033推古天皇
                     
名前 第33代 推古天皇(すいこてんのう)
幼名:額田部皇女(ぬかたべのみこ)
豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめ)
                     
親族 父親 欽明天皇(きんめいてんのう) 母親 蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)
  配偶者 敏達天皇(びたつ)          
                     
皇居 豊浦宮(とゆらのみや)、小墾田宮(おわりだのみや)
 


豊浦宮(豊浦寺)跡

         
                     
陵墓 陵名 磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)
  古墳 山田高塚古墳 形状 方丘
  所在地 大阪府南河内郡太子町山田
 


 



西側から見た推古陵

 


当初埋葬された竹田皇子陵(植山古墳)

 


  墳丘は三段形式で、東西61mの大型方墳である。堀や堤はないが葺き石か貼り石はあったらしい。平安時代後期に盗掘にあったり、
幕末の大改修をされているので出土品などは判明しない。江戸時代の資料によると、主体部分は南に開口する横穴式石室で羨道の
前面を大石で閉塞している。玄室は約4.5Mで大きな切石を使っている。玄室内には二期の家型石棺が左右に並んでいたという。

7世紀後半頃の築造とみてよいだろう。
推古天皇はもともと奈良県橿原市五条野の息子の竹田皇子陵(植山古墳)に追葬されている。これは自身の遺詔だったという。「比年
(このごろ)、五穀登(みの)らず。百姓(おおみたから)、大きに飢う。其れ、朕(わ)が為(ため)に陵(みささぎ)を興(た)てて厚く葬(は
ぶ)ること勿(なか)れ。便(すなは)ち竹田皇子(たけだのみこ)の陵に葬るべし」 古事記での記載に、磯長の大陵(山田高塚古墳)に改
葬したとある。これがその磯長の大陵とみて間違いないという。
  下の写真はほぼ同時期に作られた二子塚古墳。推古天皇陵は立入禁止で確認のしようもないがこちらは自由に入れて石棺も見ること
ができる。
 
 
                     


33代推古天皇の略歴(6世紀)(7世紀
0554欽明15甲戌
欽明天皇と皇太夫人(蘇我堅塩媛)の第三皇女(用明天皇の同母妹)として生誕。
0576敏達天皇05丙申03月10日(18)
敏達天皇の皇后となる
0585敏達天皇14乙巳08月15日(34)
敏達天皇崩御
0586用明天皇01丙午05月(35)
敏達天皇の殯の宮で穴穂部皇子に犯されそうになるが三輪逆(みわのさかう)に助けられる。
三輪逆は穴穂部に命じられた物部守屋に殺されてしまう。
0592崇峻天皇05壬子11月03日(41)
崇峻天皇蘇我馬子の謀略で殺される。(このとき39歳)
0592崇峻天皇05壬子12月08日(41)
第33代天皇として即位
0593推古天皇01癸丑01月15日(42)
仏舎利を法興寺の心礎の中に安置。
0593推古天皇01癸丑01月16日
法興寺の塔の心柱を建てる。
0593推古天皇01癸丑04月10日
聖徳太子を皇太子とし、摂政とする
0593推古天皇01癸丑01年09月
用明天皇を河内磯長原陵に改葬する。
0596推古天皇04丙辰11月(45)
法興寺落成
0599推古天皇07己未04月27日(48)
地震
0601推古天皇09辛酉11月05日(50)
新羅を攻める軍議
0602推古天皇10壬戌02月01日(51)
来目皇子を新羅攻略の将軍とし軍兵25000人が授けられる。
0603推古天皇11癸亥10月04日(52)
小墾田宮へ移る
0603推古天皇11癸亥12月5日
冠位12階の制定
大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智、の12階。階毎に色が決まっていた。
0604推古天皇12甲子01月01日(53)
諸臣に冠位を授ける。
0604推古天皇12甲子04月03日
憲法17条を発表
0605推古天皇13乙丑04月01日
丈6尺の仏像を造ると詔
0607推古天皇15丁卯07月03日
遣隋使の派遣。
小野妹子が、隋の皇帝に宛てた「日出づる處の天子、日没する處の天子に致す。恙なきや」の国書を持参
0620推古天皇28庚辰12月01日(67)
蘇我馬子らとともに『天皇記』『国記』を編纂
0621推古天皇29辛巳02月05日(68)
甥であり摂政の聖徳太子が薨去
0624推古天皇32甲申10月01日(71)
蘇我馬子が葛城の県を自分の土地に払い下げるよう要請するが断る
0626推古天皇34丙戌05月20日(73)
大臣蘇我馬子歿
0628推古天皇36戊子03月06日(75)
田村皇子(舒明天皇)と山瀬大兄(やませのおおえ)を呼び群臣の言葉を良く聞きこれに従うよう命ずる。
0628推古天皇36戊子02月27日
病臥につく。
0628推古天皇36戊子03月07日
75歳で崩御
0628推古天皇36戊子09月24日
竹田皇子陵(植山古墳)に追葬される。これは天皇の遺勅であったという。
古事記の記述によれば、その後磯長山田陵に改葬されたとある。(現在大阪府太子町にある山田高塚古墳)