記事タイトル:元国際興業! |
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元カラーを少し直しての使用は,岩手県交通が昔から得意とするところですから(笑)。 それは冗談としても,過去に国際興業カラーを使用した時はオリジナルカラーがあった上だったのですが, 今回はオリジナルカラーが国際興業カラーに変わってしまうと言うことですよね。 地域色と言う観点からはちょっと残念だと感じている私です。 ふるさとに帰った時,子供の頃に慣れ親しんだバスの色を目にしての安心感。これが東京と同じではちょ っと物足りないのでは…。[2003年1月14日 22時15分31秒]
この連休に家族引き連れ田沢湖に行ってきましたが、その折、 わずかの時間でしたが盛岡駅に下り立ってみました。 5分もいれば、国際興業色のバスが必ずやってくる状況でした。 錆がではじめていた老体に鞭を打ち、県交通を支えたBU10から20年。 歴史は繰り返すとは言いますが、感慨深いものを感じました。 今回は数台の国際興業色を見ましたが 側面にIKKの文字があったりなかったり、またあるものは あきらかにKKKの文字の一部を消し去ってIKKにみたてたものや 黒文字や紺色文字もありました。 近いうちに家族と一緒でない時にでも ゆっくり営業所めぐりでもしてみたいものですね。[2003年1月13日 20時57分28秒]
里の杜のメルファ7様 私が今知りえる限りでは,里の杜のメルファ様が書いたようなことだけですね。 71年譲受の丸型BU10(中央バス色),75年の丸型BA741,76年譲受の丸型BU10(国際興業色),78年譲受の 角型BU10(国際興業色・県交通色)と言うような順番でしょうか。 角型BU10の中央バス色は、廃車体しか撮影していないため登録番号が分からないのですが,あの色に塗 ったと言う事は,76年以前の譲受と言うことになりますよね。 国際興業では、丸型BU10より先に廃車した角型BU10があったのでしょうか?[2002年12月23日 19時58分22秒]
お久しぶりでございます。 さて、71年に丸型BU10が中央バスに譲渡されたのが始まりである とされていますが、県交通発足まで、毎年譲渡をされ続けていた のでしょうか。 66年式以降のいわゆる角型BU10も中央バス塗装も確認 していますし、また塗装変更はしなかったものの 登録番号から75年譲渡と思われる63年式2灯式のBA741 もありました。国際興業では確かに2灯式BA741は75年に 姿を消していますし、4灯式はBA20の新製により 76年に姿を消しています。 この71年から県交通発足までに国際興業から譲渡された 形式および形態について(たとえばツーマン専用車とか)は 情報はありませんでしょうか。[2002年12月21日 21時24分10秒]
里の杜のメルファ7様 譲渡前と譲渡後の証言が揃うと言うのは嬉しいですね。 実は私も,丸型BU10の譲渡前の姿を見てるんです。まだ自分のカメラを持つ前の1976年,東京駅丸の内口で。 日本の玄関口に(当時としても)古い丸型バスと言うアンバランスに,友達の持っていたカメラを借りて, ぶれぶれのカラー写真を撮影したんです。 その写真は,どこかにありましたが,見つけたとしてもWeb上に公開できる代物ではありませんが・・・。 と言うわけなので,1983年に初めて盛岡を訪れた時に「再会」できたのは嬉しかったです。 もしかすると私が初めて写したバスの写真が,国際興業の丸型BUかも知れないと言うお話でした。[2002年11月8日 20時33分7秒]
管理人様、遅れながらも本日はじめて拝見させていただきました さて、71年には丸妻BU10が転入云々とのことですが、 実は私、69年より通園(幼稚園)、70年より通学にて、国際興業練馬営業所に お世話になっていました。確か幼稚園通園の時はよく乗っていたのに小学生になって乗れなく なったのを覚えています。したがって、花巻入りは十分考えられますね。丸妻BU10のエン ジン音に惹かれこの世界に入り込んだものですので、よく記憶にあります。たまたま東北新幹 線開業の年に盛岡駅に寄ったら、国際興業色のままで、ボロボロになりながら元気な姿をみた とき、涙が出そうになったのを覚えています。 ちなみに丸妻BU10が国際興業から姿を完全に消したのは78年と記憶しています。[2002年11月7日 23時51分51秒]
