神功皇后
称号 神功皇后
名前 息長足比売尊(おきながたらしひめのみこと)、気長足姫尊---子去来紗別尊(応神天皇
父親 気長宿禰王(開化天皇の曾孫)
母親 葛城高額媛(かずらきのたかぬかひめ)
配偶者 仲哀天皇
皇居 大和国磐余の稚桜宮(わかさくらのみや)
天香具山の北の平地に磐余池という池がありこのほとりに稚桜宮は営まれたという。池は現在は消滅しているが、その昔は多くの
大王がこのあたりを宮の地として都としている。

  

陵墓 陵名: 狭城盾列池上陵
所在:奈良市山陵町(みささぎちょう) 宮ノ谷
全長275m、後円部径195m、後円部高25m、前方部幅155m、前方部高27m



神功皇后の略歴(2-3世紀)
0170成務天皇40庚戌年(1)
生誕
0193仲哀天皇02癸酉01月11日(24)
仲哀天皇の皇后となる
0193仲哀天皇02癸酉03月15日(24) 紀伊国巡行中の仲哀天皇が九州で待ち合わせを約束し熊襲討伐にそのまま出発
0199仲哀天皇08己卯09月05日 気長足姫命(神功皇后)に神がかりし、先に新羅を討つよう神託を受けるが疑い熊襲を討とうとしたが勝てずに 筑紫に帰る。
0200仲哀天皇09庚辰02月05日(31) 仲哀天王が病床に就く
0200仲哀天皇09庚辰02月06日(31)
夫である仲哀天皇が筑紫の香椎宮で崩御
0200仲哀天皇09庚辰03月(31)
熊襲を征伐する
0200仲哀天皇09庚辰10月03日(31)
新羅を討つために鰐浦から出発
熊襲鎮圧に成功した勢いをそのままに新羅まで征圧してしまう。
0201神功摂政01辛巳10月02日(32)
群臣は皇后を尊び皇太后と呼び摂政元年とした。
0202神功摂政02壬午11月08日(33)
仲哀天皇を河内国の長野陵に葬る(現在の治定では恵我長野西陵で藤井寺市藤井寺、岡ミサンザ
イ古墳)
0202神功摂政02壬午12月14日(33) 後の応神天皇が生まれる
0239神功摂政39己未(70) 魏志倭人伝によればこの年卑弥呼の使いが洛陽に着く
0248神功摂政48戊辰(79) 魏志倭人伝によればこの年卑弥呼没
0269神功摂政69己丑04月17日(100)
若桜宮で崩御
269神功摂政69己丑年10月15日
狭城盾列池上陵に葬られる