奇跡の復活

岩手県南バスのボンネットバスをサルベージ

宮城県の塩釜交通キャブオーバーバス、秋田県の羽後交通ボンネットバスと相次いで貴重な廃車体を引き出して復元の道筋をつけた海和さんは、早くも次の廃車体を探し始めていました。それも今度は自分で所有したいという強い気持ちを持ち始めているようでした。
その海和さんが希望していたのが「日産のボンネットバス、どこかにないでしょうかねえ」。そう簡単に希望のものが見つかるわけはない・・・と思っていたところ、偶然にも日産のボンネットバスの廃車体発見の情報が入りました。
(画像は一部を除き、海和隆樹さん撮影)

昭和30年代テイストのボンネットバス
U592

撮影:終点横川目様(金ヶ崎町 2005.11.3)

終点横川目さんからこのボンネットバスの廃車体の写真が届いたのは、海和さんから「昭和20年代の日産のボンネットバスの廃車体、東北地方にないもんですかねえ」とメールが届いて間もない日のことでした。
終点横川目さんも、既報の廃車体発掘ドキュメントをご覧になり「博物館行きのバスを探してみようと(笑)」岩手県内の廃車体を探していたところ、金ヶ崎町でこれを発見したとのこと。
ボンネットのグリル形状から「日産のボンネットバス」・・・海和さんが探していたものと非常に近いものではないか。この偶然には驚きました。

北村製作所のボディプレート

終点横川目さんが所有者の許可の下で探索した結果、このボンネットバスには残念ながらエンジンがないことが分かりました。
新たな発見としては、このボディが北村製作所製であったこと。この時期のボンネットバスにしては窓が大きい明朗なスタイルの車体は、本などでは見たことがありましたが、ボディメーカーはこれまでよく分かりませんでした。
これは今回終点横川目さんが撮影したボディプレート。「北村ボディ・新潟」とローマ字で書かれています。新潟と言う地名を入れるところが、ローカルメーカーの意地を表しているように思えます。

U592

撮影:終点横川目様(金ヶ崎町 2005.11.3)

倉庫として、宴会場として
U592

撮影:終点横川目様(金ヶ崎町 2005.11.3)

ボンネットバスはこんな感じで置かれていました。
酒屋さんの倉庫として使用されていたそうです。かつてはここに近所の方が集まって宴会を開くなど憩いの場になっていたということです。
現在では物置状態になっていましたが、物置としても近年はあまり活用されていなかった感じです。

海和さんが立ち上がる!

「日産のボンネットバスが岩手県で発見されましたが、どうしましょう?」早速海和さんに連絡してみました。
「ほしいです」と言うのが海和さんのストレートなお答えでした。
まずは所有者の方に譲って頂けるかどうかのお願いをしなければなりません。それには、所有者とお会いしている終点横川目さんに動いてもらうことが不可欠。
メールを通じて終点横川目さんと海和さんとの連絡を取りあう役目は私がやりました。そして11月12日、私は残念ながら同行できませんでしたが、終点横川目さんの案内で海和さんが現地に赴き、所有者の方にお会いすることが出来ました。

銘板
銘板
(撮影:終点横川目様)

ボディメーカーの銘板
銘板
(撮影:海和隆樹様)

車体裾の刻印
刻印
(撮影:海和隆樹様)

結果の報告メールは、その日のうちにいただきました。
ただ、結果は「NO」。今回はすんなりと譲って頂ける訳には行きませんでした。しかし、その理由を聞いて私はちょっと安心感を覚えました。
一つには、あまりにも昔から当たり前に置いてあった物なので、踏ん切りがつかないという理由でした。これは、所有者の方がこのバスに愛着を持っていただいている証拠ではないでしょうか。
逆に言えば、この所有者の下でなら、このバスは保存されるのと同じように長く維持してもらえるということです。

新たに判明したこと

「譲ってもらってレストア」という筋書きは、とりあえず来春以降に持ち越しになりましたが、今回の探索で新たに判明したことがいくつかありました。
一つは車内で銘板を確認した結果、日産U592の1959年式であることが分かりました。この型式は、日産自動車が民生ディーゼルからディーゼルエンジン(UD3型)の供給を受けて製作したもの。海和さんの希望していた「ガソリンエンジンの日産車」ではありませんでしたが、貴重な車両であることに変わりはありません。
また、終点横川目さんが観察したところ、「岩手県南」の文字の下に「東部」とあるのを発見。これは釜石市に本社のあった東部バス出身車両であることを意味します。

