021雄略天皇










名前
第21代雄略天皇(ゆうりゃく) 大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけ)










親族
父親
允恭天皇(いんぎょう)





母親
忍坂大中姫命
おしさかのおおなかつひめ)






皇后
草香幡梭姫皇女(くさかはたひひめ)





葛城韓媛
白髪武広国押稚日本根子尊(清寧天皇


吉備上道稚媛






春日和珥童女君














皇居
泊瀬朝倉宮(はつせのあさくら)
奈良県桜井市黒埼にある白山神社に冒頭紹介した万葉の歌碑がある。この白山神社あたりからその東にある天の森一帯が泊瀬朝倉宮があった場所だと云われている。
ただ、現在も残る「泊瀬(はつせ)(初瀬)」と呼ばれる地名はもう少しだけ東に入った長谷寺や慈恩寺あたりのことをいう。


白山神社




同白山神社


白山神社の東 通称「天の森」











陵墓
丹比高鷲原陵
古墳名
高鷲丸山古墳+島泉平塚古墳
所在地
大阪府羽曳野市島和泉8-4
形状
円丘・堀



幕末の頃、陵を荘厳化するために、径75mの丸山古墳と一辺50mの方墳である平塚古墳を前方後円墳のようにドッキングさせ、これを雄略陵とした。
現在、仲哀天皇陵として治定されている岡ミサンザイ古墳が雄略陵ではないかとする研究者も多い。










21代雄略天皇の略歴


0418允恭天皇07戊午12月(1) 生誕
0453允恭天皇42癸巳年01月14日(36) (36)父帝允恭天皇(いんぎょうてんのう)崩御
0456安康天皇03丙申年08月09日(39) 安康天皇が眉輪王によって刺殺され崩御。
知らせを受けた雄略は自分の兄達を疑い、まず同母兄の八釣白彦皇子を斬り、続いて円大臣の家に逃げ込んだ同母兄の坂合黒彦皇子と眉輪王を家ごと焼き殺す。
真実のところは分からないが、あまりに対応が素早すぎるし、弁明の機会も与えられていないようだ。
0456安康天皇03丙申年10月01日(39) 皇位を約束されていた従兄弟の市辺押磐皇子を巻狩に誘いだして射殺してしまう。押磐皇子の弟御馬皇子もこの月に伏兵に捕らえられ処刑されたとある。
0456安康天皇03丙申年10月13日(39) 泊瀬朝倉宮で即位
0457雄略天皇01丁酉年03月03日(40) 草香幡梭姫皇女 (くさかはたひひめ)を皇后とする
0460年雄略天皇04庚子年08月18日(43) 吉野宮へ行幸
狩をしていて弓を構えているとき虻が飛んできて雄略の肘を噛んだ。そこへ蜻蛉が飛んできて虻を咥えて飛び去る。
雄略は蜻蛉を褒め、この地を蜻蛉野(あきつの)とした
0461年雄略天皇05辛丑年02月(44) 葛城山で狩
暴れる猪を射殺すよう命じたが臆病な舎人は恐れて木に登って逃げ、猪は雄略にむかってきた。弓で突き刺し踏み殺す。狩も終り、逃げた舎人を斬り殺そうとしたところを皇后に諌められる。
「国人はみな、陛下は狩をなさり、猪を好み給うというでしょう。これは良くないこと。いま陛下が舎人を斬られたら、たとえば陛下は狼に異なりません。」
雄略は「楽しいことだ。人はみな狩をして獲物を得るが自分は狩をして良い言葉を獲物として帰る」と言い「万歳(よろずよ)」と叫んで帰ったという。
0462雄略天皇06壬寅年02月04日(45) 泊瀬の小野で遊ぶ
こもりくの はつせのやまは いでたちし よろしきやま わしりでの よろしきやまの こもりくの はつせのやまは あやにうらぐはし あやにうらぐはし
小野を名付けて道小野といった。
0463雄略天皇07癸卯年07月03日(46) 「三輪山の神が見たい、捕らえてこい」と命じられた少子部連が大きな蛇を捕まえてきた。大蛇は雷のような音をたて雄略は殿中に隠れてしまう。(いままでの武勇伝に比べると少しおかしいが。)
大蛇は丘に放たれる。この丘を名付けて「雷(いかづち)」とした。
0478雄略天皇22戊午年01月01日(61) 白髪武広国押稚日本根子尊(しらがたけひろくにおしわかやまとねこ)(清寧天皇)を皇太子とする。
0479雄略天皇23己未年07月01日(63) 発病する
0479雄略天皇23己未08月07日(63) 崩御
0480清寧天皇01庚申10月09日 丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)に葬られる