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命の尊さ たけちゃん

2012年7月20日入院〜   


蜘蛛真赤 から 18年

 ☆☆ 生きてる限り 元気 !(^^)!  ☆☆ 

12月21日(金) 無事転院

前回のようなややこしいこともなく、無事転院致しました。
今日から千木病院が武ちゃんのお家です。古巣に戻った 出戻り というような感覚ですわ !(^^)!
って思ってたら 夕方 木島からTEL 「リハビリの先生からのお手紙を、私忘れました・・・・・」 
あっらぁ〜〜〜〜 またかいな ?? まあこのくらいなら、取りに行って 千木へ持って行けば
『あら また来た 』 と 思ってもらうのにちょうどいいわ (●^ o ^●) 
「前の病院でリハビリしてくれていた詳細を書いてくれました ので こちらでも同じようにお願いします。」
「私はちょこちょこ こんな時間に 寄ります !(^^)! 宜しくお願いします。」
と言ってきましたよ 
良く 見に行くと 好くしてくれる のは人間の感情として当たり前の事ですからねぇ〜〜 長生きしてほしいですからねぇ〜〜 

12月17日(月) 転院決まる

今日はかあさんの手術の日
千木病院から電話があった「21日に来てください。」と「木島から、まだかまだかと言われて・・・・」などと言っていた。
 あ〜あ 木島にはもう居られないんだなぁ〜〜 ちょっと残念だけど、規則だから仕方ないか
3ヶ月までしか居られないという変な規則があるから、あちこちの病院にたらい回し
 おかしいよね (ー_ー)!! 
今度は、「聞いてなかった」なんてとんでもないことにならないように両病院のケアマネと確実に連絡を付けました。
 母さんの退院が22日に決まりました。
何でアンタがたは、一緒に具合悪くなるかねぇ (ー_ー)!!
 まあ、 元気に生きて  居る だから いいか  (●^ o ^●)

11月30日(金) きょうも元気

あれから(7/20〜)4か月が過ぎ、日に日に元気になる武ちゃん。  頑張っています(^o^)

11月15日(木) 千木病院相談

本日は、千木病院のソーシャルワーカー akadamaさんに相談する日です。
木島病院の先生からの紹介状を持って、相談に行きます。
 しかしこれで転院は何度目になるのでしょうか??
@医科大1994/10/26(62歳)⇒ A松任脳神経外科1995⇒ B卯辰山記念病院⇒
C卯辰山⇒  D千木病院⇒  E夕陽丘苑(12年)⇒  F医科大⇒  G医科大⇒
H医科大2012/7/20⇒  I木島病院2012/10/2⇒  J千木病院(・・・未確定)
スッゴイなぁ (@_@;) 数えてみたらこんなに何度も転院(入退院含む)してるんだ!!
武ちゃん頑張るねぇ〜〜
昔武ちゃんに 「どうしてそんなに頑張るの?」お聞いた事が有る。そしたら武ちゃんは、「んんんん やろうと思うから やるだけで 頑張ってなんかいない」と言った事が有る。
今もその精神は変わらないんだなと感じます。
生きているから 生きるんだ 死ぬまで 生きるんだ! きっと武ちゃんは死ぬまで生きています。

    あったりまえか (●^ o ^●) 今日も 武ちゃんは  生きています 

11月12日(月) 耳掃除

今日は右の耳掃除をしました。
昔 よく耳掃除したよね。「もっと奥の方まで取ってくれ」って言うけど、奥の方迄耳かき入れるのが怖かったよなぁ〜 懐かしいなぁ〜〜 カサカサで取りにくかったんだよね (@_@;)
 しかし、今日までは誰が耳掃除してくれてたんだろう??

