作品
虹をみること 6
6.
「…きれい。」
啓人にスカート姿を凝視された怒りも、思わず啓人の頬をひっぱたいてしまって自己嫌悪に陥っていた事も、意地っ張りで素直になれないでいた自分も、そして啓人が急に家に来たことも――
留姫はその虹を見た途端、すべてのことを忘れて、ただ一言、心の底から素直に思った言葉を口にした。
「でしょ?すごく、すごく大きくてきれいな虹だよね!」
紅潮した頬に汗を浮かべて、興奮した面持ちで啓人が留姫に笑顔を向ける。
留姫は、目を虹にやったまま、こくんと頷いた。
大きな、大きな虹だった。
雨上がりの済んだ空気と、雲が晴れて真っ青な春の空と。
「まぁ、みごとな虹だわねぇ。」
留姫の祖母も玄関から顔を出し、しばらく虹に魅入っていた。
道端の通行人も近所の人も、まるで時間が止まったかのように、立ち止まって虹を見上げている。
「…良かった、間に合って…。」
啓人はぽつりと呟いた。
「…もしかして、これだけのために、来てくれたの?」
啓人の呟きを耳にした留姫は、ぽかんとして虹から啓人に視線を移した。
「こ、これだけって…。だ、だって、この虹見たら、どうしても留姫に会いたくなったんだもん、」
留姫の呆れた顔に、思わず啓人は頬を膨らませた。
「…子どもっぽい行動だって思われてもいいんだ。僕は、この虹を、留姫と一緒に、見たかっただけなんだ…。」
肩を並べて、二人で虹を見たかった。
啓人の頭には、それだけしかなかった。
留姫は耳朶まで真っ赤になった。
(あぁ、もう、タカトは…そんなだから、タカトは…、)
留姫は言葉が出なかった。
さっきまであんなに腹が立っていたのに…
ただ、とてもいとおしくて、とても嬉しくて――
上手く言葉に出来ない想いを伝えたくて、繋いだままになっていた手を、留姫は握り返した。
「あっ。」
無我夢中で留姫の手を掴んだ啓人だったが、今頃になって急に照れてしまった。
握り返してくる留姫の手の感触にドキッとして、上目遣いに留姫の顔を見返すと、留姫は啓人の顔を直視出来ずに、きゅっと口を結んで、顔を赤く染めて虹を見ていた。
啓人はそんな留姫がとても可愛らしく見えたので、思わず微笑んだ。
「…ルキ、ごめんね。」
小さく、呟く。
留姫はもう、本当は啓人のことを怒ってなんかいなかった。
「…アタシも、ごめん。ぶったりして。」
「あぁ、あんなの、大丈夫。僕、見た目以上に頑丈だから。」
そう云って、啓人も留姫の顔から虹に視線を向けた。
留姫の祖母は、二人の様子を見て、微笑んで家の奥に戻っていった。
二人は虹を見つめながら、言葉を交わした。
「…アタシ、今まで、自分が女の子なんだって事、少しだけ拒否してた。だけど、タカトは今までアタシの事、そんな目で見なかったでしょ。男も女も関係なくて、テイマーとしてアタシを見てくれてたでしょ。そう云う風にアタシを見てくれるの、タカトだけだった。」
「…そう、だったかな。」
虹が、少しだけぼんやりと薄くなってきた。
「だけど、この前、タカトはアタシの事、女の子を見る目で見た。初めて、タカトにあんな目で見られて、アタシ、すごく動揺したの。如何していいか、解らなかった…。」
繋いだ手の温もりが、伝わってきた。
留姫の顔を見られなくて、啓人はずっと虹を見上げていた。
何故だろう。
こんなに胸が熱いのは、何故だろう…。
「…僕、僕は、ルキのスカート姿を見た時、ちょっと、変な気分になったと、思う。」
虹が。
消えないで、もう少しだけ。
「ルキの制服姿、いつものルキと違う風に見えたし、あの、ルキの、す、スカートとか、あんまり見た事なかったから、それで、僕、…ルキをいやな気分にさせてしまったのなら、本当に、ごめん…。」
