026継体天皇


                     
名前 第26代 継体天皇(けいたいてんのう)
男大迹尊(おおと)、彦太尊(ひこふと)
                     
親族 父親 彦主人王
  母親 三国振媛
  皇后 手白髪郎女(たしらかいらつめ)---子=天国排開広庭尊(欽明天皇
  皇妃 尾張目子媛(おわりのめのこひめ)---子=勾大兄尊(まがりのおおえ)安閑天皇
                         =武小広国押盾尊(宣化天皇
                     
皇居 樟葉宮(くすば)、筒城宮(つつき)、弟国宮(おとくに)、磐余玉穂宮(いわれのたまほ)
                     
陵墓 陵墓 三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)
  古墳 太田茶臼山古墳
  形状 前方後円墳、堀
  所在地 大阪府茨木市太田三丁目
 

 

 

  5世紀中頃の築造と考えられている御陵の治定(茶臼山古墳)は誤りで真陵は高槻市の今城塚古墳(前方後円墳・全長190m)だという
のが定説となっているのが上の3枚である。






















陵墓
三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)
太田茶臼山古墳
前方後円墳、堀
大阪府茨木市太田三丁目
が、宮内庁治定のこの茶臼山古墳は5世紀中頃築造で誤りとされる。

三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)太田茶臼山古墳

三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)太田茶臼山古墳

三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)陵墓印

真陵は高槻市の今城塚古墳(前方後円墳・全長190m)だというのが定説となっている。
今城塚は宮内庁管理下にはないので史跡公園として整備され天皇陵としては唯一自由に誰でも出入りできる。














26代継体天皇の略歴(5世紀)(6世紀
0450允恭39庚寅年
生誕
0506武列天皇08丙戌年12月08日(57)
武烈天皇崩御
0507継体天皇01丁亥年01月04日(58)
大伴金村大連らが応神天皇の五世の孫の男大迹尊(おおと)を越の国(福井県)で探し出す。
0507継体天皇01丁亥年01月06日
連らが迎えに行く
0507継体天皇01丁亥年01月12日
河内国の樟葉宮(くすば)に入る(実際は抵抗勢力があり大和には近づけなかった)
0507継体天皇01丁亥年02月04日
即位。
0507継体天皇01丁亥年02月10日
大伴金村大連が皇后に手白髪郎女(たしらかいらつめ)を勧める。
0507継体天皇01丁亥年03月05日
手白髪郎女(たしらかいらつめ)を皇后とする。
0507継体天皇01丁亥年03月05日
8人の妃を召しいれる
0508継体天皇02戊子年10月03日(59)
武烈天皇を傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ) に葬る
0511継体天皇05辛卯年10月(62)
都を山城の綴喜(筒城宮)に移す
0531継体天皇25辛亥年02月07日(82)
勾大兄尊(安閑天皇)を即位させて、磐余玉穂宮(いわれのたまほ)で崩御
531継体天皇25辛亥年12月05日
三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)に葬られる。