019允恭天皇
称号 第19代 允恭天皇(いんぎょうてんのう)
名前 雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくね)
父親 仁徳天皇(にんとくてんのう)

母親

磐之媛命(いわのひめ)
皇后 忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめ)---子=木梨軽皇子
                              =多形大娘皇女  
                              =穴穂皇子(あなほのみこ)(安康天皇)、
                              = 大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけ)(雄略天皇
妃=衣通郎姫(そとおしのいらつめ)---忍坂大中姫命の妹
皇居 遠飛鳥宮(とおつあすか)

陵墓

陵名

恵我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)
  古墳 国府市野山古墳
  形状 前方後円墳、堀
  所在 大阪府藤井寺市国府1丁目
座標=34574222 135597472
緯度経度=34-34-27 135-35-50
  古市古墳群では4番目の規模を誇る前方後円墳。全長227mで前方部を北に向けている。墳丘は三段築成でくびれ部に造り出しを有
す。二重の堀をもっていたが現在は埋められているという。
円筒形埴輪や家、盾、人物などの形象埴輪も多数見つかっている。5世紀後半ごろの築成だろうと考えられている。

御陵には、駐車場はあるのだが、支柱が立っていて入れない。交通の頻繁な道路で車で行くと苦労する。








19代允恭天皇の略歴(5世紀

0376仁徳天皇64丙子年 生誕? 仁徳天皇の第四皇子
0410反正天皇05庚戌年01月23日 同母兄の反正天皇が丹比柴籬宮正殿で崩御
0412允恭天皇01壬子年12月 即位
皇位継承を懇願されるが病気を理由に一旦は拒否するが妃の忍坂大中姫命に促されようやく引き受け
る。
0413允恭天皇02癸丑年02月14日 妃の忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめ)を皇后とする。
0414允恭03天皇甲寅年01月01日 使いを遣わし新羅で良い医者を求める。
0414允恭天皇03甲寅年08月 新羅から医者がきて天皇の治療にあたった。程なく病気は治ったという。医師には厚く御礼をして国に
かえした。
0415允恭天皇04乙卯年09月09日 姓氏の詐称を憂い正すよう詔する。
0415允恭天皇04乙卯年09月28日 盟神探湯(くがたち)という審議判定法で姓氏を正した。
盟神探湯とは一種のうそ発見器で、熱湯の中に入るとうそをついているものは傷つき、正しいものは傷
つかない・・・というもの・・・・無茶なはなしではある。
0416允恭天皇05丙辰年11月11日 反正天皇を百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ) に葬る
0436允恭天皇23丙子年03月07日 木梨軽皇子を皇太子とする
0437允恭天皇24丁丑年06月 木梨軽皇子と同母妹の多形大娘皇女が相姦していることが発覚し、多形大娘皇女は伊予に移される。
0453允恭天皇42癸巳年01月14日 崩御 年齢不詳(78歳か?)
0453允恭42癸巳年10月10日 天皇は長野原陵(ながののはらのみささぎ)に葬られた