作品
ロカ 3
◇
「―――ストップ。タケル、ちょっと待って」
ヤマトは右手を上げてタケルを制止し、もう片方の手で顔を覆った。
タケルは自分の説明の仕方が下手だったのかな、と思い、話すのを止める。項垂れたまましばらく動かないヤマトを見詰めた。それから改めて、もう一度初めから話し始めた。
「だから、この前、家に友達呼んだでしょ?そのときの女の子、八神ヒカリちゃんて言うんだけど。で、ヒカリちゃんのお兄さんの太一さんが、その…武之内さんと、今付き合ってるんだよ」
タケルが言い終わると、ヤマトは両手で頭を抱えて「何というか、なぁ…」と呟いた。
今二人がいるのは、ヤマトの部屋だった。「水族館デート事件(と勝手にヤマトは呼んでいる)」以降、二人は自然に互いの部屋を行き来するようになった。特に何をするでもなく、ただ雑談したり、携帯ゲーム機で対戦したりする。大抵ヤマトの部屋にタケルが向かうパターンが多かった。ヤマトの書棚の豊富な書籍類が、タケルにはとても魅力的だったからだ。最初は邪魔かな、図々しいかな、と思ったが、ヤマトは何故かやたら嬉しそうに、自由に読んで良いと言ってくれたので、ちょくちょく本を借りるようになった。そのままヤマトの部屋で読みふけるようになり、すっかり兄の部屋に居着くようになってしまった。
その分リビングにいる時間が減ってしまったわけだが、奈津子は自分の息子たちが徐々に打ち解けあっていくのが嬉しいらしく、「二人とも、もうすっかり仲良しね」とにこにこしながら言った。年頃の兄弟二人、ということもあってか、「母親には話せないこともあるでしょうよ。タケルも大きくなっちゃって、母さん悲しいわー」などと少々おどけて寂しがったりするので、タケルは何と返事して良いか分からず、気恥ずかしさで黙ってしまう。
そんなわけで、母親に聞かれるのは少々憚れる、ヤマトのプライベートかつナイーブな内容でもあるので、タケルは夕飯が済んだあと、今日自分が遭遇した出来事を、ヤマトの部屋で話すことにしたのだ。
タケルは自分の定位置となったベッドに腰掛け、ヤマトはいつもの癖でキャスター付きの椅子の背もたれに肘を置いてタケルの話を聞いていた。タケルの幼馴染みたちの紹介をしてくれるのかと思ってふんふんと聞いていたら、話が思わぬ方向に向かったことで、頭を抱えて伏せってしまった。
タケルは話そうかどうか迷ったのだが、偶然知ってしまった事実を、知らないふりをして黙っておくのもなんだか兄を欺いているような気がして落ち着かなかった。彼女の名前が武之内空さん、ということも今日教えてもらった。
暫く伏せっていたヤマトを、タケルは黙って見つめていた。漸くヤマトは顔を上げた。案外さっぱりした顔をしていた。
「そっかぁー…。まぁ、近所に住んでるんだから、いつかは逢うだろうなぁとは思ってた。それがよりによってタケルといる時だったし、オマケに今の彼氏がタケルの友達の兄貴とはなぁ。世間って狭いな」
「嫌だった?」
「ん?」
不安そうな顔をするタケルに、ヤマトは顔を傾ける。
「別れた彼女の新しい恋人が、弟の友達のお兄さんだってこと、嫌だった?」
ヤマトはぶっと吹き出すように笑って、「嫌じゃないよ」と答えた。
「嫌じゃないけど、ただ、俺っていつも、タケルにみっともない姿ばっかり見せてるなぁって思ってさ」
今度はタケルが首を傾げた。タケルはヤマトの事をみっともないと思ったことは一度もないので、そう言われたことが心外だった。
ヤマトは椅子から立ち上がると、ベッドに向かい、タケルの隣りに腰掛けた。タケルは少し横にずれてスペースを作る。
ヤマトはうーんと背伸びをすると、ぼすっとベッドの上にひっくり返った。
そして横に座るタケルの顔を下から見上げて、ニコニコと笑った。
「ヒカリちゃんか。覚えてるよ。すごく可愛い娘だったからな。俺は、タケルはあの子のことが好きなのかと思ってたけど」
「はぁっ?!」
兄はとんでもない誤解をしていたようだ。タケルは全力で否定する。
「ヒカリちゃんは、ただの幼馴染みだよ。腐れ縁。ああ見えて正体はすっごく怖い子なんだから!騙されちゃだめだよ、兄さん」
タケルの必死な剣幕に、ヤマトはけらけら笑った。
「それに、もう一人来てた友達いたでしょ、大輔君。ヒカリちゃんの事が好きなのは大輔君の方だよ」
「そうなのか」
「そう。小さい頃からずっとヒカリちゃん一筋なんだ。ヒカリちゃんの本性知ってるくせに好きでいられるなんてすごいよ。ヒカリちゃんはそれに気付いてて、大輔君を弄んでるんだ」
「弄ぶのか。それはすごいな」
中学生同士の恋愛模様で弄ぶも何もないのだが、ヤマトは楽しそうに聞いていた。
「ぼくは、そんな二人のやり取りを、横で眺めてるのが楽しいだけ」
「お前、意外とすごい性格だな」
「もちろん、大輔君の事は応援してるんだよ。二人が仲良くなってくれると、僕も嬉しいし」
「なるほど。いいな、そういうの」
本当に仲が良い三人組なんだなと、ヤマトは微笑んだ。自分たちの関係性をヤマトに好意的に受け止めてもらえたのでタケルも嬉しかった。
「…じゃあ、お前、好きな女の子とかいないの」
