和歌山城









コード:30-201
和歌山城
(虎伏竹垣城)

梯郭式平山城
紀伊國
(和歌山県和歌山市一番丁)

天守構造
連立式層塔型三重三階
遺構
門、塀、庭園、石垣、堀
城内略図









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1600慶長05年入封した浅野家が虎伏山の西峰に黒板張ではあるがほぼ現在と同様の天守閣を築造。
三層の大天守から時計回りに多門、天守二之御門、二之御門櫓、多門、御台所、小天守と続く連立式天守であった。
1798寛政10年十代藩主徳川治宝(はるとみ)により白壁の白亜の天守となるが1846弘化03年の落雷で焼失。御三家ということで許され1850嘉永03年にごぼ元のまま再建される。
1935年には国宝に指定されたが1945昭和0年07月09日の和歌山大空襲で焼失。戦後市民からの要望もあり昭和33年に鉄筋コンクリートで復元された。

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天守付近の石積



紀州青石を多用している


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徳川家の藩主時代本丸御殿が山上にあったが不便で手狭なため二の丸に藩主の居館や政庁が置かれた。
この穴蔵状の遺構は1655承応04の火災以来埋め戻されて使用されることはなかったというからそれ以前に積まれたことになるのだが、なんだか手法があたらしいように思えてならない。ひょっとして積替られた、かな?

西の丸庭園
奥に見える橋が二の丸と西の丸を結ぶ御橋廊下。手前に鳶魚閣

裏坂登城口
手前は切込はぎ、奥は野面積というより打込みはぎに近い








和歌山城略歴
西暦1585年
豊臣秀長が築城。縄張りは藤堂高虎だといわれている。
西暦1586年
桑山重晴が秀長の城代として入場
西暦1596年
桑山一晴が家督を継ぐ
西暦1600年
慶長05年

関ヶ原以後浅野幸長(よしなが)が37万6千石で入封、連立式天守を建てるなど大規模な増築を行った。
二代目は長晟(ながあきら)
西暦1619年
元和05年

家康の十男徳川頼宣が55万5千石で入封