11月10日 元気になっています

いろうから食事がとれるようになり、苑に居た時より肌の色つやもよく元気になっています。
そりゃあそうだ!元気になる病院に入院しているから サ !(^^)!
先日左の耳の耳垢をたっぷりとって上げたから、お話はみんな聞いていたんじゃないかな
『また引越かいな・・・・しっかり連絡しておいてくれや』と思ってるぞい  

☆☆・・・転院について・・・☆☆

 医科大には、一進一退を繰り返しながら入院時の状態と変わらないまま2ヶ月半入院していました。
早急に出て行かなければならなくて、木島に転院してきたわけですが、大変な『大騒動』でした。
 また、もう暫くで転院しなければならないのですが、前回のような事にならないように今度はしっかり次の病院にアポを取り『入院の手続きが整っているか』確認しなければなりません。
 内灘温泉病院なら、すぐにでも入れそうらしい雰囲気でしたが、あえて”千木病院”を希望しました。
入院時の大騒動事件時に”千木病院”に移してくださいと申し入れてありましたからネ(ー_ー)!!
こちらの方が近くて便利なのです。でも順番待ちがあってなかなか入れないらしいんです。
出来ますれば、このままここに置いてほしいのですが、それは規則で出来ないらしい。
すでに40日が過ぎているので、のこり20日程いられるのかな? 予定的には12月初旬〜中旬ですかね !(^^)! また引越ですわ
「紹介状を持って先方のソーシャルワーカーに相談し、病室が空いていたら移れる」とのことです。
またまた    どうなるか解らない状態っすか      

11月9日 ようこ先生のお話

本日は先生のお話に呼ばれています。
きっと”転院”のお話でしょうね そして”内灘温泉病院”になるのでしょうね (;一_一)
千木病院は順番が10人居ると、木島に入院した時に聞いたので。。。。。希望してあっても 無理 でしょうね
   ・・・・・・
とお話の内容を勝手に想像しているのですが    どうなることでしょう  
結局 「千木を希望する」事を お願いしました。

10月27日

あれから、3ヶ月も生きてくれたから、もういいよって言ったところで、誰も決められないんだよね。
武ちゃんが自分で決めるのかなぁ 
きっとそうだよ 武ちゃんは死ぬまで元気に生きていくんだよね 
不思議です 日に日によくなっていきます。 気のせいかな
みんなのエネルギーを少しづつ貰っているのかもしれません って  悟空の元気玉かぁ 
 

10月26日(金) お祝いにマ〜と・・

胃ろうから食べれるようになって、3日経ったこと!すごいね!(^^)!回復してるんやん。まだたくさん生きる事が出来そうだね。
81歳を目指そうか?? な〜んて (●^ o ^●)
一昨日は爪を切って上げるつもりが・・・・身迄切って ごめんね ごめん 痛かったでしょう ごめん 血が出た時はビックリしました
  ど う し よ う  ・ ・ ・ ・ ・ ・ (>_<)    って
すぐに止血して絆創膏を貼ってもらって、ホットしたけど 痛かったでしょう ごめん 本当にごめんなさい <m(_ _)m>
今日はマ〜とお祝いに秋吉に行ったよ。     ノブにお土産も買ってきた。  
武ちゃんありがとうございます。 武ちゃんのおかげです。  みんな元気に暮らしています。   

10月23日(火) お祝いにタカ坊連れて・・

武ちゃんの80歳の誕生日のお祝いに、六角堂に行ってきたよ )^o^( 記念日 特別な日 タカ坊と初めて一緒に行った。
タか坊が初めてだったとは知らなかったヨ (@_@;) そういえば連れて行った事なかったなぁ もっと早くに連れて行けば良かった。
少しだけリッチな気分を味わってきました。   おめでとう 

10月22日(月) 80歳 おめでとう

武ちゃんお誕生日おめでとうございます。
80年生きるって大変ですよね。よく頑張って生きてくれています。 ありがとうございます。

10月19日(金) あと4日で

あと4日後に武ちゃんは80歳になります。
そしたら、ネームプレートの 79歳のところを 80歳に 書き換えてあげるね (●^ o ^●)
もう少しだね

10月12日(金) 穴が・・・

胃ろうが使えなくなってもう食べ物を体に取り入れる事が出来なくなって、首からの点滴だけで生きています。
胃ろうの管を外しましたが、腸から逆流して胃液が出てきます。
胃ろうの穴が塞がればいいのにねと思っていましたが、そうなると食堂に逆流して肺に入るとマズイそうです。
医学の進歩のお蔭様で生きていられるということです。
脳がダメなので、どこまで理解できているのか?全く解りません。解らなくてもいいんだけど、痛いとか嫌だとか解るとすれば辛いだろうなと思います。
 話しかけるとこちらを向いたり、腕を持ち上げたりするので  生きているんだなと感じます。
これで 武ちゃんは幸せなのかな? と ふと思ったりしますが・・・・ きっと幸せなんだ!と思うことにします。
やせ細って骨と皮になった足は、固まってクロスしています。動かさないでいるともっと固まって全く動かなくなるのでリハビリをしてくれています。もう二度と自分の足で立ち上がれない人にもリハビリしてくれている看護師さんに感謝します。ありがとうございます。