タケルを見上げたまま、ヤマトは軽い口調で尋ねた。
「え?」
タケルはこの手の話題に慣れていなくて、狼狽した。同級生相手にならポーカーフェイスを装って受け流すところだったが、ヤマトに訊かれるとは思わなくて、ドギマギする。
じっと上目遣いで見詰めてくるヤマトの視線を直視できなくて、タケルは目を逸らして本棚に目を向けた。
「い、いないよ」
「ほんとに?」
「いないって、そんな子。僕、別に、まだそういうの、興味無いし…」
異性に興味――タケルは一瞬、先日の武之内さんの姿を思い浮かべてしまったが、これは絶対秘密。
「ふぅん…」
ヤマトは何か小さくぼそりと呟くと、突然勢いを付けて起き上った。ギシリ、と二人分の体重を支えるベッドが軋む。
先刻まで上目遣いに見詰めてきたヤマトの目が、今度は間近に迫ってきたので、タケルは落ち着かない。
「なぁ、タケル」
「な、なに?」
「…お前さ、自分でした事あるか?」
「―――は?」
突然、思いもしなかった変化球を投げられて、タケルは絶句した。
タケルが固まってしまったので、ヤマトは首を傾げてバツが悪そうに頭をぽりぽりと掻いた。
突然何を言い出すのかこの兄は…
「いや、お前、ずっと母さんと二人暮らしだっただろ?もうお前も中学生だけど、そっちの方で不便はなかったのかなって。ほら、うちは男所帯だったから、俺はお前くらいの歳のころ、特に苦労はしなかったんだけどさ」
――ああ、なるほど!兄さんは兄として、同じ男として、年長者として、思春期の中学生である弟を気遣ってくれてるんだ!!
個人的興味からではないだろう。断じて。たぶん。
タケルは自分に言い聞かせるようにそう解釈して、無理やり笑った。
タケルは平常心を装うために、必死で書棚に並ぶ本の背表紙を眺めていた。川端康成、山田風太郎、島田荘司、その向こうはバンドスコア集と、クリント・イーストウッドのDVDが数枚…
「そういうことなら――心配して貰わなくても平気だよ。僕だって普通の男子中学生ですからね、それくらいのことは」
「したことあるのか」
「あ、あるよ。当たり前じゃん」
「今もちゃんとしてんのか」
「してッ…?、し、して――、して、る」
あれっ、なんかこれって誘導尋問。
「そっか。してるのか」
「何度も聞くな」
タケルは耳まで真っ赤になって、ジト目でヤマトを睨み付けた。
ヤマトはそんな視線にお構いなくよっこらせとオヤジ臭く立ち上がると、書棚の奥の方から厚みのある紙袋を取りだした。
「なら、お前にこれやるよ。俺が高校の時使ってたやつだけど」
「つか・・・」
「読む?」
タケルは紙袋の中身を察した。それっていわゆるオトナの…ぶっちゃけエロ本だ。
吃驚した。いや勿論、兄はタケルよりずっと長く生きているわけだし、恋人だっていたのだし、きっとそういうことも経験済みなんだろうと思うけど、「ヤマトと合コン」でさえ結び付かなかったくらいだ。「ヤマトとエロ本」なんて、タケルの脳内カテゴリの中に存在するはずもなかった。
敢えて考えないようにしていたのかもしれない。
純粋に気を遣ってくれてるのだろうか。それとも狼狽する弟の態度を見て楽しんでいるのだろうか?否、ヤマトはそんなゲスい事を仕掛けるタイプではない――と思う。(だんだん兄に対する印象が信じられなくなってきた)けど。
いらないよ、と、つっぱねようとした直前、タケルはハッとして、フリーズしかけていた思考回路をフル回転させた。
「…その本って、兄さんが買ったの?」
「ん?そうだよ。高校の時に。別に借りパクとかしてないから安心しろよ」
――高校生の時の兄さん。
それはタケルの知らない時代の――過ぎ去ってしまった、タケルにとって空白の時代の、ヤマトだ。
「…僕、それ、見てみたい」
思った以上にあっさり、タケルは言った。
「え」
「それ、僕に譲ってくれる?」
「あ、ああ。俺はもう読まないし。いらなかったら、他の子にやってもいいし、捨ててもいいぞ」
先刻まで消極的だったタケルが急に喰いついてきたので、ヤマトは若干引いていた。自分から薦めておきながらその態度は無いんじゃないか。
ぶすっとしたまま――でも耳まで真っ赤にして紙袋を受け取ったタケルは、それでも胸のざわつきがおさまらなかった。
落ち着かないタケルの様子を見たヤマトは、
「まぁ俺の持ってるのもそこまでハードなヤツじゃないから、そこまで思いつめたような顔しなくても」
と見当違いなフォローをした。
---------------------------
こんなお話書いといて何ですが、私、空さん大好きなんですよ。そして公式のヤマ空肯定派です。
ただ、tri.の空さんを観て(現時点で第2章までですが)、意外と太一とヤマトの間をフラフラしてて、「あ、公式でそんなんしてもいいの?これってアリ?」みたいな複雑な感情になってしまいました(笑)
でも、02での中2にして熟年夫婦のような雰囲気のヤマ空&異常に物分かりの良い太一よりは、tri.の3人はリアル高校生っぽいな、と思いました。
まぁ…ヤマタケなんですけど(笑)
- 2016/06/22 (水)
- ヤマタケパラレル