土肥先生のご指導で、
「響紋」を
歌ってくださる
「ほたて児童合唱団」のみなさん。

みなさんの歌声は、
会場の方々の耳や心にはもちろん、
私にも、
そして、
死んでいった人々にも届いて、
地球上を愛の種(たね)でおおい、
それがやがて育つならば、
地球上のかごめたちが救われ、
風が光る日がいつか来るでしょう。

それを私は祈っています。
みなさんと、
いつかお目にかかれますように。

会のご成功を祈りつつ。

三善 晃 (1988年2月16日 東京・杉並の自宅より)
1988年 ほたて児童合唱団 第4回定期演奏会 プログラム
(オーケストラと童声合唱のための『響紋』に寄せて)

夕焼け 平和な人々と地球のために

         ほたての皆さん

2月23日の演奏会で、皆さんは二回、「夕焼け」をお歌いになるのですね。
《唱歌の四季》の「夕焼小焼」と 《のら犬ドジ》の「おやすみ」の「夕焼け」です。

佐世保では、きれいな夕焼けが見えるのでしょうね。

ぼくは、たった一つの夕焼けの思い出を、今でも大事にしています。
小学校の六年生のとき、昭和19年8月22日の夕焼けです。
この夕方、東京の杉並区に住んでいたぼくたちは、長野県に集団疎開するために、学校に集まりました。
疎開に行くぼくと妹は、母といっしょに家を出て、近くの原っぱで母と別れました。
その原っぱは、ぼくたち子供の毎日のあそび場でした。
ぼくと妹の歩いて行く方の空が、まっかな夕焼けでした。
ほんとに、空いちめんが、まっかにそまっていました。
ぼくと妹はその夕焼けにむかって歩いて行き、しばらくしてふりかえりました。
母が手をふっていました。母の白いエプロンがまっかにそまっていました。
原っぱのまっかな渦のまんなかに、そのエプロンはすいこまれてゆくようでした。
こうして、戦争が日本じゅうに、おそいかかっていたのです。

佐世保では、きれいな夕焼けが見えるのでしょうね。
いつまでも、きれいな夕焼けが見える地球であるといいですね。
それが、別れのためでなく、
愛しあう人たちといっしょにすごす日々を、美しくいろどるために、
いつまでもまっかに、空いちめんをそめてくれるといいですね。
そう思ったら、それを心のなかでいのりながら、歌ってください。
皆さんの歌をきいてくださる人たちに、そのいのりがつたわりますように!

(1992年1月25日 東京・杉並の自宅にて)
1992年 ほたて児童合唱団 第8回定期演奏会 プログラム
(『唱歌の四季』と,童声合唱とピアノのための組曲『のら犬ドジ』に寄せて)

ふじさんとなかよしになって

〔ほたて児童合唱団〕のみなさん。

みなさんがおげんきで,土肥せんせいとすばらしいかつやくをつづけていらっしゃることを知り,とてもうれしく思いました。このあいだ,みなさんの歌ってくださった〈ふじさんはふじさん〉のテープとビデオをきき,みて,みなさんのせんばいのかたがたがずっと前からぼくの曲をうたってくださっていたたくさんの音楽会のことをおもいだしました。〔ほたて〕の,かがやくれきし,ですね。それが,しっかりとみなさんにうけつがれていることが,こんどの〈ふじさん〉の演奏でも,よくわかりました。きもちが一つになり,詩のいみやイメージを心にくっきりとえがき,いきいきと歌っていて,ああ,これが〔ほたて〕だった,と,むねがあつくなりました。
土肥せんせいとみなさんに,心から拍手をおおくりします。

ふじさんはいきています。ちきゅうがよごされてきて,こきゅうしにくくなっているとおもいますが,でも,ふじさんはだまってみなさんをみつめています。なかまの山,そこをながれる川,そこにすんでいるいきものたち,そしてとおい海や空。みんな,ふじさんのともだちです。みなさんも,ふじさんとなかよしになって,ふじさんがひとりぼっちにならないよう,ちきゅうをだいじにしてください。そして,そのきもちをこめて,定期えんそうかいでも歌ってください。ふじさんをげんきづけるように,いきいきと歌ってください。そのためにも,いまぼくは,みなさんに拍手します。
そして,まいにちをのびのびとげんきですごしてください。

1998年1月16日  三善   晃(みよし あきら)
1998年 ほたて児童合唱団 第14回定期演奏会 プログラム (童声合唱と和太鼓のための「ふじさんは ふじさん」に寄せて)
いつもお忙しい中,三善晃先生ありがとうございます。