記事タイトル:帝国自工と日野車体ほか |
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昨日の更新に合わせて、kuri様にお教えいただいた北海道中央バスBU10Dの天窓について、まとめ て触れさせていただきました。 まず「車両ギャラリー>岩手県交通>譲受車>いすゞ1980年代1」のところに注書きとして、このス レッドの中でお教えいただいたことをまとめて記載させていただきました。 また、「車両ギャラリー>別館>北海道の廃車体2」では、天窓の写真を掲載するとともに、天窓が 外観上分かる廃車体写真を追加しました。 北海道に残っている該当年度の廃車体には天窓があるようで、想像ですが、天窓のない車両(つま り1971年式10両と1972年式)が東北地方へ譲渡されたのではないかと推察します。 こういった過去のことが色々分析できるのも、廃車体が残っているおかげではないかと思います。[2007年8月26日 22時0分50秒]
こんばんは。 日野ボディスタイルの金産車体については、私が実物を確認したのではないので、これ以上の展開 はとりあえずやめようと思います。 バスラマ増刊の金産の本は、私も読んでみましたが、そういう公式コメントの中に含まれないこと もあったのではないかな、という興味はあります。 なお、帝国ボディも末期にはサッシ仕様車があり、車掌台窓を除くと日野ボディと変らないため、 日野ボディ初期のバス窓車と交錯して、当時の趣味人の調査研究に大きな混乱を与えるきっかけに なったことは充分考えられます。 さて、北海道中央バスの天窓ですが、拝見させていただきました。面白いものが付いていたんです ね。初めて知りました。 以前旅男Kさんから頂いていた石狩川河口の廃車体画像を再確認したところ、1台を除いて天窓があ ることを確認しました。 で、岩手県交通に来ていた車両ですが、こんな変った物は付いていませんでした。そうすると10両 のうちの5両と言うことでしょうね。残りの5両のうち1両は石狩川で廃車体になっているようですの で(この事実確認はお願いします)、残り4両のうち何両かが十和田観光に行ったということかもし れませんね。 ちなみに岩手県交通の5両については、最初はどこから来たものか分からなかったのですが、ある日 乗車中に、窓柱に「札幌東急百貨店」の広告プレートがあるのを発見し、窓枠内の赤色とあわせて 北海道中央バスだと判明した次第です。 今のようにネットのアングラ情報網が完備していない時代だったので、こういった地味な調査研究 にもオリジナルの喜びを追求できたものです。[2007年6月29日 22時3分43秒]
コメントありがとうございます。 遅レスすみません。 > 文脈から帝国ボディではなく日野ボディ、つまりサッシ窓であった なるほど,そういうことでしたら,この「サッシ窓」というのは金沢製オリジナルで,日野車体の ものではなさそうです。というのは,合併前にサッシ窓がオプションで用意されていたのは金沢の みで,帝国はすべて「バス窓」だったからです。 日野車体になってからも,大型車,つまり帝国横浜工場で作られていた車は1年ほど「バス窓」の ままで,札幌地区で大型のサッシ窓車がはじめてお目見えしたのは1976年春頃でした。1975年秋の 北海道中央・セミロマ車はすべて日野車体製のバス窓です。中型(合併以降の金沢工場)はサッシ 窓化が早かったようで,1975年秋の札幌市営RL300は既にサッシ窓でした。 金沢製とサッシ窓の関係についてはバスラマ増刊『金沢ボデーのすべて』に紹介されていますので, もし機会がありましたらご高覧下さい。 > 北海道中央バスのBU10Dですが、その天井の採光窓と言うのはどのような物なのでしょう。 > 観光バスなどにあった天窓とは違うんですよね? 別掲示板に写真を挙げておきますが,天井の通気口が窓の形になっていて,開閉できるものでした。 69〜71年春までの全車に採用されましたが,71年秋は樽部の車を除き一般的なタイプに改められま した。 もちろん貸切車の天窓とは異なります。 http://6404.teacup.com/ichiro16/bbs?BD=17&CH=5&M=ORM&CID=1091[2007年6月28日 0時19分7秒]
こんばんは。 金産の最終期に日野ボディと同じスタイルがあったと言う話は、私自身が確認したことではないの で、詳細は分かりません。ただ、文脈から帝国ボディではなく日野ボディ、つまりサッシ窓であっ たと言うことのようです。 それから北海道中央バスのBU10Dですが、その天井の採光窓と言うのはどのような物なのでしょう。 観光バスなどにあった天窓とは違うんですよね? 写真で見た限りでは、岩手県交通に来ていた車両と北海道に現存する廃車体との違いは見当たらな いのですが・・・。[2007年6月23日 22時39分3秒]
