作品
日曜日 1
ヤマト視点です。
タケルが 若干あざとい いつもより可愛らしい態度2割増しなのは
お兄ちゃんの妄想フィルターが掛かっているから
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父親の裕明から、「母と弟と一緒に暮らすことに決めた」と打ち明けられた1週間前、石田ヤマトは6年間付き合っていた彼女に振られていた。
今思えば、その兆候はずっと前からあったのだ。
いや、両親の復縁のことではなく、自分と彼女の破局の前兆のことである。
ヤマトの彼女(正確には、元カノ)は、小学生の時からの同級生だった。
日本人とフランス人のクォーターである自分の容姿は、幼い頃からずいぶん浮いた存在であったが、彼女だけは偏見の目を向けず自然に接してくれていた。だから、ヤマトも彼女に少なからず好感を抱いていた。
その彼女から告白されたのは中学2年生の時。もちろん断る理由は無かった。
当時は至って中学生らしく、一緒に下校したり、休日にデートをしたりと、健全なお付き合いをしていた。
同じ高校に進学すると、健全な青少年として、それなりに、初体験も済ませた。
ヤマトは彼女をとても大事に思っていたし、このままずっと、一緒にいられたらいいなぁなんて、漠然と思っていた。
違和感を覚え始めたのは、何時からだっただろうか。
テニス部と華道部を掛け持ちしていた彼女は、一ヶ月後に大会があるからとか、部活友達との付き合いを優先したいとか、何かと理由を付けて、次第にヤマトからの連絡を遠ざけるようになってきた。
ヤマトはヤマトで、バンド活動に力を入れるようになり、また、そんな彼女とのすれ違いを誤魔化すようにバイトの数も増やし始め、稀に届く彼女からのメールの返信も、遅れがちになった。
大学進学の際、彼女から女子大を志望している、と聞かされた時、ヤマトはさして驚かなかった。
ヤマトと同じ大学へ行くつもりはない、と拒絶されたような気がした。
そして別々の大学に進学し、二ヶ月近く経過したとき、突然彼女から会って話がしたいと連絡がきた。
――すきなひとができたの。
そう言われた時も、ヤマトは驚かなかった。
ああそうだろうな、と、なんとなく察していたからだ。
久し振りに真正面から見詰めた彼女の顔は、何だかすっかり遠い別人のように見えた気がした。
苦しそうな表情。瞳は潤んでいたが、彼女は泣きはしなかった。
そういう人だ。彼女はヤマトに、甘えたり弱みを見せたりしない人だった。
そういうところが、好きだったんだ。
「そう」感情のない声で、ヤマトは答えた。「ごめんなさい」何で謝るんだ。謝らなくてもいいよ。
俺は君の事が好きだった。本当に大好きだったんだよ。でも、俺は君の期待に応えることは出来なかった。君の苦しそうな表情やしぐさに気付いていながら、ずっと見て見ぬふりをしてきたんだ。狡いのは俺の方だ。君にこんな言葉を言わせてしまっている俺の方だ。
怒らないんだね、と呟いた彼女に、如何して怒らないのか、と聞かれているような気がして、
「――幸せになって欲しいから」
ともすれば自分自身を責めてしまいそうな彼女に向って、ヤマトは優しい口調で答えた。
そう言って、ヤマトは彼女と別れたのだった。
◇
いや、まあ、そんなわけで。
常日頃から、自分は淡白な性格だと思っていたのだが、案外、失恋のショックは引きずるものだな。
