2006年〜2015年・・・
今日が何日なのかも判らない ((((;゚Д゚)))))))
カレンダーに記しを付けるようにマジックを渡した。
『入院ボケ』と『痛み止めの副作用』だろうから、そのうち何とか成ることを祈るしかない。
しかし、とにかく云う事がマイナス思考である。
「こうなったのは〇×のせいだ!」とか 「テレビが面白くない」だとか
それに対して言葉を返せば 「おまえは馬鹿だからわからん」とか今度はこちらを攻めてくる。
無視しようものならプンプンになる始末 ((((;゚Д゚)))))))
どうにかならんものか?
車を売る手配をしてみたり、携帯を買う準備をしたり、トイレを様式に変える準備をしたり、、、、
どうしたいのか良く解らない。おそらく当人も解らないのだろう。
壮絶な戦いは 続く ・・・・・・・・・・・・・・・・・ (−""−)
親父は、抗がん剤点滴治療のため24日に入院しが、3日で退院と聞きショックを受けた。
辛くて6階から飛び降りようかと思っているので、退院させないでくれと医者に頼み少しだけ伸ばしてもらいつつも一週間後の30日には退院した。
入院中は何一つせず寝ていたら食事が出てくる訳で、足腰がガクンと弱った。
痛み止めのシールは麻薬のような物らしく、集中力が無くなり物事の判断が付きにくくなり、今日が何日なのかも判らなくなる。足元がふらつき階段から落ちた。
幸いにも怪我は無く助かった。
鍵を無くしたり、人を疑ったり・・・・・
こんな状態の者をひとりで家に置いてて大丈夫か?
かといって、仕事にいかなきゃあ食っていけない・・・・・(−""−)どうする。
【壮絶な闘病生活】等と聞いたことが有るが、今まさにこれが始まろうとしている。
まだ末期宣告は受けてたわけでもないものの、『入院』するって・・・・そんな悪いのか?と疑問?
例え末期宣告を受けたとしても、可能性は捨てていないが、当人はどうなのか・・・不明
いずれにせよ、畑はオカンひとりでやらねばならない事だけは間違いない事実であるのだ。
福井県立病院で、陽子線は出来ない事を聞いてきて、より一層具合が悪うなった。
気持ちの問題もあるだろうが、『痛い』を連発するのを聴いているのも辛い。
県中から痛み止めを貰い、何とかごまかしている。
結局『抗がん剤治療』しか手立てはなく、入院治療することにした。
アタマが禿る薬を使う事に成り「帽子を作ってくれ」というので
すでに剥げているアタマをナゼ隠す必要があるのか?疑問だが・・・・
毛糸で二つ作った。
喜んででかぶっている ((((;゚Д゚)))))))
そろそろ治療もあきてきた。 この先どうなるのだろうか・・・・
こんな気持ち悪くなったり、口内炎が出来て物が食べれなくなる薬を服用していたら
身体が衰弱してしまう。 何とかならんのか???
2015年7月12日
暑い夏が始まりつつある今日は、30℃となった。
早朝に畑に行くと言っていた親父は、起きてこなかったので、私は一人で畑に行き作業を行い、親父の仕事を残して帰って来た。
夕方になり畑に出かけた親父は、枝豆を収穫してきた。
え〜〜〜〜っ 昨日、『枝豆の収穫は早朝に行う』ってTVでみたばっかりなのにぃ〜〜〜〜
ボケたのかなぁ〜〜 (−""−)
さっきも、『収穫は午前8時までに行うから」って話していたのにぃ〜〜〜
先が思いやられるわぁ
何せ部屋に閉じこもりっきりだから、ボケる要素がたっぷりあるのですわ
2015年3月
抗がん剤治療をはじめて数か月経ちました。治療を受けた日から3日後くらいから
「気持ち÷ぃ〜〜」と言い出します。
癌は、あまり小さくなっていないようですが・・・・ どうなることでしょうか?
まあ、仲良く付き合っていくしかないのでしょうか
最初に見つかった時から、8年目
手術も放射線治療も出来ないとのことで、抗がん剤治療になった。
この治療には、薬を点滴するのだが、その薬が1本20〜30万円程するらしい
金の無い者は、治療を受けられないのですね ((((;゚Д゚)))))))
高額医療費還付申請を受けても、月に8万円は必要だ。
2013年3月頃
最初に手術してから、7年が過ぎて もう大丈夫、次は無いぞと思っていた矢先 また見つかった。
今度は手術が出来ないので、放射線治療をすることなった。
平日毎日通院 20回ほどの放射線照射する治療した。
2006年頃
胸の当りがおかしい と云って検査に行って 発見されたのは 癌 が〜〜〜〜ん
国立病院で手術後 再手術をする事に成って ひどい目に合った。 2〜3ヶ月ほど入院した