タイトル:供中農民隊 |
はじめまして。いらっしゃいませ♪ 熱烈な書き込み、ありがとうございます! そうですね、私も魂は二本松の方と同じだと思います。 同盟を結んでいたにもかかわらず手の平返した諸藩に関しては特に。 しかし、新政府軍に関しては戊辰戦争の内容が鮮明になるほど、許容範囲も広がりました。 新政府軍にも理由があっての戦争であった訳で、一本筋の通った藩もあれば、便乗しただけのずるい藩もあったり。 それを言ったら、旧幕府軍、いえ軍じゃないですね。旧幕府自身に許せない部分は多いです。 結局、巻き込まれたために犠牲を出した藩が、一番辛い思いをしたんですよね。 それを考えると、戊辰戦争における一番の被害者は二本松藩であったと思います。 藩内が壊滅状態であったのはもちろん、精神的な被害は口では説明の仕様も無いと思います。 あの小さな町での各所の被害は、本当に想像を絶するものであり、しかしそれが今日の二本松市、市民の方を 生み出しているのがよく分かります。 市外の人間がこんな風に語るのもなんですが、でも市外の人間だからこそ、他の地域とは違う空気や心が伝わって来るのだと 思います。 もっと語りたい事はたくさんあるのですが、夜が明けてしまいそうですね(笑) 提灯祭りについては、当サイトにもリンクを貼らせていただいている提灯祭りのHPをのぞいてみて下さい。 掲示板で皆さん熱く語り合ってますよ(笑) ではでは、よろしかったらまた遊びに来て下さい♪[2002年10月20日 1時34分6秒]
はじめまして、供中農民隊の武藤と申します。本日、ナニゲにweb巡回していたところこのページに辿り着きました。 二本松出身のものとして非常に感慨深いものがございました。 供中という地名や、お城山、、、、。二本松市外のかたは、通常霞ヶ城公園というところですが、 お城山と書いてらっしゃるところなど、、、頭が下がります。 私は、13年前まで18年間供中に住んでおりました。現在は供中という地名は残っておらず安達ヶ原という地名になっていますが、 ジジババたちは当然のように供中と言っております。 私も、タクシーで自宅に帰る時などは供中の武藤??店までお願いしますと言います。 それにしても、よくぞ見つけました。供中古戦場を。 私が幼少のころは、あの碑に泥爆弾を投げて遊んでおりました。今思へば、なんと罰当たりなことか。 話は変わりますが、当方現在仙台に在住して13年になりますが毎年必ず提灯祭りに出かけております。サラリーマン時代は 一年前から会社に有給をいただいておいて出かけておりました。二本松の武士魂を受け継いだ素晴らしい祭りだと自負しております。 当方、旧 大平村(旧二本松町以外)の出身ですので、太鼓台を引くことはできませんが、祭りの熱さを楽しみに拝見しております。 地元の方なら判ると思いますが、何度 若連に入りたいと思ったことか、、、。 私を含めて、このページをご覧になった方の一握りは、いまだに翻った藩や新政府軍を許せずに居ると思います。 許せないはオーバーでした。すみません。 その位、二本松出身の人間は二本松に誇りを持って居ります。 このようなページを作成された管理人さんに感謝いたします。 これからも、更新を楽しみにしておりますので、頑張ってください。 供中農民隊子孫の武藤でした。[2002年10月19日 23時34分9秒]