管理人様 リクエストをお願いしていた拡大画像をUPしていただき、 遅ればせながらお礼を申し上げます。 これからも更新楽しみにしています。 どうもありがとうございました。[2002年10月6日 9時0分36秒]
njyu様 次回UP予定のフィルムを整理していて,廃車体ですが国際興業カラーの非常口側の写真を見つけました。 残念ながらKKKマークはありませんでした。が,正面の板を外した跡には,KKKの文字が残っていました。 それにしても,箱型バスの保存と言うのは,確かに地味なので,バス事業者が手がけることは稀ですね。 それも,排ガス規制の関係で,まもなく首都圏には動態保存ですら不可能になってしまいます。 古いバスにとっても住みにくい世の中になりました。[2002年7月31日 22時48分41秒]
管理人様、こんにちは。 そうですね。このBU10は国際興業時代のまま、ほとんど手をかけずに 使用されていた可能性が高いですね。 非常口側のKKKがどうなっていたのか気になりますけど・・。 それにしてもボンネットバスなんかじゃなくて、”その頃”の バスを復刻して走らせてみたいものです。[2002年7月30日 22時24分13秒]
njyu様 見てみました。 驚いたことに,当HPの国際興業カラーの車両と比べてみると,広告枠の位置までも同じではないでしょうか? 正面のKKKマークも大型のワンマン板の影になっているだけかもしれませんね。[2002年7月29日 20時42分2秒]
こんにちは。 ところで、BU010の説明のところに >この写真の車両は「KKK」の文字こそ消されていますが とありますが、側面のKKKは国際興業時代から無かった可能性があります。 こちらのページの車両より新しい2400番代ですが、下記のページに大きな 写真があります。ちょうどKKKがあるだろう位置に、すでに広告枠が 取り付けられています。 詳しくは分かりませんが、ご参考までに。 http://www.kumagaya.or.jp/~bus/flash/old5.html P.S. この写真の奥に写っているのはBU06ですね^^[2002年7月28日 13時5分19秒]
774急行様 BU06や04のリアの方向幕広告,確かにずれていましたよね。 左側にはみ出した系統窓が,「ハミ○○」(失礼…)のようで,私はどうも好きになれませんでした。 余談ですが,BU06の方向幕広告によくあった「戸田久」の冷麺, 今私の住んでいる土地にも売っていて,暑い夏には盛岡を思い出しながら食べています。 県交通家族会様 「岩22か151」なら71年頃で間違いないでしょうね。 国際興業グループからの手土産と言った所でしょうか。 中央バスも経営的に大型の新車はなかなか買えなかったでしょうから。 それから花巻電鉄の前ドア車らしき車両,やはり中央バスカラーになった廃車体を見ています。 早く県交通の廃車体をUPしなければいけませんね。[2002年7月25日 20時42分59秒]
管理人様 こんにちは 岩手は今日7月15日に梅雨明けしました。 さて、「65年式のBU10が71年にはもう転入していたんですか?!」 → 花巻営業所配置車の最若登録番号は「岩22か151」だったと記憶しています。 若干のずれはお許しください。 また、国際興業色の丸窓車は「岩22か616」という、短尺車を覚えています。 774急行 様 電鉄カラー・トップドア車(三菱)は82年頃まで走っていました。 → 多分、昭和42〜3年頃導入した、「岩2く50−58から50−60」の3台のう ちいづれかと思います。 懐かしいお話を今後もよろしくお願いします!!![2002年7月25日 12時35分41秒]
BU06が話題になっているようですが、私の場合、後面幕部分に取り付けられていた 広告枠が、系統番号幕の存在によって右にずれて取り付けらていたのが印象的でした。 (今でもBUなどで見かけます) 「お尻の丸い」BU10は、花巻市内でも本当によく走っていました。国際カラー車も 中央カラーに交じって走っていました。 国際カラーの「お尻の角張った」BU10も花巻市内を走っていました。 花巻のBU10は、ほぼ全車が後面幕部分に広告枠を取り付けていましたが、 特に「お尻の丸い」65年式ではリアののっぺり感が無くなり引き締まって見えた ものでした。(あくまでも私の感想です^_^;) 花巻電鉄カラーの中ドアツーマン車は、私の通っていた小学校のスクールバスに 使われていました。(80年春頃まで) 同じく電鉄カラー・トップドア車(三菱)は82年頃まで走っていました。 花巻駅−鉛スキー場のスキーバスとして走っていたのを覚えています。[2002年7月25日 2時15分47秒]
