011垂仁天皇
   
名前
第11代 垂仁天皇(垂仁天皇)、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこさち)
               

親族

父=崇神天皇 母=御間城姫(みまきひめ)
皇后=狭穂媛命(さほひめ)---子=誉津別命(ほむつわけのみこと)
    日葉酢媛命(ひばすひめ)---子=大足彦忍代別尊(景行天皇
               

皇居

纒向珠城宮(まきむくのたまき)---奈良県桜井市茅原


               

陵墓

陵名: 菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)
古墳:  尼辻宝来山古墳
形状:  前方後円墳、堀
所在: 奈良市尼辻西町

北北西向きで全長227mの前方後円墳。
幕末に盗掘にあっている。その顛末記によれば、2m近い長持形石棺があり穴が穿たれ副葬品はなかったという。





 
   


11代垂仁天皇の略歴 (紀元前)(1世紀
BC69崇神29壬子年01月01日 生誕
BC50崇神天皇48辛未04月19日 立太子
BC29垂仁01壬辰年01月02日 即位
BC028垂仁02癸巳02月09日 狭穂媛命を皇后とする。
BC28垂仁02癸巳年10月 都を纏向の珠城宮とした。
BC26垂仁04乙未年09月23日 狭穂媛命が兄の狭穂彦王(さほびのみこ)に天皇殺害の依頼を受ける。
BC25垂仁05丙申年10月01日 皇后狭穂姫(さほびめ)の涙で狭穂彦王(さほびのみこ)の謀反を知りこれを滅ぼす。          
        狭穂彦王の妹であった皇后狭穂姫は自殺
BC23垂仁07戊戌年07月07日 当麻蹶速(たいまのくえはや)と野見宿禰(のみのすくね)に角力(相撲)をさせ勝った野見宿禰に当麻
蹶速の土地を与え登用する。
  
BC15垂仁天皇15丙午02月10日 日葉酢媛を後宮にいれる
BC15垂仁天皇15丙午08月01日 日葉酢媛を皇后とする
BC13垂仁17戊申年 日葉酢媛との間に第二子大足彦忍代別尊(景行天皇) が生まれる
BC02垂仁天皇28己未11月02日 亡くなった叔父にあたる倭彦命(やまとひこのみこと)を葬った際の殉死者のうめき声を聞き以後の殉
死を禁じる
0003垂仁32年07月06日 日葉酢媛が亡くなる。(写真は日葉酢媛墓)佐紀陵山古墳

0008垂仁37戊辰01月01日 大足彦忍代別尊(景行天皇) を皇太子とする
0061垂仁90辛酉02月01日 田道間守(たじまもり)を常世国(とこよのくに)に遣わし「非時(ときじく)の香果(かぐのみ)」を求めた。
----橘のことである。いわゆる蜜柑を手に入れるため田道間守は常世国(とこよのくに)へ発つ。
0070垂仁99庚午年07月14日 纒向宮で崩御 139歳
0070垂仁99庚午年12月10日 菅原伏見陵に葬られる
0071垂仁100辛未年03月12日 常世国に遣わされた田道間守が非時の香果を持ち帰ったがすでに遅く田道間守は泣き叫び死んだと
いわれる。