10月10日(木) すやすや寝ています

転院から一週間が過ぎ、少し落ち着きました。 しかし微熱はまだ続いています。11月の初旬にはまた転院なのでしょうか?それまで何事もなく生きていられるんでしょうか?転院先は決まるのでしょうか?・・・・・
様々な不明な事ばかりの中 武ちゃんは すやすやと眠っています。
「おとうさん」と声をかけると目を開けて、左の腕を持ち上げるのは相変わらずなので、その時は
   今日も 生きている    と確認できるのですが・・・・・・ 
 あと12日で 80歳だよ ♪!(b^ー°) 

10月3日(水) 苦情 申し出係り

よくよく考えてみれば、昨日の転院はいったい何だったんだろう?
次女はプッツン切れてしまい「転院を希望する」と言ってしまった。(@_@;) その後の処理を長女がせなばならん
(ー_ー)!! 

ということで、アチコチTELしまくり
@なぜあんなに長時間待たされる事になったのか?・・・確認すべき
 ・医科大に確認するも解らず
A入院して直後に転院の話をされるということは?・・・ここに来る必要は無かったのではないか
B木島病院で大丈夫なのか?・・・再度確認すべき
C黙っていてはホッタラカシにされないか?・・・なんか言うべき
 ・木島のソーシャルワーカーと連絡を取り詳細を話し、大問題とする。

以上を行いました。

とはいえこの病院に入院していることは現実であり、面倒を見てもらわなければならんわけで、転院を希望したところが自分たちで決めれる術もなくただ単に暴れてみたわけです。
     (ー_ー)!!      こどもか

10月2日 (火) 大騒動の 転院

結局、夕陽丘苑には二度と戻れなくなりました。
あと20日で80歳になる武ちゃん 

まずは、夕陽丘苑で「内灘役所へ行って届け出書類の日を9月26日に訂正してくるように」言われたので、役所に行きました。
(@_@;)ところが「これでいいです」とのこと。  結局は 行かなくてもいいのに行かされた
  (ー_ー)!! 引越で忙しいのに無駄な時間を費やすこととなり しょっぱなから 疲れた (T_T)
医科大病院の武ちゃんの元に行き荷物をまとめさて出発 「おとうさん病院移るよ」 
20分くらいで目的地病院につきました。
ところがが、 なんと なんということでしょう (=_=) 今日転院の連絡が届いていなかったという (=_=) (T_T) (T_T) (@_@; ) 
なんですと・・・・・・・・・・・・ どうなるんでしょう?????・・・・・人命に関わる事に 連絡ミス?????

大丈夫なんでしょうかこの病院は???

急いで仮のベッドを造って・・・その間 レントゲン・診察と待たされ・・・・
主治医からの言葉は「医科大から連絡が来ていなかった」とのこと (@_@;) 「ここにはしばらくしか居られない。転院先を探す・・・」などと

武ちゃんはストレッチャーの上でずいぶんとほったらかしにされ、ウ〜〜ン ウ〜〜〜〜ン と 痛そうに 嫌そうに 唸っている。
可愛そうに 狭い硬いストレッチャーの上にあおむけのまま(床ずれがあるので仰向けでは痛いのです)3時間も苦痛に耐えていなければならなかったわけです。

家族で今後の事を話しましたが、結局のところ寿命に任せるしか方法は無いわけで・・・・・・・(@_@;)
これ以上のなすすべもなく運を天に任すしかないようです。

本日このような状況に陥ったのもこれまた天命かと諦めるというか・・・・ とにかく クタクタに疲れました
 (−−〆) 複雑な思いです
やっとベッドに寝かせてもらった武ちゃんは スヤスヤと眠っていました お疲れ様でした。
あと20日で 80歳だよ   今日も 生きている 