テイエムオペレッタ様 BU06はかなり人気があるようですね。 花巻配置の車両の中で,洗車機のブラシでこすりすぎたのか, 側面に広範囲に国際興業カラーが浮き出ている車両があったのを覚えています。 それにしても、廃車体情報がだいぶ集まってきましたね。 私は今遠くにいるので,新しい写真は撮りに行けないのですが, 何らかの方法で当HPでも集約できたら面白いかもしれませんね。 県交通家族会様 65年式のBU10が71年にはもう転入していたんですか?! 岩手中央バスの国際興業グループ入りが70年ですので,車齢の若い車両を送り込んだのかもしれませんね。 廃車体の項目で,花巻営業所内にあった中央バスカラーの丸型BU10の写真は紹介する予定です。 それと,元花巻電鉄のツーマン車は,当時は中央バスカラーの「廃車体」として都南車庫にいました。 これも廃車体のコーナーで(非常口側からですが)紹介します。 ちなみに,花巻電鉄カラーは,廃車体ですら残っていなくて,私は実物を目にしていないんです。[2002年7月24日 19時45分52秒]
懐かしく拝見させて頂いています。 さて、私が住んでいる花巻市には、鉛温泉線のワンマン化に伴い、昭和46年頃に10台近く 丸ボディの元国際興業BU10(65年式)が増備されました。その後、市内線、花巻温泉電車 の廃止に伴い、更に丸ボディの7〜8台の元国際興業BU10(65年式)が増備されました。 それらは、全て、黄色の岩手中央色でした。 現在、花巻市内には、2台の元国際興業BU10(65年式)、しかも、緑色の国際興業!! の廃車体があります。 1 → 花巻北中学校の西側 2 → 花巻市諏訪地内の運送屋さんの敷地内 あれだけ、花巻営業所を占領していた丸ボディがいなくなって、何年になるでしょうか。 追伸 ツーマンカーは80年代にはもういなかったでしょうか。 ワンマン化に伴い、旧花巻電鉄花巻営業所のツーマンカーは盛岡方面に転出しました。 もし、写真がありましたなら、掲載方、よろしくお願いいたします。 ちなみに、「岩2く50××」です。 今後益々の発展を祈念いたします。[2002年7月24日 13時22分19秒]
管理人様。遅くなりましたが先日の早速のレス、有難うございます。 BU06ですが、何度か乗車した事があるので今でも鮮明に覚えています。あの過渡的なデザ インが魅力だったので北上にも早くこないかな?と楽しみにしていましたが、1984年になってよ うやく花巻にも配置され北上に顔を出すようになりました。元国際車はこのBU06まで配属 が旧岩手中央バスエリアに限定されていたようです。 ちなみにBU06の廃車体ですが、岩手県交通・紫波営業所向かいに現存しており東北本線日 詰駅や国道4号線から近いので判りやすいかと思います。ちなみに数年前までは北上市内で白鳥 飛来地として知られる新堤に休憩所(冬季は自由に立ち入りが可能でした)としてこのBU06 が置かれていましたが諸般の事情で撤去されてしまいましたし、廃車体の数自体めっきり減って しまったようです。[2002年7月24日 1時47分17秒]
左党89号様 元西武の廃車体も残ってるんですか。廃車後15年は経っていると思いますが、よく残っていてくれたという感じですね。 廃車体は,敷地の所有者の気まぐれでいつのまにか消えてしまうことがあるので,安心は出来ませんが。 njyu様 川重の73年ボディは,側面の窓サイズを規格化したり,後部窓をルーフいっぱいに大型化したり,かなり先進的でした。 登場時はまだ子供でしたが,カッコイイバスだ,と思っていました。 なので,初めて自分のカメラを手にした時に、真っ先に写真を撮りました。 当HPの譲受車の項目にある西武バス時代の写真がそれです。[2002年7月23日 19時10分0秒]
