紀和町赤木
赤木城は天正年間、藤堂佐渡守(高虎)と羽田長門守の両人は北山代官
のとき築き、罪を犯した者達を赤木城の西方の田平子峠で斬首したと「紀
伊風土記」に、記している。

また、熊野市神山の倉谷家文書には天正16年(1588)の大和大納言(豊
臣秀長)の北山攻めの後に築城されたとある。

藤堂佐渡守(高虎)は、天正十三年の紀州攻めの際に北山入りし文禄四
年(1595)に四国伊予三郡を与えられるまでの11年間は北山付近に居住
し、この間二度、北山の陣で一揆方を成敗したり、北山材の切り出しを行
ったりしているので、この頃に現在の城郭を整備したものと見られる。