9月26日(水) 転院先および日程が決まる。

10/2(火)10:00 → 希望の松寺町の病院に決定
また重い荷物を運びに行くとするか 引っ越し ヒッコシ わっしょい ワッショイ

9月25日(火) 同意書にサイン
イロウが具合悪いので、首からの点滴をするための同意書にサインに行った。
「医局から転院を勧めるように言われているので早急に転院していただきたい」との矢野先生のお言葉
 医科大には2カ月しか居られない事は判っていたが・・・・・何時まで生きていられるか?尋ねたが、「解からない」との返事
当たり前ですよね  人の寿命を人は決められない。

松寺町の木島病院を希望する。   武ちゃんは ふぁあ〜〜〜っと大きなあくびをして・・・寝た・・・
    生きている 

9月

2ヶ月が過ぎ、若干体調は良くなった。おしっこの管は外れた。首からの点滴もはずれた。
胃ろうからも食事を入れてみているが、漏れるらしい。
間違いなく回復していることは確かだ 
武ちゃんすごいなぁ  生きる力がいっぱいだ   あと少しで 苑に帰れるぞ 

8月20日  入院1ヶ月

 どうなるのかより、どうしたいのかを考えていれば、そうなるのではないのかな? と妹と話した。
どうなるのか解らないからオロオロするので、管を頼りに息している限り生きているのだから、永遠にそうやって生きていてもらえばいいのではないのかな? と考える事にした。
 永遠は無いにしても数日・・数か月・・数年・・と息が出来なくなるまで生きていてもらおう!! 
突然医者に呼ばれたら行けばいい。週に何度か洗濯物を取りに行けばいい。数日おきにアテントを持っていけばいい。たったそれだけのことをするだけで生きていて貰えるんだからありがたいと思うことにした。
   今日も 武ちゃんは  生きています 

8月13日(月)  ソーシャルワーカー相談

入院からやがて1ヶ月近く 一進一退を繰り返しながら生きている武ちゃんは、鼻から直接胃に食事を入れるようになったようです。
今後の事を相談するためソーシャルワーカーの浜さんを訪ねました。
3年前に脳梗塞で倒れた時にお世話になった方です。話しているうちに思い出してくださいました。
医療行為が必要であれば、医療保険が適用されるのですが、そうでない場合はたくさんお金がかかります。
難しい問題になりました。どうなるのかは、武ちゃん次第です。要するに体力の問題ですね。
     今日も 武ちゃんは  生きています 

8月4日(土)  元気を見せてくれた

土曜日の9時には担当医の先生に会える可能性が高いので、待っていたけれど会えなかった
看護婦さんに話しかけてみると 「お尻の手術をした方がいいのかな?形成外科の先生と相談してみよう」と先生が行っていた事が判った。
しかし体力が戻らないと・・・・・血圧が低いから・・・・
武ちゃんに話しかけると、腕を持ちあげて筋肉をみせてくれようとしていた。
分かったよ まだ筋肉あるよ     今日も 武ちゃんは  生きています 

8月2日(木)  寝ていた

今日の武ちゃんは、ぐぅ−すか 寝てた     水枕してたから、まだ熱が有るんだなぁ〜〜
医科大の警備員の人が、近所の人だった!(^^)!  話し込んでしまったわい
   今日も 武ちゃんは  生きています 

7月30日(月)  涼しくなったら 苑に戻ろう

今日も、目を開けていたよ  頭の下と脇にアイスノンを 抱えているから 熱が有るのだろう
首を動かして こっち向いたよ。  「ここは、涼しくて いいね」 と言ったら「う う〜〜〜ん」 と 言ったぞ
また腕を持ち上げたよ 「まだ、筋肉あるぞ!」って見せてくれてる。
 日に日に少しずつ良くなっているような気がする。 このまま2ヶ月ほどしたら、また苑に戻れるような気がしてきた。
・・・・・・10月22日 の 誕生日迄 ・・・・・・・
医科大では、もうだめかもと言いながら何度も助けられているから、ここに居れば生きていけるんだなぁ〜と思った。
3度目かな? 

