036孝徳天皇


                     
名前 第36代孝徳天皇、軽(かる)、天万豊日尊(あめよろずとよひ)
                     
親族

茅渟王(ちぬ)

吉備媛王(きびひめ)
 

皇后

間人皇女(中大兄の妹)
 

妃1

小足媛(おたらしひめ)
 

妃2

乳娘(ちのいらつめ)(蘇我倉山田石川麻呂の娘)
                     
皇居 難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさき)
 

         
                     
陵墓 陵名 大坂磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)
  古墳 山田神の山古墳
  所在地 大阪府南河内郡太子町山田
 

 

                     











陵墓
大坂磯長陵 山田上ノ山古墳
大阪府南河内郡太子町山田















36代孝徳天皇の略歴(06世紀)(07世紀
0596推古天皇04丙辰
生誕
0645皇極天皇04乙巳06月12日
中大兄鎌足、石川麻呂らと蘇我入鹿殺害(大化の改新)に加わったとされているがよく分からない。
0645皇極天皇04乙巳06月14日
皇極天皇の譲位を受け即位 。安倍内麻呂臣を左大臣に、蘇我倉山田石川麻呂を右大臣とする。
最初は中大兄に皇位を譲るつもりだったらしいが中大兄鎌足と相談し辞退する。
次に軽皇子(孝徳天皇)に神器を授けようとするが軽皇子は古人大兄を推した。古人大兄も辞退しその場
で髭や髪をそり出家してしまい軽皇子が皇位につくこととなった。
古人大兄は蘇我入鹿が推していた人物であり古人は中大兄を恐れて皇位を受けることが出来なかったよ
うだ。古人が受けていたら最有力候補の中大兄に抹殺されていただろうと思われる。実際こののち古人は
中大兄によって抹されてしまうこととなる。
0645皇極天皇04乙巳06月15日
金策(こがねのふみた)(金泥で書かれた書物)を安倍内麻呂臣と蘇我倉山田石川麻呂に授ける
0645皇極天皇04乙巳06月19日
中大兄(皇太子)が日本初となる元号「大化」を決定する
0645大化01乙巳07月02日
舒明天皇の娘「間人皇女」を皇后とする。間人は中大兄の実妹でもある。
0645大化01乙巳07月10日
高麗、百済、新羅の使いが貢を奉じる
0645大化01乙巳08月05日
東国の国司に戸籍調査と租税のための田畑の調査を命じる。
また、訴訟に関する法や収賄に関する罰則、男女に関する法なども定める
0645大化01乙巳09月01日
使者を諸国に遣わし武器の管理をさせた。
0645大化01乙巳09月03日
古人大兄(舒明天皇と妃法堤郎姫との皇子)が謀反を企てた。
首謀者は古人大兄、蘇我田口臣川掘、物部朴川連椎子、吉備笠臣垂、倭漢文直麻呂、朴市秦造田来
津。
0645大化01乙巳09月12日
古人大兄の謀反を吉備笠臣垂(きびのかさのおみしだる)が中大兄に対して自首。古人は中大兄が命じた
兵に討たれる。
0645大化01乙巳09月19日
使者を諸国に遣わし人民の総数を調べさせている。
このときの調査結果はわかりませんが、弥生時代に60万人(?)、奈良時代には500万人というデータ(?)
などもあるので推測するに300〜400万人くらいだったのかと思えます。
0645大化01乙巳12月09日
都を難波長柄豊崎(なにわのながらのとよさき)に移す。
0646大化02丁未03月22日
「薄葬令」発布。位による玄室の大きさや墳墓の長さや高さの規定も行った。
0646大化02丁未
この年冠位12階を7色13階改変するなどの制度改革発布
0647大化03丁未09月
長柄豊崎の造営が終わる。
0647大化03丁未
この年、中大兄が「飛鳥へ帰る」と言い出したが孝徳は許さなかったが、中大兄はなんと孝徳の皇后の間
人や大海人、皇極上皇を伴って飛鳥へ帰ってしまう。
0649大化05己酉03月17日
阿倍左大臣が薨去
0649大化05己酉03月24日
石川麻呂に謀反計画があると蘇我内麻呂から密告。おそらく中大兄と鎌足の策謀と思われる。孝徳は石
川麻呂を救おうと奔走するが事は中大兄と鎌足の筋書き通りに進む。
0649大化05己酉03月25日
やむなく「石川麻呂謀反」に同意させられ、兵を出す。石川麻呂は難波から脱出し大和の山田寺で家族8
人とともに自害。
0649大化05己酉04月20日
小紫であった巨勢徳陀古臣を大紫として左大臣に同じく小紫の大伴長徳連に大紫を授けて右大臣とする。
0654白雉05甲寅10月10日
晩年を失意のうちに過ごし崩御 59歳