作品
piece 7
――誰だ?誰か起きているのか?
声は、奥の部屋から聞こえてきた。
ドアは開いていたが、暗くて、中はよく見えない。
大が耳を澄まして音の正体を聞き出そうとしたとき、突然、押し殺したような高い声が部屋に響いた。
「っ…!ぁ、あ…!」
ぞくり、とした。
――何だ。何だよ、これ…
声に紛れて、幽かに衣擦れの音がする。
それと同時に、部屋の中から、何とも云えない湿った気配を感じて、大は息を呑んだ。
「ぅ、ん…は、あ、…――」
聞き覚えのある声だった。否、大はその声に気付いていた。
間違えるはずが無い、聞き慣れた声だ。しかし、その声の主が、こんな声音を出すことを、大は今まで知らなかった。
「…ぉま、とーま、…」
がつん、と、頭を殴られたような衝撃が、大を襲った。
間違いでは無い。
部屋の中で動いていたのは、トーマと淑乃の影だ。
呂律の回っていない、甘ったるい声を出しているのは、淑乃だった。
大とて、この状況を理解出来ないような子どもではない。
けれど、大は目の前の出来事が、現実であると言う事を、飲み込めずにいた。
昼間の二人の姿と、今の状況は、とても結びつける事が出来なかった。
二人は、何時からそういう関係だったのだろうか?
ずっと、自分の知らないところで、そういう行為を繰り返していたのか?
考えてみても、思い出せない。いつも自分の横に立っていた二人は、そんな関係を匂わせる素振りを一度も見せたことが無かった――
大は、気付かなかっただけなのか。自分が、鈍いだけだったのかもしれない。
でも、それでも――
何故だか大は、信じたくない、と思った。
だって、自分達は、チームだった。最初はちぐはぐだったチームワークも、信頼関係を築く事で乗り越えてきた。
その二人が、自分に隠し事をしていた。それが、大には悔しかった。
否、そうじゃない――二人が男女の関係であったとしても、それは構わない。
それを大に云う必要はないし、大も知りたいとは思わない――
では、何故、自分はこんなに苦しいのだろうか。
何も、こんなところで、こんな時に、こんな淫らな行為をする必要は無いではないか。
世界が危機に晒されているこの時に――
明日は、倉田と闘わないといけないこの時に――
父さんが、体を張って護り抜いたこの場所で――
否、違う。
違う、違う!そういうことじゃない…!
全てが当てはまるようで、全てが見当違いのような気がした。
ただ、大は、言いようの無い不快感に襲われた。
「――ぁ、ん、あっ…!」
淑乃の声で、我に返る。
ここにいては、いけない。これでは、ただの覗きになってしまう。
大はその場を離れようとしたが、思うように身体が動かない。
今、この状況で、自分が部屋の中に入り込んだら、二人はどんな顔をするだろうか。
怒鳴り込み、思い切り侮蔑し、罵声を浴びせたら、自分のこのモヤモヤは、晴れるというのだろうか――
そんなこと、出来る訳が無いと解っていながら、大は無意味な思考を重ねた。
ふと――大は、自分の身体の一部が、変化し始めている事に気がついた。
「…嘘、だろ…」
愕然とした大は、思わず口に出して呟いてしまった。
はっと、顔をあげたが、中の二人には声は届かなかったようだ。
自分の意思とは関係なく、嘲笑うかのように、少年の身体は反応を示してしまっていた。
ずくんと下半身に疼く痛みに、大は泣きたくなった。
そのあとの事は、よくは覚えていない。
やっとの思いでその場を離れ、無我夢中で回廊を走り、熱くなっていた身体を鎮めようとした。
快楽など、其処には無かった。それどころか、大は吐き気を覚え、必死に込み上げてくる熱を抑えた。
何とかして部屋に戻ると、大の足音に目が醒めたのか、イクトが起き上がってぼんやりとこちらを見ていた。
不安の色を覗かせたイクトの目に、大は就寝前のように「大丈夫だ」と云ってやれるような余裕は無かった。
自分のベッドに潜り込むと、「ちゃんと寝とけよ」とぶっきらぼうに言い放ち、毛布を頭から被った。
少し声が上擦っていた気がした。
イクトがどんな風に受け止めたかは解らない。
しばらくして、イクトが小さなため息をついて、床に付いている気配を感じた。
◇
次の日の朝――
トーマと淑乃は、何変わらぬ顔で大広間に集まってきた。大は、それが無性に許せなかった。
トーマがデジモン達に、都の警護の作戦を話し始める。
都の立地を生かした完璧な作戦だったが、大の中のトーマへの信頼感は、既に微塵も残ってはいなかった。
だから、皮肉を含めた口調で、わざと意気込んで言い放った。
「ここは父さんが護り抜いた街だ!俺も全力で戦うぜ!」
自分がそう云えば、デジモン達が自分に賛同する事は、昨日のデジモン達の持てはやしぶりからも容易に想像できる事だった。
案の定、流石は救世主の息子だと、デジモン達は活気付く。
何も云わずにその様子を眺めているトーマを見て、大は心の中で笑った。
――すかした顔して偉そうに作戦立てやがって――
昨晩、お前が何をしてたって云うんだ。決戦の前夜に、卑しい行為に浸っていたくせに。
「作戦を考えたのは、マスターなのに…」
トーマの横で、ガオモンが呆然とした顔で一人ごちる。
それには何の含みも無く、単に驚いて出ただけの言葉だったのだが、その言葉が耳に入った大には、自分に対する当てつけにしか聞こえなかった。
結局、大の強行作戦とトーマの警戒態勢は平行線のまま意見が合わず、大とイクトが敵の基地に乗り込み、トーマと淑乃が都の護衛に残る事となった。
大はそれに対する異議を唱える事はしなかった。
今は、トーマと淑乃の二人と行動を共にしたくなかったし、突っ走る方が本来の自分を取り戻せると思ったからだ。
「必ず倉田を倒してくるからな!それまで、ここの護りは任せたぜ、トーマ」
敵地に向かう前、大は努めて平然とした口調で、トーマに話し掛けた。
一瞬、複雑な表情をしたように見えたトーマだったが、直ぐに苦笑して「…云われるまでも無い」と返してきた。
◇
その時に、大は自分自身の中にある苛立ちの原因を受け止めていることが出来たなら、何かが違って見えただろうか?
少しずつ崩れていたトーマの感情に気付いてあげる事が出来たなら、その後に起こる現実が、変わっていたというのだろうか?
けれどそれは大のせいではなくて、もとより、誰のせいでもなかったのだ。
ただ、お互いの心の溝が、少しずつ、深くなっていただけで。
人間界に戻った時、大の隣にトーマの姿はなかった。
そしてその後、再び向かい合った時、大はトーマから冷たい言葉を突きつけられることになる。
- 2007/04/15 (日)
- 『piece』※R-15
タグ:[トーマx淑乃]