045聖武天皇



名前

第45代 聖武天皇(しょうむてんのう)、首(おびと)、天璽国押開豊桜彦尊(あめしるしくにおしはるきとよさくらひこ)
               

親族

父=文武天皇  母=藤原宮子  
皇后=藤原安宿媛(ふじわらのあすかべ)(光明子・光明皇后)
               

皇居

平城宮、恭仁宮、難波宮、紫香楽宮(離宮)(滋賀県甲賀郡信楽町)
               

陵墓

陵墓名:佐保山南陵(さぼやまのみなみのみささぎ)
形状:山形
所在地:奈良市法蓮町


聖武天皇陵墓看板



聖武天皇陵墓参道



聖武天皇陵墓



聖武天皇皇后墓


       
               


45代聖武天皇の略歴 (8世紀
0701大宝01辛丑(1)
生誕
0704大宝04甲辰05月10日 慶雲に改元
0708慶雲05戊申01月11日 和銅に改元
0714和銅07甲寅06月25日(14)
立太子
0715和銅08乙卯09月02日 霊亀に改元
0717霊亀03丁巳11月17日 霊亀から養老に改元
0724養老08甲子02月04日(24) 叔母にあたる元正天皇の譲位により即位 24歳
この日、一品の舎人親王に500戸加増、二本の新田部親王には一品を、従二位の長屋王には正二位を、その他の叙位を行っている。養老から神亀に改元
0724神亀01甲子02月06日(24)
母である正一位の藤原夫人(宮子)を尊び大夫人(おおきさき)と称することとするなどの叙位を行う。
0724神亀01甲子03月01日
吉野宮へ行幸
0724神亀01甲子03月03日
平城宮へ還幸
0724神亀01甲子03月22日
母藤原宮子を大夫人と呼ぶことについて長屋王から異論がでる。
大夫人(おおきさき)は撤回され「皇太夫人」または「大御租」とすることとなった。
0724神亀01甲子10月05日
紀伊国へ行幸
0724神亀01甲子10月07日
紀伊国那賀郡玉垣の勾頓宮に到着
0724神亀01甲子10月08日
海部郡玉津島(和歌浦の玉津神社あたり)の頓宮に至り10日ほど滞在。
0724神亀01甲子10月12日
離宮を岡の西(神社の西北)に造る
0724神亀01甲子10月21日
平城宮への帰途につき和泉国所石(大阪府高石市所石)の頓宮(かりみや)に到着
0724神亀01甲子10月23日
平城宮に帰還
0725神亀02乙丑10月10日
難波宮に行幸。
0726神亀03丙寅10月07日(26)
播磨国印南野に行幸
0726神亀03丙寅10月10日
印南野の邑美頓宮(おみのかりみや)(明石郡邑美郷)に至る
0726神亀03丙寅10月19日
帰途につき難波宮に至る。
0726神亀03丙寅10月26日
従三位の藤原朝臣宇合を知造難波宮事(造営長官)に任じる。
0726神亀03丙寅10月29日
平城宮に帰着
0727神亀04丁卯01月01日(27)
朝賀の儀は雨天中止
0727神亀04丁卯01月03日
大極殿で官人の朝賀を受ける
0727神亀04丁卯05月04日
甕原離宮(みかのはら)へ行幸(後の恭仁京)
0727神亀04丁卯05月06日
平城宮に帰還
0727神亀04丁卯閏09月29日
光明子に皇子誕生
0727神亀04丁卯11月21日
藤原夫人(光明子)に食封千戸を賜う
0728神亀05戊辰12月27日
「金光明経」10巻ずつ計640巻を諸国に与える
0729神亀06己巳02月10日(29)
長屋王が国家を倒そうとしているとの密告がある
0729神亀06己巳08月05日 神亀から天平に改元
0734天平06甲戌03月10日(34)
難波宮に行幸
0734天平06甲戌03月17日
難波宮を出発し竹原井頓宮に宿泊(現在の大阪府柏原市)
0734天平06甲戌03月19日
平城宮に帰る
0736天平08丙子03月01日(36)
甕原離宮へ行幸
0736天平08丙子03月05日
平城宮に帰る
0736天平08丙子06月27日
吉野離宮へ行幸
0736天平08丙子07月13日
平城宮に帰る
0737天平09丁丑03月03日(37)
諸国に対し高さ一丈六尺の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ、釈尊)の造営と大般若経一部の書写を命ずる。   
            
