元・東京混声合唱団団員(1998年まで30数年在団)。15年間,ほたて児童合唱団をご指導していただいている先生です。
今年(2002)のコンクールでは,「狐のうた」の語りでも共演いただいています。
ほたて児童合唱団・杉原正城・東京混声合唱団
「ほたて」の音を語るには,やはり土肥章一君との出会いから語らないと始まらない。

彼は学生時代(東京を中心に),多くの意欲的合唱「現代音楽」に接していたようです。
「東京混声合唱団」(日本第一級のプロである室内合唱団),そして児童合唱では真に油がのりのりの「東京荒川少年少女合唱隊」(グレゴリオ聖歌・現代音楽を得意とする合唱団)。
その頃,卒業したら郷土・長崎県の地で「荒川」のような合唱活動をする青写真が出来上がっていたのではないか。
彼はしっかりと,それぞれの演奏を正面から受け止め,私の事(名前等)も,その頃,確認していたのではないかと思います。
「荒川」の定演の反省パーティーの席上,常任指揮者の渡辺顯麿氏(1996年12月・ご逝去)から土肥君を紹介いただいた事が記憶の奥に残っていました。
私は「東京混声合唱団」(愛称「東混」)のメンバーとして,文化庁主催子ども芸術劇場(合唱の部門),又,長崎県文化祭(10数年間に渡って)に,合唱の部門で,全県,殆どむらなく廻った事は大きな財産であり,又,大切な思い出になっています。土肥君から直接お声を掛けていただいたのは,どこの会場だったか定かではありませんが,その頃でした。たしか保立(ほたて)小学校に勤務されていた頃です。そしてすぐ‥‥‥
「NHK全国学校音楽コンクール」目指しての練習のお手伝いが始まりました。その成果は歴史が語るのです。
確か大瀬戸町での演奏会に「ほたて」の皆さんがバスを貸し切って団体鑑賞してくれた事を,昨年,いや昨日の事のように思い出されます。(本物に接しようとする土肥君の「ほたて」に対する愛情に,姿勢に敬服しています。)
その前向きな気持ちは今日も脈々と生きていて,挑戦の二文字に凝縮されましょう。
ところで,「ほたて」の目標は?‥‥
〇本物の合唱づくり。
〇特に特に厳しい練習(そこに甘えは許されない)。
〇できるまで反復練習(納得のいく音楽になるまで)。
〇子供を一人の人格として大人扱い。(これは荒川方式? 子供だから
と言って手抜きをしない) etc.
「ほたて」の練習・本番を経験した人は,他の合唱団に参加しても,しっかりとその合唱団の「力」となると確信しています。今回の定期演奏会で唱っているメンバーは「ほたて」の大地に根を張った将来性が豊かな「若い芽」だと言っても過言ではないでしょう。
小学校の合唱団が,民間の合唱団に移行して益々,練習と成果は明らかになってきました。
大人のコンクールに挑戦し,大人のそれより数倍含蓄のある合唱で,九州大会では,東京から招かれている審査員の皆さんに,毎年共感いただいているのです。(彼らの評価が「ほたて」の実力だと私も確信しています。)
でも,「大人のコンクール」という「壁」は厚く,全国大会には至りませんでした。
しかし,昨年,2000年(20世紀最後の年)という大きな節目の年に,「全日本ジュニアコーラス・フェスティバル2000」に九州から推され参加し「東京・府中の森芸術劇場」で演奏。成果は「あおぞら賞」。(全国から22団体出場,うち7団体に贈られた優秀賞)(参加団体の中で,特に演奏曲の難しさは1番だったと思います。)
その時の曲は,今回の定演のプログラムに組まれている「狐のうた」からの「醜聞」(しゅうぶん)でした。私は,指導の立場から演者(語り手)として参加し,土肥君の練習をしっかり体験させていただきました。
さすが,納豆か長芋でも食べているのではないかと思う程の,ねばっこい練習で(納得のゆく音の世界になる迄妥協しない),東混の田中信昭(桂冠指揮者)の若い頃を思い出させる態。
土肥君の合唱に対する姿勢,これはホンモノ‥‥「ほたて」は「荒川」と同じく,三善 晃,間宮芳生,等の現代音楽に挑戦し続け,17回目の定演にたどり着こうとしています。
演奏の成功は,演奏する人達とそれを鑑賞する人々によって成り立つのです。今回は,初めて,私も演ずる側からその感動を共有出来る喜びで,今からとても楽しみにしています。(私,「ほたて定演」には初めての出演です)

さあ,ご来場の皆様,21世紀幕開けの年に「ほたて児童合唱団」の「17回定演」は「18回定演」に結びつく大切な演奏会。
(佐世保の皆さんに育てられる「ほたて」。佐世保の宝物です。)
音楽は素晴らしい財産です。演奏の継続が,演奏の向上の最高の特効薬なのですから‥‥‥

2001年1月27日
杉原正城(札幌の自宅より)
2001年 ほたて児童合唱団 第17回定期演奏会
(「狐のうた」全日本ジュニアコーラスフェスティバル「あおぞら賞」受賞
共演に寄せて)