7月28日(土)  少しは良くなった

今日は、9時ごろ行けば先生に会えてお話が聞けるだろうと思って行ってみた。
たけちゃんは目を開けていたし、足も手も動かしていた。こぶしを握り締めているのが??気になる??「何でこんなに力を入れているの?」と聞いてみたけど返事出来ないしね〜〜(@_@;)    生きている  って伝えているのか?
先生に会えた。 「入院した時と比べると少しはよくなりました。床ずれを直すクスリを点滴していますがなかなか良くなりません。もう少し様子を見ていきましょう。それから今後の事をお話ししましょう。苑に戻るのは難しそうですね。」との事でした。

「たけちゃん、外は暑いからもう少しここに居よう!!この病院はきれいだし2〜3ヶ月居られっから!(^^)! 誕生日迄80歳になるまでネ」
と勝手に決めてきたので有ります。
誕生日になったら別の病院に移って、また誕生日迄・・・・ずっと誕生日迄・・・・・・10月22日 の 誕生日迄 ・・・・・・・

7月27日(金)  まだ熱がある

調べてみるとこの猛暑(30度超え)は7/11〜から始まっている。 母が入院した(7/13)頃からだ。
身体の弱い人には辛すぎる暑さだわ  
たけちゃんは病院に入れてラッキーだったんだと思うことにしよう  ウン 
あのままあそこに置いていたら今頃三途の川を渡っていたわ 
一日でも長く生きていてもらう選択は、今のところ良かった と 思うことにしよう  ウン
足の指がひくひく動いたり、目を開けたり、あくびをしたり、 
    武ちゃんは  生きています 

          それにしても連日病院に行くのもやや疲れ気味のひとみさんです 

7月26日(木) 入院1週間  安定してきた

 おしりふきを持って行く
午前中に矢野担当医に同意書サインに呼ばれた(妹が行く)
?アルブミン(タンパク質)?と、?グロブリン?とかいう薬を点滴する同意書だ。 病院という処は何をするにも同意書が必要で、何どきでも呼ばれるのだ 床ずれがひどいので、それを治す薬らしい
先生は「入院時から比べると安定してきた」とおっしゃったらしい。
ただ熱が37度8分有り、顔や手足が少しむくんでいるのが気になる。
今日はグゥーグゥーと寝ていて「お父さん、ひとみ来たよ」と言っても目を開けてくれなかったけど、会社の出来事を話して早々に帰りました。
   今日も  外は  30度を超える やけどしそうな  暑い〜〜〜〜日
考えてみたら、真夏日と言うか猛暑日が連日続いていて、元気な人でもどうにかなりそうな雰囲気だよ

7月25日(水)  ひとりでお見舞い

 尿とりバットとバスタオル類を持って行く
今日も目を開けていた  「お父さん また来たよ」と話しかけると、腕を上げた。
「お父さんに逢いに来るのに必死で、給料日なのに銀行に行くの忘れたよ」と言うと、しら〜ん顔してた。
やっぱ、言葉が解らないからダメか。。。。
足の裏をそっとツンツンつついてみたら、すっごく嫌そうに顔を顰めた  ごめんねいたかったのかぁ そっと触ったつもりだったのに・・・・ けど 痛いとか嫌だとか?解るのかな?
   そのうち大きな口を開けてあくびをした。
    良かった  生きている 

7月24日(火)  一人でお見舞い

病院嫌いなのに・・・・・毎日病院通い  
医科大は、奇麗でホテルみたいだから  病院だと思わずに 行けばいいんだ うん
今日も、目を開けていた。
目を開けていたり、腕を上げたりすると  生きている  と思う

7月23日(月)  具合の悪い母を連れてお見舞い

目を開けていた。点滴が少し減っていた。血圧は普通値に戻った。
腕を持ちあげて『筋肉』を見せてくれた。少し良くなったのかなと思わせる仕種だった。
妹に言うと、「ある人は、元気になったと思ったら1週間後に天国に旅だった」と言う 
今まで見に行かなかった分毎日会いに行こうと思った。    「武ちゃん ひとみ 来たよ」 と話しかける。
しかし車椅子で母を連れて行くは、考えた方がよさそうだ。母は明日県中(石川県中央病院)に抜糸に行く。
病院通いはまだまだこれからだ

そういえば 私 健康診断に 5年間 行ってない なぁ〜〜 

7月22日(日)  母を連れてお見舞い

目を開けていた。 アイスノンが脇にはさんで有る。『あらぁ〜また熱出したんだ。。。。。』
この先どうなるのか 最終的には天国へ旅立つにしても、それが何時なのか この病院で有る程度回復したとして、次は何処へ行くのだろう? もう夕日ケ丘苑には戻れないんだろうか 
解からない事がいっぱいです 

