蘇我蝦夷
名前
                     
親族 蘇我馬子(そがのうまこ)
                     











名前
毛人  豊浦大臣(とゆらのおおおみ)  蘇我蝦夷(そがのえみし)
親族
父=蘇我馬子
墓所
(伝)蘇我蝦夷墓 
場所
大阪府南河内郡太子町葉室 位置=34-3-19N135-38-34E

色々候補地はあるのですがその内の一つ、(伝)蘇我蝦夷の墓 伝承地ですからね-。??ですね。












蘇我蝦夷の略歴(7世紀

0586用明天皇01丙午
生誕
0626推古天皇34丙戌05月20日
蘇我馬子歿(76歳だったと思われる)
0642皇極天皇01壬寅01月15日
皇極天皇即位
大臣はこれまでどおり蘇我蝦夷であったが、実際の執務はすでに息子の入鹿が行っていたようだ。
0642皇極天皇01壬寅02月22日
高麗・百済の客を難波の郡で饗応
0642皇極天皇01壬寅09月19日
皇極天皇に板蓋宮の建設を命じられる

0642皇極天皇01壬寅

この年蝦夷は今木(御所市東南)に双墓を造り大きい方を自分の墓とし小さい方を入鹿の墓とした。このとき使
役した部民が聖徳太子養育のため定められた部民であったため上宮大娘姫(過密宮のいらつめ)(聖徳太子の
母)は怒る
643皇極天皇01壬寅10月06日
病気のため出仕せず紫冠(大臣の位)を子の入鹿に授けた
643皇極天皇01壬寅11月01日
天皇位を争って敗れた聖徳太子の子・山背大兄王を蘇我入鹿が急襲する。一時は生駒に逃れる
643皇極天皇01壬寅11月11日
山背大兄王を自殺に追い込む
0644皇極天皇03甲辰11月
蝦夷、入鹿が甘樫岡に邸宅を建てる。蝦夷の家を上の御門、入鹿の家を谷の御門と呼び、子供達を王子(み
こ)と呼ぶ
0645皇極天皇04乙巳06月12日
子の入鹿が中大兄らの手により斬られ屍が届けられる。
0645皇極天皇04乙巳06月13日
国記、天皇記、珍宝を殺される前に焼き自害。ただ国記だけは船史恵尺によって持ち出され中大兄に届けられ
る。