その頃の出来事 1984-1988

盛岡鉄道管理局に新カラー
1987.2

国鉄民営化を控えた1987年2月、盛岡鉄道管理局は局内のディーゼルカーに新カラーを採用しました。
これまでの全国共通のデザインは、地味で垢抜けなかったばかりか2種類のカラーが混在していました。これを盛鉄局オリジナルのカラーに統一しようというものです。しかし、面白かったのは、塗り替えに時間がかかるため、仮に白い線を入れただけの「暫定色」が存在したことでした。この「暫定色」に、旧塗色と新塗色や「うみねこカラー」と呼ばれる特別色が入り乱れ、この頃の盛岡周辺は非常にカラフルでした。

地域色

盛岡カラー 全国共通のカラーしかなかった国鉄が、地域ごとの独特のカラーデザインを採用し始めたのは、1980年代に入ってからでした。それは、短編成多頻度運転を行うシティ電車の増加とともに広がっていきます。
電車の配属がない盛鉄局内は、そういった動きに遅れをとっていましたが、この新塗装の登場で全国的な動きに追いつくことができた気がしました。おりしも、盛岡−北上間にはこのディーゼルカーを間合い使用した2両編成の列車が増発され、シティ電車並の30分ヘッド運転が実現していました。

新塗装2態

JRになる前の日

JRになったその日

地域カラーとシティ電車


1982年に広島近郊に登場した「広島シティ電車」は、その後の国鉄の地方都市の近郊輸送の原点となりました。
それまで客車列車を基本とした国鉄の幹線列車は、長い編成の列車が少ない本数で走り、駅間距離も長いという特徴を持っていました。これを短編成、高頻度運転に変えることで、利便性を高めたのが「広島シティ電車」でした。同時にこれまでの地味な色合いから明るめな新塗装に塗り替え、愛称をつけたことで、見た目から今までのイメージを脱却したことも、成功の要因でした。
そして、全国各地に「シティ電車」ブームが訪れたのです。

このページのTOPへ

Copyright "Age25". All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.