作品
ロカ 2
◇
放課後、部活を終えたタケルはこれから遊びに行くという仲間の誘いを断って、一人で帰宅していた。
小学生の頃は熱心だったバスケ部も、中学に進学してからは少し興味が削がれてきている。何か部活に所属しておいた方が内申点に有利だという現金な理由と、背の高さを乞われての入部だった。
家に着く途中、近所の書店で発売されたばかりの小説を購入した。母親の影響なのか、最近は本を読んだり文章を書くことが楽しくなっている。漠然と作家になる夢を抱きつつあるタケルだった。
レジで会計を済ませ、店から出ようとした時、タケルは書店の入り口で知っている顔を見つけた。誰かと待ち合わせをしている様子のその人物は、あの日曜日に初めて会った、兄の別れた恋人だった。
先日とは違い、細身のデニムパンツにスニーカーで、かなり印象が違っていた。カーキ色のキャスケット帽を被っている様はまるで少年のように見えた。
タケルは無意識に、「あ、あのっ」と、女性に声をかけていた。呼びかけられた方に振り向き、タケルの姿を認めた女性は、驚いて目を見開いた。
「あなた、ヤマト君の…」
「弟の、高石タケルです!あの、先日は―――」
タケルはあの日の失礼な態度を詫びたいと、ずっと心の中で思っていたのだ。偶然とはいえ、彼女に会えたことで、タケルは思わず声をかけたのだったが、タケルが言い終わらないうちに、彼女はぱぁっと頬を赤らめて、胸の前で両手をポンと合わせた。
「ああ…!良かった、もう一度君に会えて…!私、きちんと、お詫びを言いたかったの」
「えっ」心底嬉しそうに話す女性に、タケルの方がぽかんとしてしまう。詫びたいのは自分の方なのだが。
女性は眉尻を下げて微笑んだ。その穏やかで優しそうな表情に、タケルは思わずどきりと胸が高鳴った。
「ええと、タケル君ね。私、あのとき失礼なこと口走ってしまって…、あなたたちの家庭の事情もよく知らないのに、嫌な思いをさせてしまって、本当に、ごめんなさい」
年下相手に深々とお辞儀を始める女性に、タケルは慌てて「いえっ、そんな、僕は全然嫌な思いなんかしてないです!」と両手をぶんぶん左右に振る。
「僕の方こそ、逃げるような態度を取ってしまって、済みませんでした。ずっと、謝りたかったんです」
顔を上げた彼女は、きょとんと首を僅かに傾げて、それからまた、穏やかに笑った。
タケルは先程からドキドキが止まらない。今まで異性には興味などなかったのだが、魅力的な女性だと初めて思った。兄の元カノという関係性では無かったら、もしかしたら好意を抱いてしまったかもしれない。もしかしたらだけど。
「…あの、あれから、にいさ…兄と連絡は」
「取ってないよ」即答だった。きっと別れた相手に連絡をとるようなことはしないのだろう、タケルは事情を察した。大人の恋愛なんだな、と生意気な同情をする。
「でも、ヤマト君にも、申し訳ないと思っているのだけれど」
寂しそうに俯く女性に、タケルの心臓も、ぐるぐる締め付けられるような感じがした。
「兄は、あなたのこと、怒ったりしてないです。だから、大丈夫です。僕がちゃんと、あなたの今の気持ち、兄に伝えます」
やたら一生懸命なタケルの言葉に、女性は複雑そうな表情を返したが、やがて安心したように微笑んだ。
「ありがとう。そう言ってもらえて、私も少しほっとしました。ヤマト君に、どうかよろしく伝えてくださいね」
母親のような口調に、タケルは真っ赤になって頷いた。
初対面の時は一方的に嫉妬してしまった相手だというのに、こうしてきちんと話してみれば、とても好感のもてる相手だった。自分の身勝手さに、タケルは少々反省する。…けれど何故、自分はあそこまで彼女に嫉妬してしまったんだろう。
「やっぱり、兄弟なんだねぇ。話し方や雰囲気が、ヤマト君にそっくり」
「え」
突然、思いもよらないことを言われて、タケルは吃驚した。髪と瞳の色以外、自分が兄と似ているところがあるとは、考えたこともなかった。
「ヤマト君、本当にタケル君の事が大切なのね。君が先に帰ったのを、慌てて追いかけて。あんなに動揺したヤマト君を見るの、初めてだった」
くすくすと可笑しそうに笑う女性に、タケルは思考能力が低下した頭のまま聞き返す。
「そう…なんですか?」
「私が知ってるヤマト君は、いつもどこか冷めててね、人に興味がないっていうか…。本当はすごく優しい人なのに、孤立するのも平気みたいな態度とることもあって。だから私、図々しいけど、私が彼を変えてあげられたらいいなぁなんて、勝手に使命感みたいな感情を持ってたのね。それが、ヤマト君には負担だったんじゃないかと思う」
「・・・」
タケルは言葉を失った。タケルのヤマト像はまったく異なる。タケルの知っているヤマトは、とても世話上手な印象だった。太一のような、「面倒見のいい兄貴分」とは違っていたけれど、常に相手に気を配っていて、困っている人がいたらさりげなく助けてあげることが、スマートにできる人だと思っていた。自分の知らない兄の一面を見た気がした。
「それに、私も、すっごく勝手な言い分だけど、ちょっと寂しくなっちゃったの。私だけには優しくして欲しいなぁとか欲張っちゃったり、私じゃヤマト君を変えられないんだと思うと悲しくて。――でも、この前のヤマト君を見て、何だか安心した。弟の君に対して、すごく『お兄ちゃん』してたから。ヤマト君は、タケル君のこと、大好きなんだね」
そのようなことを言われてしまい、タケルは真っ赤になって頭が沸騰しそうだった。
――ぼくが、兄さんを、変えてあげられたんだろうか。
タケルが黙っていると、女性はハッと我に返ったような顔をして、慌てて両手を振った。
「あの、ごめんなさい、お兄さんの事こんな風に言われると嫌だよね。あー、違うの、ヤマト君は、すごく優しい人です。本当に」
「はい」
タケルは頷いた。
伝わった、彼女が本当に兄の事を好きでいてくれたこと。そして、それでも二人は別れてしまったことの理由も、何となく理解できた。
「教えてくれてありがとうございました」
タケルの言葉が不思議だったのか、女性はうん?と首を傾げた。タケルは微笑んでそれ以上何も言わなかった。
その時、遠方からタケル達の方に走ってくる人物が、「悪い!遅れた!」と女性に向かって声を掛けた。
それはタケルにとって聞き覚えのある声だった。タケルと女性は同時に振り向き、女性が相手に手を振った。それから「え?」と二人で顔を見合わせた。
こちらへやってきたその人物は、タケルに向かって笑顔を見せた。
「あれ、タケルじゃないか。どうしてお前が一緒にいるんだ?」
「え、タケル君、彼と知り合いなの?」
彼女が、驚いてタケルを見た。
「・・・えええーーっ?」
タケルはその日、一番大きな声を出していた。
- 2016/06/22 (水)
- ヤマタケパラレル