奇跡の復活

キャブオーバーバス〜奇跡の復活〜(前編)

日本のどこかに、まだ知られていないバスの廃車体があって、いつかはそれが誰かの手によって奇跡の復活を果たす。そんなことを常に夢見ながら、古いバスの写真や廃車体の写真をページに掲載してきましたが、なんとそんな夢がかなう日がやってきたのです。
宮城県仙台市の某所で発見された終戦間もないころのキャブオーバーバスが、福山自動車時計博物館に引き取られ、復元整備されることになりました。
(画像は一部を除き、海和隆樹さん撮影)

それは1枚の写真から始まった
トヨタBM

撮影:菅原義人様(仙台市 2005.4.23)

それは2005年5月のこと、東北は仙台市で撮影したいくつかの廃車体の写真に混じって、どう考えても昭和20年代のバスと思える廃車体の写真が届きました。
ボディは、1948〜53年ごろに製造された富士重工のT5型ボディ。後面に非常口があることから1951年以降の新造と推定できます。
シャーシメーカーは外形からは分かりませんが、キャブオーバーの製造実績があるのは、日産、トヨタ、いすゞの3メーカー。ボディの富士重工ではすべてのシャーシとの組み合わせ実績があるので、推定は不可能・・・かと思われました。

文献の中に写真が・・・

富士重工業のバスといえば、ポルト出版が「富士重工業のバス達」という本を発行しています。これには富士重工業自身が撮影した多数の車両写真が並んでいます。
ダメ元でページをめくってみたところ、なんとこの廃車体に残る前面の塗分けとそっくりなキャブオーバーの写真を発見、社名は「塩釜交通」とあります。塩釜市は仙台市の北東に位置する港町。この会社が元ユーザーに間違いない!
さらにページをめくると、塩釜交通のバスが全部で3台出てきました。いずれもトヨタ車。こうなると、この廃車体もたぶんトヨタ車。ボディの製造時期からトヨタKC型ではないか。
とりあえずそんな推定で、サイトに掲載したのでした。

バスラマエクスプレス

ポルト出版(2003)「富士重工業のバス達」

1通のメールが舞い込んだ
ボンネットバス

「十符・風の音」のボンネットバスを福山から仙台へ運ぶ途中、新潟県湯沢市で魚沼交通のボンネットバスと並んだ一コマ

それから3ヶ月ほど経ったある日のことでした。
ある方から電子メールが届きました。この方が、間もなくこの廃車体を蘇らせることにご尽力される海和隆樹さんです。
海和さんは、宮城県利府町の介護老人福祉施設「十符・風の音」で福山自動車時計博物館からボンネットバスを引き取って、稼動を始めたばかりという方。ぜひこのキャブオーバーの廃車体を福山自動車時計博物館へ運んで復元したいと言うのです。身元に信用の置ける方なので、廃車体撮影者と連絡を取り、その場所をお教えしました。

復活までの第1歩

車内
雑然としていた車内

非常口
非常口部分

カーテン
豪華なカーテン

それからの海和さんの行動力には目を見張りました。数日たたずして、廃車体の持ち主の方との交渉を済ませ、譲渡していただけることになったとのこと。
さっそく車内を捜索してみると、中には様々な部品や書類、その他が雑然と置いてありました。所有者によると、以前はボンネットバスやトラックも所有していたとのことで、そんな関係のものもあるようです。
バス車内自体はかなり原形をとどめており、座席はエンジ色のビニル張りの中向き座席(三方シート)、最後部の非常口部分の座席は取り外せるようになっています。特徴的なのは窓の上のカーテン。当時は豪華な仕様のバスだったことを想像させるアイテムです。

運転席
運転席

エンジン蓋
フロントにあるエンジン蓋

つり革
今も変わらないつり革

特徴ある外観

フロントガラス
独特の凹んだフロントガラス

透明な板
ウィンカー後ろの透明な板

鉄製の窓枠
鉄製の窓枠

外観を見てみます。一部に破損や腐食はありますが、驚くほどのコンディションで残っていました。 フロントガラスには車検の標章も残ります。1969年5月まで有効。この前年まで車検を受けていたと言うことです。運転席外側の透明な板は何でしょうか。日除けでしょうか。 また、客窓は鉄製の窓枠。この後、上の段がHゴムで固定されたいわゆるバス窓が登場するのですが、それまでのバスはこんな感じの窓でした。

やはりトヨタ車だった!