なので、父親に、自分たちの生活が一変してしまいそうな重大な提案を打ち出された時も、なんだかぼんやりした状態でピンと来ず、他人事のような感覚で、別に良いんじゃないか、と淡々と答えていた。
裕明は息子のクールな受け答えに、「い、いや、いいのか?母さんとタケルと暮らすことになるんだが…」と、自分で言い出だしたくせに何故か動揺している。ヤマトはイラッとして、「親父が決めたことなんだろ。反対なんかしないよ」と突き放した。
そのとき久し振りに、ヤマトは忘れかけていた弟の名前と存在を思い出した。だがそれも、今の自分にはどうでもよいことのように感じた。
そうこうしている間に着々と物事は進み、家に母親の奈津子と、弟のタケルがやってきたのだった。
久し振りに対面した弟のタケルは、ずいぶんとおとなしい子だな、という印象だった。
幼い頃に一緒に遊んであげた記憶はおぼろげに残ってはいるが、中学生に成長した弟は、ヤマトにとっても未知な存在だった。
背丈は平均年齢より大きいわりに、緊張していることを差し引いても妙におどおどした態度で、他人の顔色を窺うような様子は、見ている方も気の毒に感じるくらいだった。
それがあまりに不憫に思えて、ヤマトは思わず、宥めるようにタケルの頭を撫でた。
自分と同じ髪の色を間近に眺めて、ああほんとうに兄弟なんだなぁと思った。髪の色は同じでも、硬い髪質のヤマトと違って、タケルの髪は柔らかく、少し癖っ毛だった。思いの外、手触りがよかったので、思わず何度も撫でまわすうち、タケルの頭はすっかりぼさぼさになった。それが何だか滑稽で、ヤマトの心は少し癒された。
それまではなんとなしに客観的に感じていた新生活は、タケルの存在で、一気に現実味を帯びてきた。
それと同時に、ヤマトの世界はめまぐるしく変化していく。
タケルは健気に生活に溶け込もうとし、たどたどしい口調でヤマトを兄さんと呼んだ。
当然それまでヤマトは兄弟と暮らす経験をしてこなかったわけで、兄さんと呼ばれることに慣れず、むず痒いような気分になる。しかしそれは、決して不快な感情などではない。
今までに感じたことのない、兄弟に対する愛おしさに困惑した。でもそれは妙にくすぐったい気持ちで、大切な宝物を探し当てたような嬉しさがあった。
気軽な気持ちでタケルの弁当を作ることを提案すると、最初は遠慮して戸惑っていたようだったが、毎日残さず完食してくれた。丁度ヤマトが家にいるときに学校から帰ってきたタケルは、空になった弁当箱を差し出して、「美味しかった。ありがとう」と恥ずかしそうに言った。
ほんのり頬を赤く染めて、すぐに目線を外し伏し目がちになるタケルの態度に、ヤマトの方が動揺してしまった。
そして決定的だったのが、飲み会に参加したせいでタケルを一人ぼっちにさせてしまった夜の事。
慌てて帰宅したヤマトが目にしたのは、真っ暗なリビングのソファに丸まって、目尻に涙を溜めて眠っているタケルの姿だった。
驚かせないように、優しく身体を揺すって起こそうとすると、タケルは寝ぼけ眼のままヤマトの手をそっと掴んで、朦朧とした様子で呟いた。
――おにいちゃん。
その一言は、莫大な破壊力を持って、ヤマトの心臓に直撃した。
うっわぁ、俺の弟、すっげぇ可愛いんですけど!!
ヤマトは今までの人生の中で、自分がこんな感情を持っていることなど知らなかった。初めて気付かされた。
認めざるを得ない。まさか、自分がブラコン気質だったとは!!