コメントありがとうございます。 北海道中央バスの1975年4月納車分廃車体を何台か見ることが できましたが,帝国自工銘板が昭和49年となっており,かなり 前倒しして生産されていたことがわかりました。札幌市交通局 のほうは廃車体は現存しませんが資料等から大型車帝国自工, 小型車日野車体ですが,日野車体以降のために前倒し生産され たものが多かったのかも知れません。 金沢製の「日野ボデー」とは帝国のデザインということで しょうか。日野車体移行後は帝国の図面が使われたようです。 バスラマ『金沢ボデーのすべて』では1975年3月ぎりぎりまで 金沢製の車輌が生産されていることになっていますが,途中 からは中型車のみで,移行の準備に入っていたことがわかり ます。周知の通り日野車体では旧帝国横浜工場が大型,金沢 工場が小型・中型という分業だったようです。 ちなみに1975年4月納入札幌市交通局「都心循環バス」BM320 は「日野車体」製で帝国の角張ったデザインでした。 話は変わりますが,岩手県交通の元北海道中央バス車輌も 懐かしいですね。71年式は前期33両,後期20両と大量にあり ましたが,天井に採光窓(「天窓」と呼んでいました)がない タイプだったとすると後期空知車(札22あ164〜173)10両の うちの5両かも知れません。 三菱バス保存会については別途メールで連絡申し上げます。[2007年6月21日 2時17分27秒]
こんばんは。 銘板を確認することによって正確に分類していけば、色々面白い事実が分かるかもしれませんね。 現役車両が存在しない現在となっては、かなり不自由な研究になるとは思いますが。 金産ボディについては、文献によると最終期に日野ボディと全く同じスタイルが存在したとの話で す。(初期のサッシ車ではなく) それに加え、会社名は4月で変っても、継続生産していたわけなので、生産途上にあった車両がどの ような銘板をつけているかと言う問題もありますね。名を取るか実を取るかと言うような感じにな りますが。 それから美鉄バスの保存会については、サイトを拝見しておりました。kuriさんはメンバーの一人 ということになるわけですか?それとも主催者ということでしょうか。 実は弊サイトの保存車のコーナーで、サイトへのリンクを掲載させていただこうかと思ってお願い したこともあったのですが、お返事をいただけずにおりました。 ご検討のほどを。[2007年6月20日 21時11分19秒]
御返事ありがとうございます。 帝国自工と日野車体の区別ですが,私などが調査する場合は とりあえず生産時期が1975年4月よりも前か後かで判断し, その後資料等を当たるようにしています。廃車体などで銘板 が確認できる場合もありますね。金沢のほうは外観が異なる ので判別が容易だとは思います。 公営交通の場合は自治体によっては情報公開制度が存在する 場合もあるので,節度を持った範囲内で利用するのも手だと 思います。 国鉄バスの転籍ですが,私が知っている一番古いのは74年頃で, 537-4032近辺の日野RCツーマン何両かが北海道に渡ってきたよう です。貨車に乗せて運ばれてきたのを目撃した知人もおります。 以降78年(521-8003〜5)から86年くらいまで継続的に移動が あったようですね。一度北海道へ来て東北に戻っていった車 などもあったようです。 保存会ですが,今何かと話題になっている夕張の関係で, 三菱(鉱)バス(後の美鉄バス)のMAR470を有志で保存して います。「三菱大夕張鉄道保存会」と協力関係にあり,バス 保存会会員で両方に入会しているメンバーも多いです。もし ご興味がありましたらサイト等をご高覧下さい。[2007年6月18日 22時11分6秒]
kuri様、はじめまして。 帝国ボディから日野ボディへの過渡期については、確かに微妙なものがありますね。これに金産ボ ディも絡んで、外観と製造場所を一致させるのは難しいようです。 弊サイトでも微妙な時期のものは、調査結果で判明しているものを除き、外観の特徴で分類してし まっています。 国鉄バスの東北と北海道のやり取りには興味がありますね。いつの間にか登録番号が変っていた車 両が、その間に北海道に行っていたと言うようなケースも報告されています。もちろんそのまま定 住した車両もありますし。 ところで、バス保存会活動を行なっているとのことですが、詳しくお聞きできますか?[2007年6月18日 21時5分6秒]
初めまして,サイト興味深く拝見させて頂いております。 私の方は北海道でバス保存会活動ないし車両調査等を行っております。 帝国自工から日野車体の移行時期ですが,帝国と金沢の合併が1975年4月のため,1975〜1976年頃までで「バス窓」 の日野車体製が存在します。札幌管内では75年4月納入の札幌市交通局(札22あ1115),北海道中央バス(札22あ 1118〜1138)が帝国自工製,同年4月の市交通局BM320(札22い・・・2〜),同年秋の中央バス(札22あ1194〜)が 日野車体製として納入されています。札幌市営の場合は同月納入の大型(RE100SR)が帝国,小型が日野車体という 面白い納入になっています。 国鉄北海道も75年式が多数ありますが(537-5501〜5504,537-5015,527-5002,5008〜5014等),このころは夏期 に東北で運用し冬期に北海道へ移ってくる車両があるので札幌登録時期と新製時期が必ずしも一致しません。52x, 53x-6000代はバス窓,上下窓にかかわらず,すべて日野車体製と思われます(中身は旧帝国横浜工場製なので銘板 が異なるだけですが)。 70年代は国鉄東北と北海道で車両のやりとりが頻繁に行われていた興味深い時代ですね。[2007年6月18日 18時43分5秒]
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