父の献身と信仰にお付き合いされた子イサク

2000年5月28日
創世記22章


今朝、もう一度、創世記22章を開いて、アブラハムのあった試練(テスト)を取り上げ、それを子のイサクの側から見てみたいと願っております。その時、神さまは、「アブラハムよ」と呼び掛けられました(1節)。そうしましたら彼は、「はい。ここにおります」と答えたのです。自分に「呼び掛ける声」、「語り掛ける声」が、だれの声であるかを彼は、経験的に知っていたことになります。主イエスさまは、「羊はその声を聞き分けます(ヨハネ10章3節)」と言われました。羊は自分の羊飼いの声を、感覚的に個々の声の中から理解していて聞き分けることができるのです。それで、「彼の声を知っているので、彼についていく」ことができるわけです。従うことができるのです。アブラハムは、確かに神の声を闘いたのです。その声は続けて、「・・あなたの愛している子イサクを・・モリヤ・・の山で、全焼のいけにえとして・・ささげなさい(2節)」と言いました。人は通常、そう言った内容の言葉を聞きますと、「本当に神様が語られたのだろうか?」、「そう言った方法でない別の方法はないのだろうか?」と願うのです。後ほど、神さまがアブラハムに、「あなたが神を恐れることがよくわかった。・・自分のひとり子さえおしまないでわたしにささげた(16節)」と言いますから、実にむごい方法で「神を恐れること」、「惜しまない心」を、エホバなる神さまが、アブラハムに要求されたことになります。それで多くの人々は、方法論を考えるのです。「子の代わりを物で!」、「お題目を唱えれば!」、「お布施や宮もうでし、宗教的日課を果たせば!」、「免罪符を買えば!」、「礼拝や献金を守れば!」と言った方法を考えます。それらが「宗教」なのです。人のいのちをささげなければならない「全焼のいけにえ」を求める、神の方法を願わないのです。もう少し痛くなく辛くない方法を考え付くのです。こう言った常識人と違ってアブラハムは、「翌朝早く・・出かけって行った(3節)」のです。躊躇や逡巡のない従順なのです。彼も、私たちのように恐れ怯え訴え苦悩したのに、それを聖書は書き忘れたか、省いたのでしょうか。「彼だって私たちと変わらないはずだ!」と思うのです。でも、彼ははっきり「翌朝早く・・出かけた」と、神のことばに従うアブラハムを記すのです。余りにもきっぱりさっぱりし過ぎている彼には、通常人の持つ親の子に対する情愛が欠けていたのでしょうか。これは一体どうしたことでしょうか。彼ほど待って・子を与えられた人はいません。少なくともイサクが結婚した40歳に彼が結婚したとして、六十年待った「待望の子」がイサクでした。その子を連れて出かけたのです。その時の、イサクの年令を、内村鑑三は25歳と言い、レンブラントが1636年に描いた「イサク献供」の絵を見ると十代の初めごろのようです。あの乳離れの日から何年もたっているわけですから、分別のつく年令になっていいきさったことでしょう。それなのに父はイサクに事の経緯を説明しないで、まるで隠しているようです。はるかに目的地が見えた時、一緒に行った若い者たちに、「私と子どもとは、あそこにいき礼拝(5節)」をして戻ってくると言ったのです。その言葉をイサクは耳にします。三日の旅の間、アブラハムは子に何の説明もしていないのです。「私は、頭を下げ逝って嘆願してくる(礼拝の意味)」と言っただけです。イサクが全焼のいけにえであることを言っていないのです。このイサクは、父の信仰、父の主への従順、父の主への恐れのために、<連れて行かれた子>でした。数か月前に、田中小実昌と言う作家が亡くなりました。東大中退の秀才で、芥川賞や直木賞作家にはならず、多分にアウトサイダー的作風の人でした。彼が文芸春秋と言う月刊誌の「オヤジとおふくろ」と言う欄に、彼の父親の思い出を書いています。「父は特別に変わった男で変人・やたら真面目で几帳面・とにかく変わり過ぎていた」と言うのです。私は彼の作品には関心はないですが、彼が「牧師の子」、プロテスタント教会の牧師の家庭で育ったことに強い関心があるのです。父の牧会の下で、父の説教を聞き(「聞かされた」と言うぺきでしょうか)、教会と言う世界に起こる出来事、来訪者、会員をつぶさに見て育つのです。父の牧師給で食べ教育を受けた子でした。彼が生まれたのが、たまたま牧師の家庭だったのです。実業界で活躍するのではなく、この社会の中では流行らないマイノリティーの集団の宗教家の献身に運命的に<付き合わされた子>だったのです。彼は「父の信仰は怪しいものになった」

と言い、どうも父の信仰を継承しなかったようです。父の献身と信仰にお付き合いされた子、それがイサクであり小実昌でした。でも昨日まで、横浜で行われたスティーブ・ヒルの集会で、通訳をしたのはMK(ミッショナリーキッズ)のスティーブ・ケイラー宣教師で、特別顧問はPK(パスターキッズ)の大川従道牧師でした。彼らは父と同じ道を選んで歩み祝福されているのです。イサクは、父の信仰の道を何も疑わず穏やかに温順な心で踏んでいきます。ところで主イエスさまの輝いた特性は「従順」でした。パウロも「信仰の従側をローマの教会の愛兄姉に勧めました(ローマ1章5節・16章25節)。このイサクに宿っており、彼の内に見られるのが「従順」でした。父の信じる道を共にします。祭壇を築き薪が並べられた後、父によって彼は縛られるのですが、抵抗しません。どなたか、イザヤ書53章7節、マタイ27章11〜14節をお読み下さい。イエスさまは黙し弁明も訴えも弱音もはきません。イサクは主イエスさまの型なのです。そしてアブラハムは刀を取って子をほふろうとしました(10節)。「殺してはならない(出エジプト12章13節)」とありますのに、「子を殺せ]と神が言われたのです。これは矛盾なのでしょうか。どなたかヨハネ3章16節、マタイ27章45〜59節をお読み下さい。父なる神は、この世を愛して、ご自分の最愛の子イエスさまを、十字架上に見捨てなさったのです。信じる者を救うためにでした。アブラハムが子をほふろうとした時、「あなたの手を、その子にくだしてはならない(12節)」と言われて、ストップをかけられたのです。これは試験・テストでした。イサクはテストをくぐり抜けていく父をずっと見守ったのです。神を信じるとは、アクセサリーを付けることでも、心の拠り所でもなく、さらに約束を頂いた喜び、子を育てる楽しみ以上のことなのです。自分を見捨ててでも、神に従い通そうとする父は、信仰の試験の中を、神の言葉に従って行くのです。それを、イサクは見ていたのです。それは決して熱狂、狂気鬼気迫るものではなく、静かに落ち着き信仰に満ちたものでした。あなたの<イサク>は何でしょうか。人間への愛以上の「神への愛」を、アブラハムだけではなく、私たちにも、神は求められるのです。彼の父はテストを通過したのです。ここにイサク以上のお方がおられます。主イエスさまです。