「――別に、嫌な訳じゃ、無かったけど。ただ、恥ずかしかっただけ。」
「…僕もなんだか恥ずかしかったんだ。」
何でだろう。
何で恥ずかしかったんだろう。
「浅沼先生――僕のクラスの担任の先生なんだけど、浅沼先生が、いつも僕たちに云うんだ。もうすぐ中学生なんだから、自覚を持ちなさいって。…でも、僕は、中学生になる自覚って何なのか、全然わかんなくて。」
留姫はちらりと啓人の方を見た。
「ジェンとか、ヒロカズとか、まわりのみんながどんどん大人になっていくような気がしたんだ。でも僕は子どもっぽくて、ぜんぜん変わらなくて。僕、如何して良いか、わかんなくて、気持ちばかり焦ってたんだ。」
「アタシだって…アタシだって変なところで気ばっかり立ってて、全然子どもだし。アタシも啓人も、まだ大人になるのはずっと先ってことなのかな。」
「多分、僕は、まだしばらく大人になんてなれそうにないと思う。」
「そうね。アタシもそうだと思う。でも良いんじゃないの?焦らなくても。」
「…うん。」
不思議と素直に言葉を口に出せた。
虹がかけた魔法なんじゃないかな、と啓人は思った。
周囲に比べて、大人になるまで時間が掛かりそうな二人だけれど。
二人で、一緒に、ゆっくり「大人」になっていくのも、いいのかも知れない。
「…あぁ、消えちゃうね。」
虹が消えていく。
魔法は終わった。
小さく溜息をつく留姫。
そして、繋いだ手に気付き、わざとゴホンと咳き込んだ。
「…うわわ、ごめん。」
慌てて手を離す啓人。僅かな温もりが、心地良かった。
留姫のそっけない態度も、今までとは違って、何だかとても嬉しそうだった。
だから、啓人は笑った。
「…ルキ、これからもまた、パン買いに来てくれる?」
留姫は啓人の顔をちらりと見て、それから七色の幻影の残る空を見上げてから、
「何かサービスしてくれるんなら、買いに行ってあげてもいいけど?」
と云った。
相変らずの態度に、啓人も応戦する。
「じゃあ、お得意さまサービスで、毎回僕が家まで送ったげるー。」
「それは、いらない。」
留姫は即答して、それから啓人の顔を直視して、他の誰にも見せたことの無いような笑顔を見せてくれた。
啓人は留姫のその笑顔を心の底から綺麗と思ったのだけれど、留姫には黙っていた。
虹の魔法が消えた今、留姫にそんな事を云ったら、また臍を曲げてしまうかも知れなかったし。
それに何よりも、留姫の笑顔が、今日見た虹よりも綺麗だったことを、自分だけの秘密にしておこうと思ったから。
こう云う気持ちが、大人に近付く一歩なのかな、と啓人は心の中で思った。
空は青く晴れて。
啓人と留姫は、今日の大きな虹のことを、これから何年経っても忘れることは無かった。
「仲直り」のきっかけをくれた、大切な魔法の時間だったから。
END
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不器用な感情表現と、すれ違う心と、意地の張り合いと。
子ども特有の稚拙さと、大人に近付く時の戸惑い。
強気な留姫と気弱な啓人は全く似ていないようで、実は結構似た者同士で。
そんな関係がすごく好きだったりします。
博和、健良、樹莉といった周囲の子どもたちとの関係も、重要なポイントだと思います。
これからも留姫と啓人には喧嘩しながら一緒に大人になっていって貰いたいなと思うのが、私の理想。
長い話になってしまいましたが、最後まで読んで下さいましてどうも有難うございました!
image song(inspiration)by Mimori Yusa『When I Saw A Rainbow』
- 2005/06/28 (火)
- 『虹をみること』
タグ:[ルキxタカト]