発行金利は、その後約1年余りの実績で市場実勢追随というルール、すなわち完全自由化を、他の金利に先駆けて確立した。62年3月には、資金運用部資金法が改正され、もう一つの重要な公的金利である預託金利(=財投貸付金利)も自由化された(こちらは残念ながら年金への配慮から一時的措置として導入した0.2%の国債金利への上乗せという不完全さが残ったが)。  
 これがその後の預金金利など金利全般の自由化を推進する原動力となった。「かつての御用金が自由化の尖兵」という歴史の皮肉である。それにしても預金金利の自由化は、民間金融機関との妥協から、60年10月の大口預金金利自由化から平成6年10月まで実に9年かかって漸進的に進められ、この間長期に渡り自由金利と規制金利の並存が続いた。その歪みは周知の通り様々な禍根を残した。
 さらに付け加えれば、短期金融市場の中核商品として日米円ドル委員会でも導入が求められ、難産の末61年1月誕生した短期国債についても、最後まで反対したのは銀行業界だった。5年利付国債に至っては、長信銀の抵抗で平成11年度まで導入できなかった。金融業務の自由化や、金融機関リスク管理の強化などに関しても、西村吉正早稲田大学教授が、労作「日本の金融制度改革」(2003年 東洋経済)中で、淡々とした筆致の内にも無念さを滲ませておられる通り、金融効率化に向けた改革努力はしばしば金融業界の抵抗(証券業界の方は、動機が自業界の権益拡大にあったにせよ、銀行よりは改革に積極的であったが)で中途半端なものに止まった。官が先先を見据えて中長期的国益から提案した改革に対し、民が近視眼的既得権益確保のため抵抗したというのが我国金融分野での官と民の構図だったのではなかろうか。
 もとより官が常に正しいとか、民より優れているとか言う積りはない。客観的かつ公正に評価して欲しいということだが、今日のように偏見に満ちた官僚バッシングが続くようだと、アラン・ブラインダーの警告は実は日本の話だったということにもなりかねま


関連するエッセイ

(公務員倫理法)
 一連の不祥事を契機として公務員倫理法が施行されてから丁度4年になる。割り勘での友人との飲食も制限するような、余りに画一的な規制を定めているので、立法当時ですら、公務員の良識を無視するものだとか、業界の情報が行政に伝わらなくなり実情から遊離した独善的行政に陥るなどの批判もあったが、当時の「羹に懲りて膾を吹く」的公務員性悪説の風潮に乗って制定された。
 案の定、各分野で情報閉塞による無用の摩擦が生じたり、大きな制度創設に関しての後世に残る記録としての解説書や論文が執筆されないなどの弊害が明らかになった。そこで施行後暫くして、実際の運用が若干弾力化された(立食パーティへの出席許されるなど)が、大筋は変わっていない。
 ところが、倫理法施行後も次々と出てくる、組織ぐるみの不祥事は一体何事だろうか。水増し請求による外務省、カラ出張や架空領収書による警察や職安の裏金作りは古典的犯罪行為であるし、昨今紙上を賑わしている厚労省保険局の監修料問題も「疑念を差し挟まれる余地のある形(厚労省次官)」などでは済まされない、倫理法など待つまでもない非常識であろう。
 結局、あの小児病的公務員倫理法は、大部分の善意かつ良識ある公務員を無用に萎縮させ、行政の質を低下させた反面、一部の組織ぐるみ確信犯的非行には無力だった。大切なのは、公務に携わる者の潔癖感と良識であり、これを第一に置いた組織運営と人事を厳しく求め続けていくしかあるまい。(点鐘 2004年4月8日)



 


 角を矯めて牛を殺すな

 
長年経験を積んだベテランのシステム・エンジニヤーがある講演会で、最近の金融機関のシステム統合で初期バグ(欠陥)が多くなっていると嘆いておられた。その原因として、開発工程でどんな検討をしどう対応したか、試行錯誤の過程までも一々詳細な記録を残せという(ドキュメンテーションの)要求が厳しくなった余り、本当に大切なテストにテストを重ねてバグを探し出す時間が足りなくなっているからだと言われた。近時、この種の「角を()めて牛を殺す」話が社会の至る所で増えて来ているような気がする。

 金融の世界では、金融商品取引法での説明義務についての過剰反応から、銀行や証券会社の窓口で、担当者よりも遥かに詳しい顧客に対してまで画一マニュアル的な説明を押し売りし、顧客が怒って取引をやめたとか、70歳以上の高齢者には、トラブル防止のためリスク商品を一切売らないとかいった話が枚挙にいとまない。また、金融検査が来るというと、検査を無事切り抜けるための事前準備・対応には膨大な人員とエネルギーを注入するものの、肝心の業務の実質的改善はそっちのけという声もある。個人情報保護についても同様の問題があろう。「羹に懲りて膾を吹く」感のある公務員倫理法も、重箱の隅をつつくような行動規制でがんじがらめにした結果、行政側の情報が不足して行政が現実無視の独断に陥ったり、原稿書きも禁止された為重要な制度改正について背景説明の記録が残らない、などの弊害が現実化している。

国内景気や教育

にまで悪影響が

当事者の経済的損失に止まらず、マクロ的にも国内景気の足を引っ張った周知の事例が、姉歯事件を契機とする建築基準法改正の運用である。東京23区の場合、区によってかなりの差があったようだが、多摩川河口のある区での身近な例では、単純な木造2階建ての個人住宅の建替えで、申請から建築確認が下りるまでに、法定期間35日を倍以上も上回る76日かかった。特段実質的な要修正事項があった訳ではなく、書式の形式上の注文を付けられた挙句、建築意匠が済んだら次は構造、設備とたらいまわしされ、それぞれの段階で担当者が休暇中とかいうような事情で日にちを空費した。途中で苦情を申し立ててみても役に立たなかった。ただ同種の苦情が相当多かったと見えて、後に区報に「改善した」という記事が載ったが、一回限りの当事者にとってみれば後の祭りであろう。

より深刻に国の将来にかかわる例は学校現場である。新聞等の特集でしばしば問題にされているのが、現場の先生方が文部科学省や教育委員会への報告事務に忙殺され、肝心の授業準備に充てる貴重な時間が失われているという惨状だ。勿論、教育行政上一定の報告聴取は必要であろうが、現場の負担を考慮せず、徒に報告のための報告で先生の時間を奪っているのでは、誠に憂慮すべきことである。

 少子高齢化とこれによる低成長が予想される我国にとって、今後の社会経済の活力増進の為には、先ずこうした本末転倒、有害無益な行政規制を徹底的に排除し、民間活動の効率を高めると共に、併せて行政コストの節減も図ることが何より大切であろう。
      (平成21年5月 EAST TIMES)