それに気がついたとき、ヤマトはすっと気持ちが楽になった。そして悟った。
自分は、誰かに頼られたい、誰かを守ってあげたい体質の人間なのだという事に。
別れた彼女は、真逆のタイプだった。母性愛の塊のような女性で、面倒見がよく、ヤマトを頼ることは滅多になかった。同世代の女子にありがちな、ベタベタしたところがなかったのが彼女の魅力で、ヤマトはそこに好意を抱いていたはずだったのだが、今思えば、ヤマトはもっと、彼女に甘えて貰いたかったのかもしれない。
彼女には申し訳なかったと思うが、今となってはどうしようもないことだ。割り切って前を向いて歩こう。
タケルが来てくれたことで、ヤマトはすっかり失恋のショックを断ち切ることが出来たのだった。
◇
ぽかぽか陽気の日曜の朝。ヤマトとタケルは、まったりと遅めの朝食をとっていた。
母親の奈津子は編集者との打ち合わせで早い時間に出版社へ出掛けていた。父親の裕明は、相変わらずテレビ局に泊まり込み。
こんな状況がもう何回も繰り返されるので、最初は二人きりの時間に緊張していたタケルも、すっかり慣れてくれたようだ。
それにしても今日はとても天気が良い。久し振りにバイトも入っていないし、ヤマトはタケルに提案を持ちかけた。
「なぁ、タケル、今日暇か?」
「えっ?う、うん、とくに何も用事ないけど」
「じゃ、どっか遊びに行くか。折角天気も良いんだし」
「…へっ?」
目を真ん丸にして驚くタケル。そうだよな、家族4人で何度か食事に出掛けたりはしたが、二人で遊びに行くなんて、初めてだもんな。
「ま、気が向いたらで良いけど…。どっか行きたい所とかないのか」
てっきりどこでも良いよ、と答えるかと思ったら、タケルは一瞬考える仕草を見せて、控えめに答えた。
「…あの、じゃあ、僕、水族館…行きたい」
「え?」
「先週から、イルカの赤ちゃんの一般公開…始まったって、テレビで言ってたから」
――ヤバい。俺の弟の可愛さ、完璧じゃないか。
◇
水族館は日曜日と言う事もあって随分と混雑していたが、タケルはとても楽しそうにしていた。
目をキラキラさせながら大きな水槽に向かって魚を眺める様子は、充分ヤマトを幸せな気分にさせてくれた。
お目当てのイルカの赤ちゃんに対面した時のタケルの歓びようなんて、切り取って保存しておきたいくらいの可愛さだ。
売店でイルカのラバーマスコットを買ってやると、そんな悪いよ、と戸惑っていた。
「いいじゃん。兄ちゃんとの初デート記念だ」
ヤマトも大層浮かれていて、今までの自分の抽斗になかったようなキャラを見せて軽口をたたいた。
「で、デー…ト?」
タケルは言葉を失って固まってしまった。少々調子に乗りすぎたかな。タケルは黙ったまま瞳をきょろきょろさせて思考を巡らせていたようだが、最終的にふーっと息を吐くと、「…ありがと」とお礼を言った。
ヤマトは胸の奥が、きゅうっと締め付けられる感覚に陥った。
なんだかなぁ。弟の新しい一面を知れば知るほど、言いようのない満足感に支配される。まるで恋愛に翻弄される男子中学生のようだ。ていうかこの年齢になってこれはない。しかも弟相手に恋愛て。
水族館を後にして、街道を少し歩く。
昼は何を食べたいかと聞くと簡単なもので良いと答えるので、適当にカフェを見つけて軽食をとった。
ベーグルサンドを頬張って、一生懸命もぐもぐと口を動かしているタケルの様子を見て、リスみたいだなとヤマトは思った。
会計を済ませるとき、自分の分を小遣いから出そうとするタケルの行為に、ヤマトは驚いて制する。
「だって、水族館の入館料金まで出してもらったのに…」
「お前、子どもの癖に、遠慮しすぎ。家族なんだから、そんなこと気にすんなよ」
タケルは下を向いて、きゅっと唇を突き出している。納得していない様子だ。うーん、まだ、完全に兄弟として打ち解けあっていない気がするなぁ。
ぽん、ぽんと、帽子を被ったタケルの頭を軽くたたいて気分を紛らわせてやる。タケルはやっと顔を上げて、何か言いたげにしていたけれど、くすぐったかったのか、少し微笑んで並んで歩きだした。
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- 2015/03/21 (土)
- ヤマタケパラレル