大まかに車内を整理した後は、型式、年式など、この車両の素性を知る手がかりを探すことになります。
メーカープレートなどがなく、判別には難航が予想されたシャーシメーカーでしたが、ステアリングの中央には見覚えのある「トヨタ」のマークが! 予想通りトヨタ車でした。
少ないシャーシ関係のプレートに比べて、ボディ関係のプレートは多数残されていました。銘板から「富士自動車工業」(後の富士重工業)の1953(昭和28)年式と判明。ボディ型式はTT814とあります。
ボディメーカープレートの多さに比べてシャーシメーカープレートがない理由は、後に判明することになります。

銘板

トヨタ
ステアリング中央にトヨタの文字

車体外側
車体外側のボディーメーカープレート

車内
車内のボディメーカープレート

塩釜交通の文字の発見
書類

書類

自賠責証書に「塩釜交通」の文字が

さらに海和さんは車内にあったものを整理していきます。車内には、部品や電気品、バスとは関係のない機械、そしてダンボールに入った書類などがたくさん置いてあったそうです。
自賠責証書、臨時運行許可証、道路使用許可証、そういった書類がいくつも出てきました。昭和30年代の書類が無傷で多数残されていたのです。
自賠責の証書から、この車両は少なくとも1956年までは塩釜交通の所有であったことが明らかになりました。車体に残る塗り分け線どおり、塩釜交通の乗合バスだったのです。登録番号記入欄の数字から「宮2 5324」と言うのが当時の登録番号であったと思われます。(下の写真)
これに続く翌年の自賠責証書を見ると、1957年には温泉旅館に譲渡され、自家用登録に変更されています。塩釜交通からの譲渡は、1956〜57年のことだったと分かります。

宣伝車というもの

温泉旅館でバスを使用すると言うと、送迎バスとしての使用方法が真っ先に思い浮かぶのですが、このバスはそれだけではなかったようです。
書類の中に「道路使用等許可申請書」とその許可証も発見されました。内容は、この車両を温泉の宣伝のために使用するというものです。
キャブオーバー型バスの屋根の前後にスピーカーを取り付け、両側面と後部に宣伝幕をつけ、仙台市内をビラをまきながら運行するというもの。毎年春と秋に10日間ずつくらい、このような宣伝運行をしていたようです。
残されていた書類から、1963年まではこのような宣伝車として活躍していたことが分かりました。なお、右の画像は申請書類に添付されていたイラスト(おそらく申請者の自筆)です。宣伝車の実態を知る貴重なサンプルです。

宣伝車

画像:添付書類より複写(一部修正)

年式の謎
書類

自動車臨時運行許可証(トヨタ(1948)8BMの文字が)

書類

仙台北警察署からの許可証(宮す0006の登録番号が)

これらの残されていた書類から、当時の使用実態はかなり掴めてきたのですが、大きな疑問が依然残されたままでした。
「自動車臨時運行許可証」を見てみると、「形状」の項目に「1948」と書かれていますが、これが年式のように思えます。そして「車台番号」の項目には「8BM-18427」の数字があります。車台番号のBMは車両の型式、頭の8は年式の一部を表すようです。つまり、この書類の対象となる車両はトヨタBM型1948年式らしいのです。
ところが実車はボディ銘板の通り1953年式。この5年の差は何なんでしょう。
海和さんはこの車両の所有者から「元はボンネットバスだった」と譲渡の際に塩釜交通の方が言っていたとの話を引き出します。
「1953年式を1956年に温泉旅館に譲渡するのは不自然だが、1948年式なら8年使用しており、譲渡もうなづける・・・」海和さんの意見です。

疑問を解く鍵

書籍を紐解いて、トヨタBMというものを調べてみました。確かに1948年ごろに作られていたボンネットバスです。右の本に出ているように、まだ戦前のバスとさほど変わらない古めかしいバスだったようです。
終戦後から急激な復興を遂げていた昭和20年代後半、バスボディも急速に進化し、また大型化していました。終戦直後の見た目の古いボンネットバスを、当時の最新型のキャブオーバーに改造するということもあったのかもしれません。
もしそうなら、ボディ銘板やボディプレートが残されていたのに対して、シャーシを表すプレートがついていない謎も解けます。
いずれにせよ疑問を解く鍵は、この車両の車台番号を見つけることです。海和さんの奮闘がまた始まります。

ザボンネット

クラリオン別冊の「THE BONNET」に掲載のトヨタBM(右段下から2番目)

車台番号発見!
エンジン

古いバスの車台番号はどこにあるのか。
フレーム部分に刻印されているそれは、おそらくエンジンの近くにあるはず。それも、わざと見えない場所にあるわけはなく、見える場所になければいけません。
エンジンの両側に渡されたフレームを見ていた海和さんの目に留まったのは、運転席脇の床の不自然な四角い穴。意味のない穴があるわけがない。車台番号を見るための穴では。
海和さんの勘は当たりました。錆と埃のたまったフレーム部分に水をかけてこすると、小さな数字の並びが見えてきました。
「8BM-・・・」これが1948年式のBMであることが判明した瞬間です。

東武博物館の保存車と比べてみます

東武博物館の保存車
日産180

撮影:東武博物館(2005.1.22)

今回の塩釜交通
トヨタBM

撮影:菅原義人様(2005.4.23)

東武博物館の保存車
日産180

撮影:東武博物館(2005.1.22)

今回の塩釜交通
トヨタBM

撮影:菅原義人様(2005.4.23)

東武博物館保存の日産180(1951年式)と今回の塩釜交通トヨタBM(車体年式1953年)です。
正面から見た感じはほとんど同じ。後面は非常口の有無という違いが見て取れます。東武のほうは、非常口が側面にあります。また、側面最後部の窓の形も異なります。

SALVAGE

>>キャブオーバーバス〜奇跡の復活〜(後編)に続く

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80s岩手県のバス“その頃”