043元明天皇


                     
名前 第43代 元明天皇(げんめいてんのう)   阿閉皇女(あへ)
                     
親族 父親 天智天皇
  母親 蘇我姪娘(そかのめいのいらつめ)(蘇我石川麻呂の娘)
  配偶者 軽皇子
                     
皇居 藤原宮
                     
陵墓 陵名 奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)
  所在地 奈良市奈良阪町
  元正天皇と並んであるこの御陵には訪れる人も少ないが、元明天皇といえば平城京へ遷都した超有名な王だったんですよ。
 


                     
                     


43代元明天皇の略歴(7世紀)(8世紀

0661斉明天皇07辛酉(1)

生誕
0697持統天皇11丁酉08月01日
(36)
軽皇子(文武天皇)が即位

0707慶雲04丁未07月17日(47)

藤原宮大極殿で即位
0707慶雲04丁未11月20日
文武天皇を安古山陵に葬る
0708慶雲05戊申01月11日 和銅に改元
0708和銅01戊申02月15日(48)
平城宮遷都の詔
0708和銅01戊申12月05日
平城宮の地鎮祭
0709和銅02己酉06月09日(49)
上総、越中の二国の疫病に薬を支給。
0709和銅02己酉06月15日
機内に使いを遣わして雨乞いをさせる。
0709和銅02己酉06月26日
紀伊国の疫病に薬を支給
0709和銅02己酉08月28日
平城宮へ行幸
0709和銅02己酉09月04日
造宮省の将領に地位に応じて物を賜る
0709和銅02己酉10月11日
造平城京司に「もし工事中に古墳の発見されるものがあったら、埋め戻し、あばいたままにしてはならぬ。全て酒
を注いで祭り、死者の魂を慰めよ。」と命じている。
0710和銅03庚戌01月01日(50)
藤原宮大極殿で朝賀の儀
0710和銅03庚戌02月11日
信濃国の疫病に薬を支給して治療させる。
0710和銅03庚戌03月10日
平城宮遷都
左大臣・正二位の石上朝臣麻呂を藤原宮の留守司とする。
0710和銅03庚戌04月23日
従三位の長屋王を式部卿に任じる。従四位下の多治比真人水守を宮内卿に、従四位下の多治比真人池守を
左京太夫に任じた。
従五位上の采女朝臣比良夫を近江守に、従五位上の佐太忌寸老を丹波守に、従五位下の山田史御方を周防
守に任じる。
0710和銅03庚戌04月29日
参河(みかわ)、遠江、美濃の三国が飢餓となり物を恵み与える。
0710和銅03庚戌05月08日
従五位下の大伴宿禰牛養を遠江守に任じる。
0710和銅03庚戌06月02日
太宰大弐・従四位上の巨勢朝臣多益須が卒する
0710和銅03庚戌09月18日
全国の銀銭の使用を停止する。
0710和銅03庚戌10月14日
正五位上の黄文連大伴が卒する。壬申の乱の功績により正四位下を追贈。
0711和銅04辛亥01月02日(51)
都亭の駅の設置(都に近い場所の駅)
0711和銅04辛亥04月05日
大和、佐渡に飢餓がありものを恵み与える。
0711和銅04辛亥09月18日
太安麻呂(おおのやすまろ)に『古事記』の編纂を命ずる
0712和銅05壬子01月16日(52)
次のような詔
諸国の役民が帰郷する時食料が欠乏し飢えて谷や溝に転落し埋もれ死ぬことが少なくない。国司らは慈しみ養
い程度に応じて物を与えるように。もし、死にいたるものがあればとりあえず埋葬し本人の戸籍のある国に報告
せよ。
0712和銅05壬子01月28日
太安麻呂が古事記三巻を献上
0714和銅07甲寅01月03日(54)
二品の長親王、舎人親王、新田部親王には封戸をそれぞれ200戸、従三位の長屋王には100戸を増す。これら
の封戸の租は全て封主に給される。
0715和銅08乙卯01月01日(55)
大極殿に出御して官人の朝賀を受ける。
0715和銅08乙卯01月10日
この日それぞれに位を与えているが、二品の氷高内親王(元正天皇)を一品としている。
0715和銅08乙卯03月01日
甕原離宮(みかのはら)(後の恭仁京)へ行幸
0715和銅08乙卯07月10日
再び甕原離宮へ行幸
0715和銅08乙卯09月02日
氷高内親王(元正天皇)に譲位する。
和銅から霊亀に改元
0717霊亀03丁巳11月17日 養老に改元
0721養老05辛酉05月03日(61)
病気となり、全国に大赦が行われる。
0721養老05辛酉10月13日
病気のため自らの死期を悟られて右大臣長屋王(ながやのおおきみ)、参議藤原房前(ふじわらのふささき)の
二人を召し入れ、自分にもしものことがあってもそのために政治を停滞させてはならない、と深く戒め、後事を託
された。十六日には重ねて薄葬を命じられたという。
0721養老05辛酉12月07日
崩御
0721養老05辛酉12月13日
大伴旅人の指揮により椎山(ならやま)の陵に葬られる。遺詔により葬儀は無かったと伝えられている