0738天平10戊寅01月13日
阿倍内親王(孝謙天皇)を皇太子とする。
0740天平12庚辰02月07日(40)
難波宮に行幸
0740天平12庚辰02月19日
平城宮に帰る
0740天平12庚辰06月29日
国毎に法華経十部の書写とあわせて七重塔一区の建立を命ずる
0740天平12庚辰10月29日
伊勢国に行幸
0740天平12庚辰10月30日
伊勢国名張郡に到着
0740天平12庚辰11月02日
伊勢国壱志郡の河口頓宮に到着。関宮と称した。この日から10日間留まる。
0740天平12庚辰11月12日
河口を出発
0740天平12庚辰11月26日
美濃国当芸郡に到着
0740天平12庚辰12月13日
志賀の山寺(崇福寺)に行幸し仏を拝む
0740天平12庚辰12月15日
恭仁京に行幸し、ここを都と定め造営を開始する。
0741天平13辛巳02月14日(41)
国分寺建立の詔。諸国に七重塔を中心に僧寺・尼寺を整備、僧寺は金光明四天王護国之寺と名づけて僧二十
名を置き、封戸(ふこ、そこからの税収を私有できる公民)五十戸と水田十町を施入、尼寺は法華滅罪之寺(ほ
っけめつざいのてら)と名づけ尼十名を置き、水田十町を施入することを命ぜられた。国分寺造営の詔である。
0743天平15癸未10月15日(43)
東大寺大仏建立の詔
0744天平16甲申02月26日(44)
恭仁宮から難波宮に遷都
0745天平17乙酉01月01日(45)
朝賀の儀は中止される
0745天平17乙酉01月21日
行基法師を大僧正に任じる
0745天平17乙酉04月
離宮紫香楽宮付近で放火と見られる火災が頻発する。
0745天平17乙酉05月10日
05月01日からこの日まで連日の地震。火災(放火)や地震の頻発で多勢の人が平城京に戻り甲賀宮の治安は
最悪となる
0745天平17乙酉05月11日
恭仁京から平城京に行幸。都を平城京に戻す
0745天平17乙酉08月28日
難波宮に行幸する。
0745天平17乙酉09月17日
重病に陥る
0745天平17乙酉09月25日
病状が多少好転したのか平城京に還幸。
0745天平17乙酉12月15日
恭仁宮の武器を平城京に運ばせる
0746天平18丙戌01月01日(46)
朝賀の儀は取止め
0746天平18丙戌10月06日
この日、元正上皇、光明皇后を伴い金鍾寺(こんしゅじ)に行幸、盧舎那仏に対し15700の灯火をともす燃灯供
養法要が行われた。また、夜には数千の僧侶に灯火をかかげて仏像の周囲を三周させた。深夜にいたって平
城宮に還幸。
金鍾寺は後に東大寺となっていく寺だが、むろん大仏はまだ完成していない。おそらくは鋳型が完成したか、鋳
型の元となる雄型が完成したものと思われる。
0747天平19丁亥09月29日(47)
東大寺の大仏の鋳造が始まる
0749天平21己丑4月14日(49) 天平から天平感宝に改元
0749天平感宝01己丑07月02日
退位。天平感宝から天平勝宝に改元
0754天平勝宝06甲午07月19日(54)
母である太皇太后藤原宮子が平城宮の中宮で崩ずる。
0756天平勝宝08丙申05月02日(56)
崩御