岩手県交通の路線再編

路線バスのスクラップ&ビルド
新路線 路線バスというのは、いつも同じところを同じように走っているというイメージがあります。これは、生活インフラという側面から考えるとやむを得ないことです。頻繁に変わってしまうと、利用しづらくなってしまうからです。
その一方で、商業施設がそうであるように、生れてくる新しい需要に応える必要と、減少する需要をやむなく切り捨てる決断も必要です。それができないと硬直した産業と化してしまいます。
この時期の岩手県交通は、いい意味でスクラップ&ビルドを進めている路線バス事業者に見えました。
たった4年間の間でしたが、岩手県交通の盛岡市内線は、かなり頻繁に路線の変更を行っている印象がありました。
1984年の巣子車庫新設に伴う滝沢・みたけ方面の路線新設から始まり、1985年の米内団地線(桜台団地行)開設、そして1986年には川久保線に「つどいの森」系統を新設しました。この後、1987年には松園営業所の新設、都南車庫の営業所格上げなどに伴う路線再編も行われます。
これらは、一つには新しい住宅団地の整備など新規需要への対応であり、もう一つには営業所の移転、新築などの合理化という理由があります。
いずれにしても、路線バスというのは、生きているのだという印象を強く持ちました。

川久保線つどいの森行(1986.9.10)

つどいの森

撮影:湯沢団地西口(1986.9.10)

1986年9月、これまで矢巾営業所行とその途中折り返し系統である都南村役場行とで構成されていた川久保線に、つどいの森系統が新設されました。
新しい住宅団地の中に、新しい「湯沢団地西口」バス停が建てられています。
これは初日の「つどいの森」発の祝賀バスです。登録後間もない車両が使用されました。

途中の「湯沢住宅」バス停から、お客さんがたくさん乗りました。
新路線を期待していた住民の皆さんにとって、盛岡市内が少し近づきました。

つどいの森

撮影:湯沢住宅(1986.9.10)

つどいの森

撮影:盛岡駅(1986.9.10)

一方、こちらは盛岡駅から「つどいの森」行きの1番バスです。方向幕につどいの森の文字が入っています。

松園営業所新設(1987.9.16)

翌1987年には、上田線、松園外山岸線など北東部の路線の再編、中央線など東部の路線の再編が同時に行われました。
これは、「松園営業所新築移転!」というチラシです。
これまで上田線などは黒石野にあった黒石野営業所(末期はここを松園営業所と呼称していたようです)を基地として運行されていましたが、松園ニュータウンに近い国道455号線沿いに新しい営業所を新設したのです。
巨大化した松園ニュータウンの需要に最大限に応えるとともに、周囲にネットワークした路線の効率的な運行を図るには、最善の選択だったのだと思います。
また、この営業所新設には、市街中心部の営業所の郊外移転という意味もあったのだと思います。市内にあった河南営業所が廃止され、郊外にあった都南車庫が営業所に格上げされましたが、松園営業所には河南営業所からの移転車両もありました。

松園営業所新築移転

上のチラシの中から、路線図の部分だけを拡大します。
特に松園ニュータウン内の路線が充実し、北側に新しい経路も新設されています。
また、これまで上田、東緑が丘、山岸など複数の経由の路線が松園エリアに集まってきていましたが、これらが「松園営業所」を起終点に運行されるように整理されました。
バス停名称の変更なども同時に行われています。、

松園営業所新築移転
玉山線

撮影:北山−大泉寺口(1988.2.15)

北山寺院を行く玉山線の中型バス。
同時期に河南営業所が廃止され、都南車庫が営業所に格上げされています。しかし、河南営業所所属車がすべて都南営業所に吸収されたわけではなく、松園営業所と分担が行われたようです。
玉山線は松園営業所に移管になりました。

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80s岩手県のバス“その頃”