管理人様、左党89号様、こんにちは。 >私もBU06は一度だけ乗ったことがあります。前ドアの下部に切り込みがあったのを覚えております。 確かBU10はステップの方が、ドアの開く部分だけ丸く切り込まれていました。 BU06ではステップは通常で前ドアの切り込みになり、BU04からはステップ自体が 大きく(斜めに)なり、ステップ周りで苦労することはなくなりましたね。 >それを73年以降の一般車にも採用してしまうあたりが川重車体の思い切ったところで 川崎重工の車は今見てもそれほど古く感じないのは、それだけデザインの先見性が あったということですね。同時期の他社ボディを見ると、ほんと古臭く感じます。 (ここに来る方はその方が好みと思いますが^^;) それにしても、全体的に均整のとれたデザインが特徴だった川重も、LV324以降は どうもバランスの悪さ(特に窓の大きさが不均一なのが気になります)が目立ち、 好きになれません。ERGAの次はもっと斬新なスタイルで出てくることを期待しています。[2002年7月22日 13時57分9秒]
njyu様> 私もBU06は一度だけ乗ったことがあります。前ドアの下部に切り込みがあったの を覚えております。 管理人様> >県交通BU06。あれだけあったのだから、廃車体の1台くらい残っているかもし れませんね。 千厩バスターミナル(旧営業所)で作業員詰所になっているのが確かBU06だった と思いましたが何せ見たのが数年前でしたので今は残っているかどうか…。 ついでになりますが、元西武のBU04が花巻営業所裏の建設業者敷地内にあります (東北線の列車内からも見ることができます)[2002年7月21日 21時41分52秒]
BU06には,試作タイプと量産タイプがあり,国際興業は量産タイプだけでした。 試作タイプは,扉の開き方など色々新機軸を盛り込んでいました。 平面ガラスの正面スタイルも,試作車なので出来たものだと思います。 ただ,それを73年以降の一般車にも採用してしまうあたりが川重車体の思い切ったところで, 20年後のLVキュービックにも通じるものを感じます。 それにしても,県交通BU06。あれだけあったのだから、廃車体の1台くらい残っているかもしれませんね。[2002年7月20日 20時3分8秒]
管理人様 お返事ありがとうございます。 私もこのBU06の凛々しい後ろ姿が大好きだったんですよね。 フロント扉の、ステップを挟み込む開き方、非常口手前の半分窓、 空気取り入れ口(?)の独特な位置、最後部座席右横の手を置ける スペースが一番のお気に入りでした。またエンジンルーム点検扉の 開き方は先にも後にもない作りでしたね。 国際興業のBU06は、社内後部で1段のステップになっている車両と、 後のBU04のようになだらかになっている車両があったのを記憶しています。 個人的には、このBU06とキュービックLV314型が最もお気に入りです。 この車両って、日本中どこを探しても現存していないものでしょうか? 廃車体でも良いから見に行きたい! P.S. 写真の件、楽しみにしています。 ぜひよろしくお願いしますm(__)m[2002年7月18日 21時1分49秒]
ありがとうございます。 BU06は当時の盛岡市内では,振り返れば必ずいる,というくらい沢山走っていました。 BU06にしかない前後スタイルの組合せが魅力でした。 もっとも盛岡市内にいると,それが普通と言う錯覚に陥ってしまいましたが。 大きなサイズの写真ですか…。何せ古い写真なので,大きくするとボロが出そうで。 きれいに撮れてる写真だけとか,リクエストのあった写真だけとか,条件を決めて大きくしてみる方法を考えます。 とりあえず今は車両ギャラリーを完成させることが先決なので,しばらくお待ち下さい。[2002年7月18日 19時14分0秒]
初めまして。 譲受車/元国際興業のコーナー、拝見させていただきました。 私は埼玉で子供の頃から国際興業に慣れ親しんでいるのですが、 当時思い入れの深かったBU06、BU10の部分的な記憶のみが残って いて、年齢を重ねるごとに記憶が薄れていくのが悔しくて たまりませんでした。(私も写真を撮っていればよかったのですが、 なにせ子供だったもので・・^^;) ところが突然、このコーナーで再びその車両の写真を見ることができ、 もう感激で、一瞬にして当時の記憶がよみがえりました。 (本当に幼少の頃(幼稚園児くらい?)、後部の窓ガラスに丸みのある古いバスが あるんだなと記憶していましたが、これがこの65年式のBU10だったとは・・) 本当に、目を皿にして拝見させていただきました。 これだけの写真をUPしていただき、どうもありがとうございました。 P.S. できればもう少し大きな写真を見てみたいです。元データの写真を アップされる予定はありませんでしょうか?[2002年7月17日 23時33分35秒]