岩手県交通が国際興業グループ入り(1986.6.)

国際興業グループ
国際興業グループ 国際興業グループ入りしたと言っても、何がどう変わるのか。
まず初めに見えてきたのは、高速バスや貸切バスのカラーデザインの変更。これまで岩手観光バスなどでも見慣れてきた、国際興業貸切カラーが採用されました。
外野のギャラリーとしては、新車は入るのか、新路線は何か始まるのか、そんなことに期待を膨らませていましたが、そう簡単に目に見える変化が起きるはずはありませんでした。
1986年6月、これまで4期8年岩手県交通の社長を務めた松尾景康氏が退任し、新たに国際興業社主の小佐野政邦氏が社長に就任しました。既に国際興業の持ち株比率は70%に達しており、小佐野氏の社長就任とともに名実ともに国際興業グループ入りを果たしました。
小佐野氏は3年をめどに県交通を再建すると語りました。報道によると、国際興業グループに入ることで、資金調達も容易になるとのこと。いくつかの新たな事業展開の方向性も見えてきました。
ボディカラーの変更
国際興業貸切カラー

撮影:都南車庫(1986.7.31)

好調な高速バス「ヨーデル号」の増備車両が7月には納車されました。早くも国際興業貸切カラーが採用され、グループ入りが目に見える事態になりました。
ただ個人的には、前年から増え始めた県交通オリジナルの貸切新カラー(右)の方がスマートで格好良く見え、東北地方の各社で見慣れているグループカラーへの統一にはがっかりでした。特に高速バスに関しては、秋北バスが従来のオリジナルカラーを堅持しているだけに、残念に思いました。

塗り替えが進む

1986年のうちに高速バスはすべて国際興業貸切カラーに統一されました。思いのほか早く進んでいるように思えました。
写真は、年末の帰省シーズンに増発便を含め3台連行の「ヨーデル号」弘前行。左の2台は元貸切新カラーの塗り替え車、右1台は元県交通カラーの塗り替え車。

高速バス

撮影:花輪SA(1986.12.26)

岩手県交通と国際興業の関係のおさらい

1970年 岩手中央バスが国際興業グループ入り
岩手中央バス

ワンマン化による労働争議などで経営危機にあった岩手中央バスは、1970年4月に国際興業グループ入りしました。国際興業は前年に青森県の十和田観光電鉄もグループ化しており、北東北への足がかりを作り始めたのがこの時期であることがわかります。
岩手中央バスでは、同年中に20両ほどの新車を購入しており、大手資本導入による経営体質の強化が見て取れます。

1970年 花巻電鉄が国際興業グループ入り
花巻温泉

花巻温泉(県交通時刻表の広告より)

1970年5月には花巻市の花巻電鉄と花巻温泉も国際興業グループ入りしました。
花巻電鉄は岩手中央バスと同様のバス事業であり、また、花巻温泉は花巻市の奥座敷的な温泉リゾートで、北東北の観光リゾート開発の足がかりとして、その将来性が見出されたのだと思います。

1971年 岩手中央バスと花巻電鉄が合併
花巻電鉄

同じバス事業者と言うことで、1971年に岩手中央バスと花巻電鉄は合併します。花巻電鉄が運行していた鉄道(花巻温泉電車線)は一時期「バス会社の電車」になりましたが、間もなく1972年に廃止となりました。
なお、左写真は鉛線(軌道線)の保存車デハ3号で、こちらは1969年に既に廃止となっており、国際興業グループ時代を経験していない車両。しかし花巻電鉄では唯一の保存車です。

1974年 バス部門分離
シティ青山

シティ青山(国際興業会社案内より)

経営悪化が進む県内バス3社(岩手中央バス、花巻バス、岩手県南バス)の一元化に向けての調整が進む中、岩手中央バスは1974年にバス部門を分離し、「岩手中央バス株式会社」(新)を設立しました。これは、不動産など非交通部門で損失を埋める経営スタイルから脱皮するとともに、負債を母体会社で引き取り、身軽な状態でバスのみによる利益追求を図ろうと言う趣旨がありました。
旧岩手中央バスは「岩手興業」と名前を変え、収益性の高い事業に特化された状態となりました。写真の「シティ青山」は岩手興業が分社したシティ商事により旧青山営業所跡地を開発して建設したショッピングセンター。

1976年 岩手県交通設立
岩手県交通

1976年、岩手中央バス、花巻バス、岩手県南バスの合併により「岩手県交通株式会社」が設立されました。
新会社は3社の持ち寄り資産によって出資比率を分配した結果、株式の70%を県南バスが所有し、初代の社長にも県南バス社長が就任しました。本社は真中をとってと言うことか北上市に置かれました。岩手中央バスの株主の国際興業、花巻バスの株主の岩手県北自動車も役員を送り込んでいたようです。

1978年 新社長就任と株主構成の変化
岩手県交通

合併後の経営は軌道に乗らず、経営者間の関係もよくなかったようで、1977年の株主総会で国際興業は役員をすべて引き上げることになりました。
続いて1978年の株主総会では経営陣の刷新が図られることになり、旧県南バスの社長が退任、新たに県から派遣された松尾景康氏が社長に就任しました。
これからしばらくは岩手県交通と国際興業の直接的な関係は途絶えるのですが、旧県南バスの所有していた株式の売却先の関係からか、この後の新車購入はすべていすゞに統一されることになります。

岩手県交通成立までの系譜
岩手県交通の系譜

この表は、「岩手のバスいまむかし」などを参考に作成しました。

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80s岩手県のバス“その頃”