U592

撮影:終点横川目様(金ヶ崎町 2005.11.3)

冬を越すことに

所有者の方のお気持ちを優先して、海和さんはこのバスをお譲り頂く交渉を、冬が過ぎてからにすることで気持ちを固めました。
ということで、金ヶ崎の長い冬の代わりに下の画像をしばらくご覧下さい。

金ヶ崎町の冬

さて、長かった冬も終わりを告げましたが、海和さんは公私共に忙しく、なかなか所有者の方に会いに行くことが出来ません。
ゴールデンウィークに入り、ようやく所有者とお会いできた海和さんは、お譲りいただくことで所有者の方から快諾を得ることが出来ました。Xデーは5月27日(土)に決まりました。
「第一発見者」の終点横川目さんは残念ながら用事があってその日は現場に行けないとのこと。私も出来れば行きたかったのですが、同様に不可能でした。

ついに引き上げの日
U592

撮影:海和隆樹様(金ヶ崎町 2006.5.27)

そして2006年5月27日、海和さんと「宮城昭和の車保存会」の皆さんが金ヶ崎町の現場に集まり、ボンネットバスの引き揚げ作業に入りました。
写真は、クレーンをボンネットバス前部につける作業に入ったところです。
「一体、何をしようとしているの?」とボンネットバスが不安そうに見ています。

U592

それではいつものように、早回しでご覧下さい。
後部が小屋と隣接しているボンネットバスを、まず前に出し、そのあと後ろ側に引き出すという段取りです。
ボンネットバスの前側の物を取り除き、クレーンで前に引き出します。錆の出た古い車体ですので、作業は慎重に行なわれます。
次に下の画像のようにボンネットバスの後ろにトラックをスタンバイ。今度はボンネットバスの後ろにワイヤを縛り、後ろから引っ張りあげる準備に入ります。

酒屋さんのバス

そろそろ住み慣れた酒屋さんの庭からトラックの荷台へと移されようと言うボンネットバス。 長い間ともに過ごしたビールケースやウィスキーの箱も心配そうに見守っているようです。

U592
U592

後輪からまず荷台にあげてゆきます。タイヤの空気はほとんど抜けていますので、床下をこすらないかどうか慎重に確認しながらの作業です。
そして今度は下の画像のように、ワイヤを前バンパーに付け替えて、前輪を荷台に載せる最後の作業です。錆付いたバンパーが外れたりしないかどうか、ちょっと心配でした。

U592
積み込み終了
U592

トラックに載せ終えて、ほっとした皆さんで記念撮影です。
こうして見ると、ボンネットバスも意外と破損が少なく、1950年代のバスだというのが嘘のように思えてきます。
ちなみに写真を撮影したのが海和さんなので、海和さんは写っていません。

旅立ち
U592

いよいよ出発です。30年、いや40年近く住み慣れた酒屋さんの庭から旅立ってゆくボンネットバス。
所有者の方も、家族と同様に暮らしてきただけに、さびしい別れだったかもしれません。
後ろを向いたまま去って行くボンネットバスの顔も、心なしか悲しげに見えます。それとも、大切にしてくれた酒屋さんへの感謝の気持ちを表しているのでしょうか。

U592

撮影:海和隆樹様(金ヶ崎町 2006.5.27)

仮の(?)宿に到着です
U592

撮影:海和隆樹様(仙台市 2006.5.27)

仙台市内某所の「宮城昭和の車保存会」の車庫に到着しました。
しばらくはこの地に置かれて、今後の身の振り方を考えるということです。周囲には三輪自動車など同じ時代の仲間がいるのも、このボンネットバスにとっては心強いかもしれません。

車庫の奥がとりあえずの定位置になりました。
隣には一足早く「宮城昭和の車保存会」に仲間入りした川中島バスの「メモリアルバス2号」が待っていました。こちらは育った時代や土地があまりにも違いますので、お互いに見たこともない間柄。ちょっとよそよそしい感じが伝わってきます。
今後、このボンネットバスをどのように保存するかはまだ未定です。レストアは可能なコンディションですが、エンジンがありません。他の日産自動車製ボンネットのエンジンを移植するのか、このまま発見された時の状態のままで時代を伝えてゆくのか。今後を見守ってゆきたいと思います。

U592
SALVAGE

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