022清寧天皇


名前 第22代 清寧天皇(せいねいてんのう) 白髪武広国押稚日本根子尊(しらがたけひろくにおしわかやまとねこ)











親族 父親 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)

母親 葛城韓媛(かつらぎのからひめ)

皇后 なし











皇居 磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)---現在の桜井市池ノ内付近


奈良県桜井市の天香具山の北側。ここらあたりは磐余と呼ばれ、
「磐余池」もあったという。

この池のほとりに神功皇后の磐余稚桜宮、代は巡って、履中天皇
の磐余稚桜宮、清寧天皇の磐余甕栗宮、継体天皇の磐余玉穂
宮、用明天皇の磐余池辺双槻宮などが営まれたとみられる。

池ノ内の地名だがこれは「池の大内」という神功皇后の略称からつ
けられているらしい。












陵墓 陵名 河内坂門原陵(かわちのさかどのはらのみささぎ)

古墳名 西浦白髪山古墳

所在地 大阪府羽曳野市西浦6丁目
 






















22代清寧天皇の略歴(5世紀
0444允恭天皇33年甲申(1) 生誕
生まれながらにして白髪だったという。
0478雄略天皇22戊午01月01日(35) 立太子
0479雄略天皇23己未08月07日(36) 父帝雄略天皇が崩御
0480清寧天皇01庚申01月15日(37) 即位
0480清寧天皇01庚申10月09日(37) 雄略天皇を丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ) に葬る
0481清寧天皇02辛酉11月(38) 大嘗祭(おおにえのまつり)(だいじょうさい)の供え物を調えるため播磨の国に遣わしていた伊予来目部
小楯が明石郡で偶然に市辺押磐皇子の子である億計(おけ)と弘計(をけ)の兄弟を発見
0482清寧天皇03壬戌04月07日(39) 億計を皇太子とし弘計を皇子とする
0484清寧天皇05甲子1月16日(41) 甕栗宮で崩御
体が弱かった清寧は心やさしく民を慈しむ天皇であったという。
0484清寧天皇05甲子11月09日(41) 河内の坂門原陵(さかどのはらのみささぎ)に葬られる