なるようにしかならないから、考えても仕方無いか  うん  その都度決めよう
また元気になって夕日ケ丘苑で暮らせるようになることを考えよう
諦めたらそこで終わるからね。最後まで諦めないでいよう

7月21日(土)  先生のお話

病名は、腎不全、心臓衰弱、熱中症、腸閉そく   床ずれからのウイルス感染の可能性が高い 
血圧が低下していたものと、尿が出なかったものは、点滴などの処置により回復していますが、状態は厳しいです。
どこまでの延命治療を続けるか?「送管まではしなくていいです。本人にはこれ以上苦しんで欲しくない」
10月22日の誕生日迄 あと 3ヶ月 80歳になるまで何とかもちこたえてくれればなぁ〜というのは希望的見解ですが、これこそ本人の体力のみぞ知る。

この日は母が退院する日です。午後から母を迎えに行きました。 しかし、母が入院すると父が具合悪くなるのはなぜだ

7月20日(金) 延命治療


病院に連れて行って、発熱の原因を診てもらうことにしました。
少しでも長く生きて欲しいから。。。。。。。。。。。。

じつは 私 病院が苦手なのです。   なんだか コワイ

8:30に苑を出発し車椅子を押して病院に行く。 採決、心電図、レントゲン、CTの検査は半日かかりました。
よく考えたら、病気の原因が解ったところが、その病気に勝つ!だけの体力があるかどうか?は、解らない訳で、結局のところ『どうなるか?わからない』という事実は変わらないのです。
人は死ぬ日を決められません。 先生にもう「危ないです」といわれたのは、これで3回目かな
病院というところには、病気の人(特にお年寄)が沢山待っていて、先生や看護師があわただしく動いています。
これからの人を優先にすべきでは? とも思いました。

7月18日(水)  もうすぐ80歳のたけちゃん

施設から連絡が有った「40℃近い熱が有って食べ物を戻すので見に来てください」 と
また、延命と安楽の選択です  

一日でも 長く 生きてください。  というのが 結論です。
もう「頑張って」とは言いません 言えません 

 3年前に 

また滑って転んで、頭を打って、脳が揺れて、ついにほかの部分もダメになってしまいました。
先生からは「もう自分で食事が出来ない。。今後。。どうしますか」と言われ
胃瘻(胃ろう)という胃に直接食べ物を流しいれる装置を付ける手術をしました。
属にいう植物人間に近い感じですね      でも生きている

この時、延命治療を希望するかどうか尋ねられたわけです。
命を故意に絶つことはできないにしても、自然に任せる方法は有るのです。
この状態で生きていると言えるのか 
本人はつらくはないのか  
家族が判断するしかないのです。

私だったら、「こどもたちや周りに迷惑だから ヤメテ」と言いますが
本人は喋れないし
たとえ延命治療はヤメテと言っても、家族は出来るだけの事はしてあげたいと思うのが人情というもの
ひとつしか無い【命】を出来るだけ長引かせるのは当然のこと

 夕日ケ丘苑に住所変更(住民票を移す)

2000年頃かな? この頃はまだ自分でトイレも食事も出来たのですが・・・・・・・・・・
有る日滑って転んで、頭を打って、脳が揺れて具合が悪くなりました。
お向かいにある大学病院に入院して治療を受けましたが
先生からは「なんとも・・・・」 

 たけちゃんは、父です。

1994年10月26日に【くも膜下出血】で倒れ、生死をさ迷いながらも生還しました。当時62歳    まだ若いのに。。。。。

【くも膜下出血】という病気は、脳表面の血管が切れ出血する病気です。
発見が早くすぐに治療すれば治るのですが、父の場合長時間程経過後に発見され、流れ出た血液によって前頭葉が破壊されてしまいました。前頭葉には言語を司る部分があり話すことができなくなりました
命は助かりましたが、自宅で普通の人と同じ様に生きることはできなくなってしまいました。

病院生活が始まりましたが、どの病院も3ケ月しか居られません 

アチコチの病院渡りが始まりました。

 


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