025武烈天皇


                     
名前 第25代 武烈天皇(ぶれつてんのう)  小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせわかさざき)
                     
親族 父親 仁賢天皇(にんけんてんのう) 母親 春日大娘皇女(かすがのおおいら
つめ)
  皇后 春日娘子(かすがのいらつめ)          
                     
皇居 泊瀬列城宮(はつせのなみき)---桜井市出雲            
 


 


                     











陵墓
傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)
奈良県香芝市今泉  拝所前駐車場 34-33-42N135-41-48E
現陵は自然丘陵をあたかも前方後円墳のように石垣が巡っているが丘陵上部にも古墳らしきものは見当たらないということだ。
幕末には武烈陵については諸説がでていて明治22年になってようやく現位置に自呈されている他、前王廟陵記(1696)では、武烈天皇陵の存在は未詳であるとされている。つまりはよくわからないのである。
  
現治定陵は疑わしいが、これが武烈陵ではと近年注目されている古墳がある。隣の大和高田市内の「狐井塚古墳」である。
全長75m程の前方後円墳で継体天皇が先帝の供養のため築造したことは十分考えられる・・・とのことである。
奈良県大和高田市池田467-6 34-31-15N135-43-58E
御陵の周囲は住宅に取り囲まれ道幅は狭く駐車スペースは全くないので訪問は要注意!












略歴(5世紀)(6世紀
0489仁賢天皇02己巳年(1)
生誕
0498仁賢天皇11戊寅年08月08日(10)
仁賢天皇が崩御
この月、影媛(物部の娘)を娶ろうとしたが、平群真鳥(へぐりのまとり)の息子鮪(しび)と通じていたことを知り
これを殺してしまう。
0498仁賢天皇11戊寅年11月11日(10)
大伴金村連(おおとものかなむらのむらじ)に命じて鮪の父である大臣の平群真鳥(へぐりのまとり)を討つ
0498仁賢天皇11戊寅年12月(10)
都を泊瀬列城宮(はつせのなみき)に定め、大伴金村連を大連(おおむらじ)とし即位する
0499武烈天皇01己卯年03月02日(11)
春日娘子(かすがのいらつめ)を皇后とする
0500武烈天皇02庚辰年09月(12)
妊婦の腹を割いて胎児を見る(書紀記述)
0501武烈天皇03辛蛇年10月(13)
人の生爪を抜いて山芋を掘らせる(書紀記述)
0506武列天皇08丙戌年12月8日(18)
泊瀬列城宮で崩御 18歳
0508継体天皇02戊子年10月03日
傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)に葬られる