彼らこそ日本のリバイバルの担い手に違いない
2000ねん6月25日
中田羽後さんが編集した「聖歌」の中に、「村の小さき教会」と言う讃美歌があります。英語の讃美歌「LittleBrpnChurch」の翻訳です。日本の伝道界で用いられておられる有名な方が、『私はこの歌が大嫌いなんです。なぜかと言いますと、「村の小ささ教会、今もそこにありや・・」とあるからです。小さな教会のまま何時までも成長してしいないのが嫌いなのです1』と、その理由を話されました。ところが私は、この素朴な讃美歌が大好きなのです。人口の増減のない過疎の村で、主イエスさまを愛する村人たちが、家族ぐるみで父なる神さまを賛美し、主イエスさまのみ名によって祈り、年老いた牧師さんの素朴な説教を聞くのです。家に帰って夕食のときには、その朝の説教が話題とされ、子供たちを交えての団欒に花が咲くのです。聖霊なる神さまの助けをいただき、新しい、いのちに満たされ、新たなる意欲をもって、月曜日からの週日を、父や祖父がやってきた通りのいつもの作業を繰り返すので1す。<教会成長の論理>などからは、はるかに遠い所で、忠実に立ち続ける教会が無価値だとも思っているのでしょうか。人数が増えなければ、教会はいのちに輝かないのでしようか。私はある集いで、瀬戸内海で小さな船を用いて伝道をしてる方に会ったことがあります。一人二人の信者さんをポンポン船で尋ねて、賛美し説教し交わりをして島から島へと伝道をしているのです。また伊豆で牧会している牧師さんにも会ったことがあります。彼は1週間中、ダンプを運転して働き、聖日には背広にネクタイをしめて、教会のドアーを開けます。年老いた婦人が二、三人やって来ます。奥さまのオルがンて1讃美歌を歌い、祈り献金をし、ダンプ牧師の説教に耳を傾け、礼拝後は渋茶を飲んで交わるのです。そう言った人たちは、『日本でモデルになるような大きな教会の牧師になりたい1』とか『四国一の太さな教会を建てたい!』との願いとは隔絶した世界で仕えているのです。彼らこそ日本のリバイバルの担い手に違いないのです